『世界史』William H. McNeil

 記憶力が悪く何度読んでも頭に入らないのに、それでも気になる歴史(笑)

 ユダヤ教やらヒンズー、仏教の起源とか軽くでも分かると面白いもんですね。
 ユダヤ教が一神教をとる理由は国家が広くなることに対応するため。国家が広いのに多神教では、地域と国とかで矛盾が生じかねない。
 膨大な人が、組織が動くに当たって考えに矛盾を起こさないような、宗教を作るってどんだけ膨大な脳みそを使えばいいのか。。。民法読むだけで寒気がするほど、凄さを感じるのに。
 もちろ少しずつ改良を加え、かつ、ラビの解釈で矛盾を解消したり読み替えちゃったりしているわけだが。でも、2000年以上続く宗教を作り上げた、その時代の偉人達のすごさといったら。

 インドで仏教ができたのに、同じ時期に出来たヒンズー教が広まったのは、仏教は戒律が厳しすぎ、かつ、誕生、死、結婚、成年とか、日常生活に関わる儀式がなかったから。これはなんか、マーケティングの問題っぽいw

 序文でこんな事が書いてある。

本書をまとめる基本的な考えは簡単である。いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作りあげるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によって攪乱される傾向がある、ということだ。(P36)

 愚かかもしれないけれど、一つの公式のようなものを与えてもらえると非常に安心するなあと。

 あとはだらだら復習のために書き綴っているだけなので。お帰りいただいたほうがいいと(笑)
 興味ある方は是非お買い求めくださいー。

『第一部ユーラシア大文明の誕生とその成立 紀元前500年まで』

 とりあえず、BC500年まで読み終えた。

 エジプト文明(BC3000年とか)はナイル川ばしっっと一本で、さらに周りは砂漠なので左右からの侵攻が難しく、道は川を押さえればよかったので、統治は楽だった。
 一方で、ティグリス川、ユーフラテス川周りの文明は、水利権等をめぐって、数多く争いが起きた。開けた地方で攻めやすく攻められ易く、富もあるため、格好の標的となった。これらを解決するために政治も高度に発展し「法典の公布、官僚制による役職設定、公式の郵便事業(上P67)」等が生み出されていた。序盤の官僚は、王の文書というものを持って現れ、これに権力があることを説得し、施政を行っていたわけで、さぞや苦労されたであろう。(ふと伊藤博文が憲法を広めるために全国行脚したという話を思い出す。)
 ちなみに、BC1800年くらいから、今でいうトルコの辺りにヒッタイト文明というのがあったのが見受けられるそうな。「ヒッタイト彫刻の特徴は、戦士が良く扱われずんぐりとして重厚な感じがあることだが、これは明らかに征服者重々しい足取りを思わせるものである。(P95)」。征服した者は、税をとり、職人を雇い、征服者の思うがごとく仕事をさせたのであろう。
 悲しいかな税の起源ってのは、もしかしたら今でも、征服の象徴なのかもしれないね。

 BC3000年前後、メソポタミアで農耕が行われる中で、そのことを認識しながら、農耕は放棄し家畜を飼いならす遊牧民もまた有力であった。アラビア半島の北部や、黒海の北側のステップ(草原)等で生活をし、アラビア半島では羊、山羊、ろば、黒海北側では寒さに強い牛や馬など。
 こいつらが遊牧民は好戦的で、主にBC1500年~1400年の間にあらゆるところに、蛮族として各地に征服しにかかったようで。インダス文明はアーリア人に潰され、メソポタミア文明やエジプト文明も(高度な文明ゆえ秩序などは保たれたが)蛮族が権力を握った。そして彼らが話していた言葉がインド・ヨーロッパ語族
(WIKI)
と呼ばれるもので、世界地図で見ると大変な広さになっている。彼らが、上手く征服できたのは戦車(馬に引かせる車)を開発ゆえであった。
 さらに、これがBC1200~1000年くらいになると、鉄が使われるようになり、また外部の蛮族が攻め込みまたもや、権力がひっくり返っていく。
 この鉄は豊富で、農業の道具などにも使われるようになり、本格的な職人という職業が成り立ってくるようになった。
 BC700年代には鞍などをつけることにより、馬に乗りながら弓を打つなど、できるようになり、これが新たな革命となる。ちなみに、ケンタウロスってのは、騎馬を見て驚いて書いたという説やら、その当時の理想の姿を描いたのやらという説があるとか。

 そして、何よりもこの時代の変化の中で、起こった宗教が面白い。
 ありとあらゆる考えや文明が進化し、これまでの宗教で説明つかないことが発生することで、宗教も変化を求められることになる。
 ことさら、エジプトとメソポタミアの間にあったパレスティナでは、両地方の思想の中心に立たされ、それを統一する考え込まれた宗教が作りこまれることになる。例えば「遠くにいる君主や、何百キロも離れたところではじまった予見すべからざる出来事が、地方の生活に影響を与えるような世界をうまく説明できるのは、一神教を措いて他にはない(P138)」とした点などは、非常に大きな点であった。
 それでも、聖典に矛盾などもあるが、これらについても「ラビたちは、聖典の法を日常生活に適用する際に、ひじょうな工夫をこらした。そうしているうちに、彼らは、およそ人間が発し得るほとんどすべての疑問に答え、日常生活に意義を価値を与える行為の掟を、徐々に作り上げることができた。(P141)」

 インドのカースト制度などもこの時代に由来するらしい。
 カースト制度はいくつかの特徴があり、儀礼的清浄の観念で、自分よりも下のカーストを常に見下すことが出来る。これが心理的に重要だったらしい。なお、外部から入ってきたものは新たな一つのカーストとされる。
 新たに入ってきたものは、他の文化であれば、既存の文化を強要されるが、カースト制の下では新参者はカーストとして自分の文化を保持することが出来る。
 そして、この教義の中に「再生」という概念が持ち込まれ、「非の打ちどころの無い生活を送れば、たとえ最下級のカーストに生まれた人でも、もっと上のカーストに生まれ変わる希望を持てた。(P151)」 
 また、カーストは「政治的、領土的な行政の重要性をうすくした。P152)」。カーストの人は、国家よりもカーストに属しているという意識が強かったようで。インドは政治に興味のアル国民が少なく、国家も脆弱だとか?(この本の執筆も古いのでどうかわからんが)

 インドの宗教については「ウパニシャド」という口承文学郡があるそうで。
「富や健康や長命を求めるのではなく、果てしのない再生の循環からの離脱をひたすらに求める。(P156)」
「真の聖人は仲介物など必要とせず、したがって神々もいらない(P156)」

 この「ウパニシャド」は、ヒンズー教、仏教の源流となっている。
 なお、インドでヒンズー教がメインとなった理由には、「仏教は、その初期形態において、人間生活一般の危機的時期-誕生、死、結婚、成年その他-に対応する儀礼をなにも持たなかった。(P162)」ために、日常生活に使われる宗教が浸透し、また、「仏教の生活様式は、あたりまえの家庭生活をなげうって、全身をあげて聖なるものの追求に打ち込む非凡な人間だけに完全な導きを与えた、(P162)」
 まあそれじゃ確かに仏教は流行らんわな。

 ギリシャについては宗教でがさがさやっているときに哲学が生まれていた。
 「ギリシャの宗教は、ふたつのちがった要素から成り立っていたからである。オリュンポスの神々にまつわる物語は、ギリシャ人が北方から来るとき持ってきたものだが、これが、先ギリシャ人時代に崇拝されていた古代の豊穣の女神にまつわる別系統の神話とであった。(中略)このような論理的混乱があったために、世界の性質と人間のその中における位置について、個人個人が思索する道が大きく開け、哲学が誕生した。(P174)
 あるいみ宗教と哲学ってのは同列なわけだ。

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