ちらっと「一円玉の旅がらす」という文字を見かけて、久しぶりに聞いて感動しておりました。小学校から帰る道すがら歌っていた記憶がほんのりあります。みんなの歌の中で一番歌ったかも知れない。
当時知る由もなかったですが、1989年に消費税が導入されて1円玉の流通も増加。そして、その翌年この曲が流行ったようで。面白いもんだ。
一円玉の旅がらす
ひとりぼっちで どこへゆく
一円玉の旅がらす
あすは湯の町 港町
一円だって一円だって
恋もしたけりゃ夢もある
ああ 出世街道どこへゆく
作詞:荒木とよひさ
作曲:弦哲也
あの頃は、商売人の息子という自覚があって「一円こそ大事にしないといけないんだ!(小学生)」と思っていたような気がする。可愛いぞ俺。今でも思っている。ウザがられているぞ俺!
——
今回の復興で20兆円かかるとかなんとか。
(20,000,000,000,000 ← 数字だけみてもなんかすごい)
いきなり脱線するけど、某弁護士さんは事務所に一千万円の束を置いてるらしい。
お客さんと金の話をする時に出す。するとお客さんと実感のある金の話ができるんだと。
(ちなみに、上三枚だけが本物だそうで)
こういうの実感って大事やわ。
元に戻す。こーいう財源の話になったりすると
・増税すると景気が悪くなる!まずは借金してでも景気を良すれば税収が上がるじゃん!
・減税すると税収が減る!国の債務(金利・物価)が大変なことになる!
こーいう議論が絶対に起こるわけで。この議論について、自分なりに理解しようとしてみるんですが、正直よくわからん。多分言ってる学者達も確信を持っているわけではない。そこで、自分なりに両者の言い分を理解してみたいと思うわけです。
とある一つの自営業の家庭
旦那「アコムで金借りて取引先と飲みに行ってくるわ。」
奥さん「やめてよ、今でも赤字でかつ借金多いのに、返せなくなったらどうするのよ!」
旦那「こういう日頃のおつきあいが仕事を持ってくるんだ!」
国債を増やす、という議論をこういう例えはできると思うわけです。
皆さんならどうします?
そもそもこの経営者は赤字です。
「借金すべきでない」と言う人が多くなる気がします。
ちょっと例を変えるとこうなります。
こんどはとある一つの部活
部員「アコムで金借りてバット買って下さいよ」
部長「アホかそんなん無理に決まっとるやろ。落ちてる鉄パイプで我慢しろ」
部員「なら別の部活に行きます。」
この例だとどうか。金借りないと廃部になりかねない。
廃部が絶対に嫌だとしたら、アコムかどうかはとにかく
「金を借りるのもしょうがないんじゃない?」
と言う人も結構でてくるかなと。
何が言いたいかというと、節約というのは共同体のコミュニティーの強さによって可能な範囲が変わってしまう。家庭であれば「節約しよう」は通る。でも部活だとひょっとすると「別の部活に行きます」と言われてしまう。あるいは、部活の絆が強ければ、節約できるかもしれない。
家庭でも部活でも構成員がいなくなるならそれは終わり。
日本国は借金が膨大に今ある。でも日本国が大事なら、
「節約しましょう。」
やっぱり本来はこれが一番正しいのだと私は思う。借金多い時に、新たに借金して博打打つ事が間違っているというのは、ほぼみんなの共通認識だと思うわけで。
こそこそせずに「この国で暮らしたい。この国で税金納めたい。」っつー国にせないかんわな。やっぱりソコが先進国の強みだろう。
破綻してからじゃあ遅いわな。
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