Monthly Archives: 1月 2012

はじめての、そぜいきょうしつ

2012年1月某日
某小学校6年3組で
45分の租税教室を行ってきました。
 租税教室ってのは、小学校が外部講師を呼んで税金の勉強をしましょう。ってなことらしいです。

 授業のマニュアルはほぼ完成されており、先生は質疑応答までは何も考えなくてもいいレベルになっています。ただし、これまで租税教室は税務署が行っており、これを税理士が引き継いでやりはじめたという経緯があり、かなり徴収サイドの言い分にあふれているものです。
 今回参考にしたのは次のようなマニュアル
●税金の種類を上げてもらうクイズ
●消費税の流れの説明(最後は財務省に集まる謎の説明。)
●税金納めないと大変なことになるよビデオ
●税金で作られているもの、作られていないものの仕分け
(案外、ガソリンスタンドやコンビニに国費が投入されていると思っている小学生も多い)
●財政危機の認識を煽る説明

 租税教室の担当者からは「ノーサイドで」としつこく言われましたが、元が全然ノーサイドじゃありません。
 ってかこれでは小学校低学年向けだろ。と思ったりする内容です。
 とまあ、私がそのとおりにやるわけもなく・・・。一回目だろうがなんだろうが常に本気ですわ(おりゃあ!)

 さてはて、授業の打ち合わせで、担任の先生からはこんなことを言われました。

 今の小学生は、暗い将来の話ばかり聞かされて「どうせ俺らが借金を背負わされるんだろ」「お先真っ暗」とそんなふうに思っている。
 希望のもてる話をして欲しい。

 静かな口調ながらも、非常に情熱があふれる素晴らしい女性の先生でした。この先生の一言に最後まで引っ張られ続けました。世の中に影響を与えるのはたった一人の人で十分ですな。
 実際に他の授業を見学したりビデオを見たりすると、
「私たちは年金はもらえるのですか?」
「どれくらい増税したら借金は返せるんですか?」

 とかそんな質問ばかりが飛び交う。小学生にとって、財政なんかよりもはるかに、この世間の空気自体がかわいそう。
 なお、私の授業では
「税金の正しい使い道ってなんですか?」
 という質問がでました。もーーーー素晴らしい女の子でした。あー色々人間関係で苦労するかもしれないけど、頑張って素晴らしい大人になってくれ!おっちゃん応援しているぞ!お金に困ったら言ってくれ(ヲイ)(犯罪臭)

 まあ、そんなこんな、他の授業を見させてもらいながら、自分の授業では以下を伝えることにしようかなと。
・税金の実際の流れと絡めて申告納税制度たるもの
・財政の健全化のために小学生でもできること

(そしてもうちょっと大きくなったらやってほしいこと)
この辺りを伝えられたらいいかなと考え、内容を再編成しておりました。とはいっても、1~3クラス別の先生でやるので、内容が大きく変えるわけにはいかず、影響のない程度に。
 なお、財政については個人的には「必ずしも全ての借金は返さなくてもいい」「極端にはつぶれたってどうにかなるぜ」といいたかったけど、時間が足りないし、自分の思想だなーと思ったので、避けました。
 希望を語れというのは難しく、どうあっても思想が絡んでしまいます。それなら、彼らは財政健全化という目的ははっきりしているが、改善の方法に途方にくれてるのだろうから、ソコを助けてやろうと考えたわけです。

 その申告納税制度説明の一環として入れた質問。これはうまくいった。
「(このように)お店が皆さんから消費税を預かって、お店の人が税務署に払います。
(ぐちゃぐちゃ説明して)では、
1.消費税はお店の人が自分で計算して納めるのでしょうか?
2.税務署が計算してくれて、その金額を納めるのでしょうか?」

 ほとんどの人が、「税務署が計算してくれる」で手を上げた。(ちなみに、「お店の人が自分で」で手が挙がらなかったので、たった45分授業で学級崩壊来たかと泣きそうになったw)
 もちろん、お店の人が自分で計算して納めるから申告納税制度なのであり、我々税理士の存在意義でもあるわけだ。この流れで、脱税だとかそういった用語の簡単な説明をした。

 財政の話では借金総額や国債発行額は簡単に触れるだけでスルーして
「歳入を増やす」か
「歳出を減らす」か
 の話をした。
 すなわち、「歳入を増やす」ためには増税だけじゃない。そもそも納税者がいなくてはいけないのだ。
1.君らが稼ぐ事
2.日本にいてもらうこと

 が大事だと伝えてきたつもり。特に後者について、皆がこの国を住み心地のいい国に、居心地のいい国にすることによって、出て行く人が減り、入ってくる人が増える。こうやって日本の魅力を維持し高めることが、この国の財政にとって必要なのだ。
 ちなみにこれはオチにした。最初に「岡山から来た云々」で、駅前のポスト上のセクシー桃太郎を紹介。「ええところやから来て頂戴よ」と。
 そして最後に、「私が岡山LOVEなように、君らも名古屋を愛するように」と頭と終わりだけ統一感を持たせてみた(上手くない)

 「歳出を減らす」ためには、一点。
 この国の歳出のかなりの部分は、社会保障費である。すなわち、これを減らすためには、あんたらが家に帰って、父母じじばば近所のおっさんおばちゃんを、散歩に連れ出したり、刺激的な会話をしてやることで、寝たきりのじじばばが減り、ボケ老人が減り、最終的には社会保障費が減り、みんなの社会も健全に保たれる。
 家に帰ったら家族を大事にしなさい。

 とこの辺の事を簡単な言葉にして言ってきた。基本的に、思想ではなく仕事を通しての実感を背景にして組み立てたつもりなので、税理士の授業としても一応形になったんじゃないかと思う。

 で、まあこれはほとんど授業前の理想論w
 基本的に、手を上げてもらったり、多少簡単な質問に答えてもらう事を期待して組み立てたのに、全然質問に答えてくれない・・・。結局、二択で手を上げてもらうほかは、大体ずっとしゃべるという非参加型のさもしい授業になってしまった。多分えらい早口だっただろう。
 小学生の目を見る余裕も無かったので、どれくらい聞いてくれたのか、全く耳に入っていないのか・・・。甚だ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 自分が小学校のころ言われたことを覚えているかと聞かれたら実はほとんど覚えていないわけだけど(自分がいじめられっこだったこともあるかもしれないが)、なんか一つでも心に残ってくれればいい。そういう講師の気持ちがほんの少しわかった。全く至らないアホ若手税理士の奮闘記でした。じゃんじゃん
 あーそうそう。学校の先生すごすぎ。マジリスペクトw
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推理小説『五匹の子豚』Agatha Christie 訳:山本やよい

 年末実家に帰る途中に手に入れた本。何回か利用しているけど、姫路駅の乗換え口近くの本屋(改札外)はいいよ。うん。
 ミステリーはあまり読まないので、説得力はありませんが、これはかなり面白かった。


↑BGMにどうぞ(これがタイトルの元だと思われ)↑

 若いきれいな娘さんが探偵エルキュール・ポアロの元を訪れ、16年前の事件の再調査をお願いする。その事件は、その娘さんの今は亡き母親が犯人とされているもので、娘としては無罪だと信じておるのだが・・・。

 16年前の事件なので物的証拠の再調査等はできるわけもなく、資料は関係者の証言だけ。
 また事件捜査は、アリバイつぶしや、証拠探しをするわけではなく、各人の人間関係や性格から、犯人の像を精密にあぶりだしていく。
 一筋の老弁護士ケレイブ・ジョナサンとの会話。このやり取りからそれが読み取れる。

「わたしがまちがっていたら訂正していただきたいのですが、ムッシュ・ポアロ、あなたが興味を持っておられるのは――人間の性格、そうですね?」
ポアロは答えた。
「たしかに、どの事件の場合も、わたしにとって最大の興味はそれです」(P61-62)

 最初、動機とかを中心にこいつが犯人かなーあいつが犯人ではありえないなーと、思っていると、それぞれの人物の意外な一面が現れてくる。しかし、これがその一人の人として人間的に矛盾してない。くだらない推理小説は、事件の構造に力を入れすぎて、人間の性格がぐちゃぐちゃになっていたりする。
「あーーーーお前そういう奴だったわけか!なるほどなるほど」と感想がもれ出るような本ですわ。
 人はいくつかの性格を持っているけど、なんだかんだ一貫したものがある。それをここまで巧妙な感じで書かれるとゾクゾクっとしてしまいますわ。

 16年前ということで、それぞれの人物の記憶が多少違っていたりするのも、上手し。そのあいまいな記憶を思い出させるために、当時かいだであろう匂いの香水をさりげなくかがせたり。洒落たことするんですわ。
 まったこの西欧感がたまらない。ムッシュポアロ!とか、一々丁寧で高貴ぶって背筋が伸びてそうな感じとか。きっとこれは訳者の力量なのでござろうなあ。一応ポアロはベルギー出身で、ドイツ軍の侵攻などにより、イギリスに亡命している設定らしい。

 なんか妙に満足した小説でした。
 ポアロシリーズは映画もあるみたい?見てみたいのう。

分かりやすい説明の順序

友人と議論していてびっくりしたが、説明の方法には2種類あるらしい。

  • 目的から手段に降りてくる説明
  • 手段から目的にあがっていく説明

 人によって、理解のしやすい説明は違うらしい。

 もっとざっくりさせると

  • 何のためにやるのかはっきりしないと説明を聞く気にならない、という人
  • とりあえずやってみないとわからんがな、という人

かな。
 対象物によって違うだろうけど、友人とは1つのゲームの説明をめぐって議論した。
 私は完全に前者だ。(だった。) » Read more…

本『銃・病原菌・鉄』Jared Diamond 訳:倉骨彰~その2~

1/16 一部修正(コメント欄参照)

 いきなり結論からくる本です。

 現代世界の不均衡を生みだした直接の要因は、西暦1500年時点における技術や政治構造の各大陸間の格差である。(中略)紀元前1万1000年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採集生活を送っていた。(P20)
 なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?人類社会の歴史の各大陸ごとの異なる展開こそ、人類史を大きく特徴づけるものであり、本書のテーマはそれを解することにある。(P21)

その答えは

 歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的名差異によるものではない(P35)

 豊かな人、貧しい人、世の格差は広がるばかり。メディアには豊かな国のその中でも豊かな人が、豊かになる方法をつらつらと語っておられる。その一方で一日1ドル以下で生活しているような、アフリカ諸国(エリトリア、ニジェール、エチオピア、マラウイ、シエラレオネ、リベリア、コンゴ、ブルンジ:社会実像データ図録2010年)の人たちは今飲む水を求めている。
 この差ってどこで生まれたのか。人類はそもそもアフリカから始まったはず。それがいつの間にかアフリカは欧米諸国に全く及ばないなんてことになっている。
 この差が生まれ始めたのは、発話ができるようになったと思われる5万年くらい前からといえるようだ。発話をし意思疎通を図るクロマニョン人が、ネアンデルタール人をことごとく廃絶する。ここまでは進化論の自然淘汰の話で十分理解できる。
 問題はその後、1万3000年前くらいから、遺伝子とは別の要因で人類同士の間で差がおき始める。すなわち銃であるとか、病気に対する免疫、製鉄技術等。じゃあ銃だ何だというものを扱えた民族と、扱えなかった民族の差はなんなのか。中国が前半よい感じだったのに、つい最近まで発展途上国であった原因はなんなのか。

 簡単に言ってしまえば、農耕や畜産の適した種がいたか、大陸が東西に広かったか南北に広かったか(東西が圧倒的に有利)どうか。この辺りがクリティカルな要因だったようで。 
 たまたま農耕や畜産に適した種に恵まれた民族は、畜産を行う中で病原菌の免疫を手に入れ、専門職を養えるようになり、文字や製鉄などの技術を手に入れ、政治を行えるようになり、そうでない国に対して圧倒的な力を得られるようになった。また東西に大陸が伸びているユーラシア大陸では気候や日照時間が似通っているため、農耕や畜産の伝達が早くより格差に差がついた。
 こー聞けばストンとくる言葉があるわけです。「南北問題」。
 少なくとも、「日本人は農耕民族だから」みたいな事を言うことがあるけれども、それは全く逆で農耕民族こそ世の制圧者でなのであります。

 また、西欧と東アジアの政治的な違いについては、海岸線の形で説明されています。中国は海岸線が滑らかで国家が分裂しにくく比較的まとまった政治形態で来た。それに比べ西欧は海岸線が複雑に入り組んでいるために、国が分裂しやすく多様性を認めやすい文化になっている。
 結果的に自由度の高い西欧は、弱肉強食文化でガスガス世界を食っていったが、中国は組織パワーで序盤はよかったが意思決定の難しさにより、西欧に差をつけられることになってしまった。

とまあそんなこんな » Read more…

髪の毛を守るために by 床屋

 私はここ数年、シャンプーというものを使っていない。
 それは約二年前、後輩に「メリット(花王)なんて使ったら髪に悪いですよ」と言われ、よいシャンプーを見つけるのも面倒なので、「使って悪くなるなら使わなければいい」と水洗いに変更。最初ちょっとフケがでたような気がしますが、それもなくなり快調にここまできている。
 顔そり好きな私は当然美容院ではなく床屋に通っている。今の床屋さんはかれこれ8年くらいお世話になっていると思う。しかし、お互い無口なのであまり会話をしたことがないのだけど、今日は客が私一人だったこともあり、ふと、シャンプーを使っていないことを床屋さんに言ってみた。ついでに、できれば髪が薄くなるのも避けたいです・・・と。その一連の会話の流れで、色々参考になることがあったので備忘録。
 いや、オサレな皆様には当然過ぎることなのかもしれませんが・・・。
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あけおめ

あけましておめでとうございます。今年を迎えちゃいました。
ちょいと自分のために色々振り返ってみるのです(遅)

 2011年はずいぶんとバタバタしました。最近事アルごとに言いますが、「一年があっという間」とかいう感覚は全く持ち得ない。この一年のブログを見るだけでも、本当に長かった。色んな経験したなあ。
 恵林寺の桜、大阪の串かつ、相国寺の鳴き龍、常滑で食った筍、伊藤若冲、平山郁夫、鬼平犯科帳を見てたのも今年か。結婚式も何度か呼んでいただいたし、友だちの子供もいじくらせていただいた。ハチクロやレベルEなんかのマンガも読んだ。頭のおかしいが応援してやりたい後輩もみつけたし。仕事の幅は資格をとって大きく広がった。相続関係でどうにか力になりたいなあとがんばったなあ。

 と、色々やっていたとも思うのですが、同時に途中から人に世話になるばかりで完全にバランス感覚を失っていた。趣味に、仕事に、友人に、何をどー時間配分するか、いつの間にか周りのみんなは結婚やら引越しやらで環境も変わっていて。おまけに最後には自分も引越しをして。仕事の付き合いも変わり。
 実を申せば、引越ししてからは寝ているばっかりであったような気がする。適当に買った本を読んで、呼ばれたイベントに適当に出て、任されたことをやって、仕事行って、あとは寝る。ひたすら寝る。

 で、今年もなんだかんだ波乱の一年になりそうな予感はビンビンしてはおるのですが、どーにか自分の生活を落ち着かせて、googleではないが、生活の20%くらい、人を喜ばせることに使えたらなーと思ってみたり。そー言えば直に30年生きたといわれる年になろうというのに、人を喜ばせるような事ってほとんどしてきていないなーなんて反省するわけでござんす。

 取り留めのない文章になってしまった、ブログを見返してみていると、書いた当事者ですら意味の分からない文章が散見されるのわけで。人が読みやすい文章を書くというのも重要な、人を喜ばせる要素ですわな。
 まー今年もこんな感じですが、真面目に、ちょっと踏み外しながら、生きようと思います。本年もよろしくお願いいたします。