『痴人の愛』谷崎潤一郎

 裏書には「知性も性に対する倫理観もない”ナオミ”は日本の妖婦の代名詞となった。」と書いてある。
 漢字で書くと奈緒美だが、ナオミと表記したほうが雰囲気が出るからと文中は常にカタカナ表記。大正時代、日本が嬉々として西洋化していく様を批判したかったとのことで。

「ああ、勉強おし、勉強おし、もう直ぐピアノも買って上げるから。そうして西洋人の前へでても恥かしくないようなレディーにおなり、お前ならきっとなれるから。(P55)」

とまあこんな感じで。譲治という西洋にあこがれるおっさんのものがたり。
 以下ネタバレきにしませんので。

 譲治は、見合いみたいに、一度や二度会っただけで一生の伴侶なんかきめられるかい。それなら、ナオミちゃんのような15歳くらいの女の子を引き取って、その成長を見届けてから、気に入ったら妻にもらおう。別に、財産家の娘だとか、教育のある偉い女が欲しいわけではない。とかなんとか。
 ちょいと理想が過ぎる恋愛主義か。実際ナオミは、15歳でキャバレーに勤務していて、家は風俗街の中。財産もなく教育も無いワケアリ家庭。
 パトロンを得たナオミは、英会話習ったり、ダンスをならったり、服を買い漁ったり、結構序盤から我がままっぷりを発揮し育っていく。手を焼くだけならともかく、心も焦がし譲治さんはナオミちゃん、主に肉体、にがっつりやられて、浮気されてもどんなことをされても、盲目的にしたがっていく・・・。

 確かに読んでいると、この大正時代末期に急速に日本の文化に西洋の文化が割り入ってきて、色んな道徳的なものが見えなくなってきたのかなと言うのはビンビン伝わってくる。
 譲治はナオミに英会話なんかをやらせるけれど、結局それは日本的な花嫁修業の域をでないのであって、この小説の中ではナオミが外人と仲良くなる手助けをしたに過ぎない。今、谷崎ちゃんが似たような小説を書けば、ナオミちゃんは海外を飛び回るスーパーガールになって、譲治は家でぶうたれるニートになっているかも(笑)。

 日本の文化と西洋の文化の悪いところを凝結させたのが、ナオミなんだろうなという感じがする。現実の世界は、小説の冒頭であった「今まではあまり類例のなかった私たちの如き夫婦関係も追い追い諸方に生じるだろうと思われますから」てなことにはならなかったね。
 正直、まったく貞操概念の無い女の物語は、イライラして仕方がなかったですはい。

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