Monthly Archives: 4月 2009

久方ぶりに男歌手きた!

尾崎豊を友人βと熱唱して
はまった。

これきた。
尾崎ー
会社の先輩に
「バイク盗んだり会社の窓ガラス割らないでね」
といわれた

愛とは

人間なんて愛に跪く
LOVE WAY/尾崎豊

 先日「心の仕組み(中)/スティーブン・ピンカー」というのを読み終えました。
 俗に言う「心」といものの、成り立ちや仕組みを、科学的に解説しようっていう本です。その中に「愛」についての記述があり(本の中では、ささいな一部分だけど)、興味深かったので頭を整理する意味で書いてみます。
 なんともこっぱずかしいタイトルですが(汗)

 まず、愛といえば人を狂わせる代表格みたいなもの。

  • 仕事や勉強に打ち込んでいた男が彼女ができた瞬間にダメ男になってみたり
  • 女性が急に綺麗になったり
  • 一日中その人の事しか考えられなかったり
  • 壺買ったり
  • 急に、にやついたり
  • 「君のためなら死ねる」とかいってみたり

 冷めてしまえばびっくりするような事ができてしまうのが「愛」。
(本では家族愛とかに重点おいてますが、とりあえず男女に絡む愛についてだけ書いてみる)
 理性的な思考を奪ってまで、なぜ私たちは他人を愛してしまうのでしょうか?

ところで

五〇億人が住むこの世界のどこかに、あなたを受け入れてくれる人のなかで最高の容姿と資力を備え、頭が良くて、楽しく、やさしい人 /P306

 を相方にしたいと誰しもが思うはず。
 しかし、残念ながら一番頂点に君臨する人を見つけ、口説き落とすのは大変なので。近場にいる異性をパートナーとして選ぶ。あいのりの小さいバスの中でもカップルがうまれちゃったりするわけです。

 さて、ここからが「愛」の出番なのですが。客観的に見て上記の目的のみであれば、今の彼氏や彼女よりもかっこよくて(美人)で優しくて、金ももっているという素晴らしい異性が現れれば、乗り換えちゃいますよね?
 ここで、「愛」は、より良い条件の相手が現れるにもかかわらず、それが目に入らないようにする「目隠し」的な役割をすることになるということなのです。
(一卵性双生児の人とつき合って、そのパートナーじゃない、容姿も性格も似ているもう一人に何も思わない(ノンフィクション)のは、「愛」のおかげ)

 本の中では賃貸契約書を「愛」にたとえて説明しています。
 一戸建ての家を借りる事を考えた時。契約書には
「大家さんは借りている人に契約期間中は『出て行け』とはいわないこと」
「借りる側は契約期間中は住み続ける(金を払い続ける)こと」
 と書いてあるはずです。
 これにより、借りる人は、近所に友人を作り、旧知の友人にも新しい住所を書いたはがきを出すことができます。
 大家さんも、直ぐに出て行かれる心配がないので、宣伝や改装の資金を心配することなく、自分の趣味を楽しむことができます。
 逆にこの契約がなければ、大家さんは退去に備え家賃を高く設定するでしょう。そして、住む側も家賃は高くなる上に、友人への手紙は不変なgmailのメールアドレスしか載せることができないでしょう。
 ちょっとこじつけっぽいですが、賃貸契約書のおかげで、お互いに「より高い家賃で住んでくれる人に貸し変える事」や「よりよい物件に住み替えること」に興味すらわかないことになります。そしてお互いがこの「目隠し」によって、より大きな利益を得ることができます。

 同じように、「愛」という本能を人間が持っているからこそ、(特に女性にとって)大きな投資である子供を作ったりすることができる。「愛」があるから、妻に家や大事な子供を任せることができるし、夫に収入を一任することもできる。(どうも上手く言えませんが、信頼というのは大変重要な価値を生みます(精神的にも経済的にも))
 そーいう形で「愛」というのは人間に備わっているようなのです。そして、「愛」を証明する時っていうのは、顔が赤くなったり、自分の意図ではどうにもならない生理的なコストを伴って意思表示をすることになります。これ自体が嘘を付ける性格の物ではないという点で、愛という「契約」が効力を持っていることを証明できる。っつーわけです。

 もちろん、その「愛」というのは生物の進化の上でできたことを考えれば。子供が育つ間までしか継続しなくても不思議じゃないし。人間が期待するほど長い間の契約を保証するものではないとは思います。
 そこで人間はさらに「法律上の婚姻」をいう制度を作ったり。女性は男性に定期的に「愛してる?」と聞いたりするんだろうと。

 ちなみに、私の今の親は両方とも子供を作った上でのバツイチです。
 ちらっと話を聞けば、「愛」故に最低な相方と結婚してしまったクチです。どちらかといえば、この本を読んで「愛こえぇ」という印象のほうが強かったように思います。
 ってかそもそもこの家庭で「愛」を信頼するのはかなり無理がある(笑)

 私は、結婚相手などは一度「愛」をはずした上で考える必要があるとは思います。
 ただ、この本を読んだ結果、容姿や資力が一番でなくてもそこそこの相手であれば、この「愛」にゆだねて信頼し合っちゃってもいいのかもしれないなぁ。なんて。

追伸:
 ついに科学は「心」を解き明かすに至っているというのは大変な驚きです。
 上記の文章は、殆ど意訳であり、私が書くとかなりうさんくさい(そもそもこのテーマ自体があまり熱心に書かれていない)ですが、本物の文章は、かなり科学的な本で。十分信頼できる本だと思います。興味がわいた人がいたら、上中下全てを是非とも実際に本を手にとってを読んでみることをお勧めします。

アホ思考

 今日の学校の帰り道の出来事。

 宇多田氏ご推薦の洋楽をipodで聴きながら、「宇多田が自殺したら、つられる可能性があるだろうか?」なんて事を考えながら、春の陽気も手伝い、るんるん気分で帰っておりました。
 帰路は、ここ一年くらいで整備された自転車専用道路。夜間で人も歩いておらず結構スピードを出しているので、前方に注意を注いで走っておりました。

 そんな中、私の視線は前方から脇にそれ、一点に注ぎ込まれました。
(人間のサーチ能力はすごいものですねぇ。)
 その視線の先には女性の足!!
 黒いロングスカートにかなりキてるスリット。ちらりと見える長い足には、黒い網タイツ。

 視線を上に戻すと、欧米人らしき女性とパートナーらしきこれまた欧米人らしき男性。
 両者とも姿勢や歩き方も完璧で。うっとりとみとれてしましました。
 主に足に。

 その後、その二人を見送って。
「あれって、女性が同じ姿勢で素っ裸で歩いていても・・・だめだよなぁ
 なぜ素っ裸よりも長いスリットの女性に心ひかれるのか!?
 男にとっての「セクシー」とは何なのか。」
 そんな事を考えていました。

 とりあえず。素っ裸で歩いている人は頭悪そうなのでやめといたほうがいい。と言うことだけ結論として出ました。

 もっと先に考えるべきことがあるだろう。と言う突っ込みは甘んじて受けます。

これぞ最強のチラリズム

これぞ最強のチラリズム

『篤姫 第九巻』佐野元彦

第32話 桜田門外の変
 幾島が大奥を去り、
 井伊直弼が桜田門外にして落命する。
第33話 皇女和宮
 天皇の娘「和宮」が将軍「家茂」に嫁に行くという話が、
 そして篤姫に薩摩に帰りませんか?との話が。
第34話 公家と武家
 和宮嫁入り。武家風の威厳を保たねばならない篤姫と、
 公家風を保とうとする和宮とその取り巻き。
第35話 疑惑の懐剣
 和宮が家持ちの寝床に刀を持ちこんだとか・・・。

 ってなことで九巻。
 命というか人権の軽さを感じる時代だなぁと思ってきました。
 女性は政治の為にあっちゃこっちゃ行かされ、制約を受け。男は面子の為に命を自ら絶ち、又は絶たされ。最も、今でも戦争が起これば想像の付かぬ数の人が死んだりするわけだけど。
 でも、男の面子というか、心意気に感動してしまうのも、また日本人である証拠なのよねぇ・・・。

 序盤、篤姫に井伊直弼が茶を点てる場面。
 篤姫は井伊直弼の反対勢力を片っ端から処罰する政治のやり方に強い不満を持っており、その事を話すための場であったお茶の場。
 そこで、井伊直弼が「汚れた手で立てたお茶でいいのですか?」等といいつつ、篤姫に茶を点てる。ぴーんと張りつめた空気の中、篤姫が茶を飲み・・・。
「くやしいが・・・これほど美味しい茶は初めてじゃ」
と一言。
 この篤姫のお茶を飲んだ時の表情から、言葉からなにからなにまで感動のシーンでありました。

 篤姫と井伊直弼は完全に意見の対極にいる人物。その篤姫が井伊の意見を聞く。それだけでも、めちゃめちゃ凄いことだと。年をとればとるほど、その難しさが身にしみています。
 そして、その極論の二人が歩み寄り、最上の議論が生まれようかというところで、桃の節句3月3日、井伊直弼が殺される。しかも篤姫の出身薩摩の人間に・・・。

 和宮・篤姫・滝山といった女性陣の強いこと強いこと。いやー。かっこいいよあんたら・・・くぅ。
 篤姫の酒発見。