Monthly Archives: 4月 2011

There is no such thing as a free lunch.

 まっ黒な日記を目にするとしばし興奮する。という自分のフェティシズムに気付いた今日この頃。もちろん妙に改行が入っていたりとか、各行短かったり、絵文字沢山では興奮が薄れる。萌えるのはやっぱりまっ黒。
(まっ黒ってのは、文字がいっぱい詰まっていると言う意味です。)
 色々な想いがあふれ出ていて表現がパンクしそうな感じがたまらない。
 そういうの自分は書けない。まっ黒な日記。結論数行書くだけで満足してしまう。あとは引用。できないことに憧れる。これは人類共通に違いない。

 このGWは特に誰に誘われるわけでもないので、まったり本でも読んでいます。やっぱ人混みは行きたくないし。みなさんのまっ黒日記を楽しみにしております。
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 さてはて、GWの課題図書「スティグリッツ入門経済学」。→のやつは第3版だけど、読んでいるのは第2版。
 そもそも工学部出身の自分には経済学に対する素養というものが全くないわけで。そのくせ経済学に対する偏見があって「GDP増やすことしか能がない」と思っていたりします。経済学者が言うことは「成長」という言葉ばかり。気にくわない。それならそこで、敵と戦うには敵を知らねば。あとは、仕事柄まわりに経済学部の方が多い業界なので、基礎知識として。と思って読み始めたけど結構想像以上に面白いぞこれ。
 この本はとても読みやすい。数式は殆ど無いが、例が豊富で、具体的な数字もかなり与えられているので、イメージしやすい。計算したけりゃ勝手に計算できるし。これはお勧めできる。
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『365 DAYS』The West Wing/Sixth Season/Episodes12

よーやく重めの仕事が少し片づきました。

今回の話は結構心に響く物があった。
バートレット大統領は2期目7年を勤め上げ、最後の1年にさしかかる。
ホワイトハウススタッフは、それぞれの想う次期大統領候補の選挙運動へとシフト。
自然と、スタッフ同士も微妙な空気へ。
大統領を支えてきた首席補佐官レオは心臓を痛め退職。
大統領自身も抱えていた多発性硬化症を発症し、一時は執務が難しい状況に。
次期大統領という未来在るキーワードの影で、これでもかと現大統領率いる組織の老衰っぷりを描いていく。

そこに一度は倒れたレオが帰ってくる。
みなレオに挨拶しようとするも、忙しさで挨拶もそこそこで立ち去っていく。
結局仕事もなく誰も相手をしてくれない中、
レオは過去の一般教書演説のビデオを見ている。

その老衰のくたばりかけたようなレオが、
スタッフの目を覚まさせていく。
最後に、レオが夜中に官邸にスタッフを呼び出す。
ホワイトボードには「365Days」の文字。
レオがこれを一文字消して「364Days」に書き直す。
そして「That’s how much time we have left.」
 このままありきたりだけど、ホワイトハウスだからこそできることがある、なんかやり残したことはないか?という流れになっていく。
 「忙しさにかまけて、何か大事な事を忘れてはいないか?」そう言わせるために、レオと話す間もないような画の取り方をしていたんだ。ぱっと見レオがホワイトハウスにもう居場所がないんじゃないか?みたいな心配をさせておいて、チクショウにくい演出。

 この話は全体的に落ち着いたトーンで収まっていて、最後のホワイトボードのシーンも特段の盛り上がりを見せるわけでなく終わっていく。この前の話までは次期大統領選だとかなんだとかで、かなりテンションが高かったのだけど、ここにきてコレはいい場面だった。
 こーずっとここまで見てきた気持ちとしては、過去の一般教書演説の言葉だとか、トビーとレオのやりとり、大統領とレオが健康食をまずいまずい言いながら食べているシーンとか、夜に急に呼び出すのなんて定番のGOODシーンですし、ホワイトボードのシーンにジョシュがいないことの寂しさとか、あーたまらん!明日も仕事頑張ろう!

矯正歯科20110423(けらけら)

1日に3回記事を上げる時は。。。

前回色々な検査を受けてきて、今回その結果を聞いてきた。
歯の問題の数に応じて1から15まで段階があって、
「オマエはリスクⅩⅡだ」
と宣告。
「うちの歯科で普通扱うのは10まで。12以上は異常なレベル。」
だそうで。私は12(笑)

今日の感じでは
全体で金額150万。(当初の想定80万円)
期間3~4年。(当初の想定1~2年)
抜く歯の本数8本(当初の想定3~4本かな)
入院2泊3日(想定外)
さらに、まだ口腔外科の人と相談しないとなんとも。と言われる。
一部は保険適用の治療になりそうだとか。

 いや、震災後、義援金出したりその他大型の損失があったりで、数十万飛んで行っていまして、矯正自体悩み始めていたところなのですが…。少なくとも完全矯正は断念ほぼ決定。
 しかし、「矯正しなくてもこの親知らずは抜いた方がいい。普通横向くんですけど、下向いてますね(けらけら)」とかいうのがあって。矯正せずともやることはありそうだし、自分の状況は知っておきたい。まあエライことになってまいりました。

 それにしても顎のレントゲンとか結構ショックであった・・・。
先生「全然左右形が違うでしょ?左が特に悪い。左顎、音がなるでしょ?」
私「いや右しかなりませんが・・・」
先生「ははは、音も鳴らないほど悪いということですね」(けらけら)
二人で(けらけら)

さすがに凹むわ!
また文章にしてくれるらしいので、詳細は後日チマチマと。
はぁ。わらっとこ、わらっとこ。ネタにするしか無い!
(けらけら)

声を上げますか、それとも泣き寝入りですか←河野太郎

一日に2回記事が上がると、家で暇していると思って頂いて正解です(笑)

敬愛する、個人献金も入れている河野太郎氏のメルマガ。
(ネット上でも見れます⇒声を上げますか、それとも泣き寝入りですか
東電に対する意見の上げ方という視点で書いてあるけど、
自分としては「政治家に対して意見を上げる最も有効な手段」という意味で大変価値があるなと。

以下、河野太郎「ごまめの歯ぎしり 11年4月23日号」から全文を転載します。

たくさんの方々にメルマガ、ブログを読んでいただき、誠にありがとうございます。

しかし、これで終わってしまっては意味がありません。

東京電力の福島第一原子力発電所が起こした事故の賠償金を国民の電力料金を引き上げてまかなうという、政府の東京電力救済案には反対であるというインターネット上のみなさんの意見を、現実の政治に反映していかなければなりません。

ではどうすればよいのか。

地元の国会議員に皆さんの意見をきちんと伝えてください。

どうやって?

あなたは、あなたの選挙区で選出された国会議員がだれか知っていますか。知らなければ調べましょう。衆議院議員と参議院議員がいるはずです。

誰かわかったら、その議員のホームページで、事務所がどこにあるかを調べてください。場所がわかったら、訪ねていきましょう。遠慮することはありません。そのための事務所です。

今、通常国会が開かれていますから、国会議員は平日は国会にいることが多いので、地元の事務所に行くならば、平日なら月曜日か金曜日が狙い目です。

議員がいなくともかまいません。地元の秘書さんにしっかりと、救済されるべきは被災者であって東電ではない。東電が支払うべき賠償金を全国の国民の電力料金を引き上げて、国民に負担させるのは筋違いであると指摘して、現在報道されている政府の案に、議員がはっきりと反対の声を上げることを求めてください。そして、このことを議員に伝えるだけでなく、この件に関する議員の考えをこちらに伝えてほしいとお願いしてください。

具体的に議員がどう動いてくれるのか、それも教えていただきましょう。

事務所が遠かったりして、訪ねて行きにくいならば、電話をしましょう。電話に出てくれた相手の名前をうかがって、同じことを伝えましょう。電話ならば、一週間後にかけ直すので、それまでに議員の考えを聞いておいてくださいとお願いしましょう。

メールやFAXもありますが、やはり、訪問したり電話をしたりしたほうが、皆さんの考えをしっかりと伝えることができます。

よく、署名活動はどうでしょうかと聞かれます。集めた署名をどうするのでしょうか。

国会への請願という手段もありますが、個々の議員には請願は伝わりません。しかもたいていの場合、委員会で保留ということにされて、文字通りお蔵入りです。努力の割に効果がありません。

デモはどうでしょうか。こういう活動をこれから始めるぞという勢いづけにはいいかもしれません。もし百万人が集まって、東電を救済するな、被災者を助けろとデモができれば、意味があると思います。

五十万人ならば? たぶん。十万人ならば? たぶん。どこでやるのが効果的か考えましょう。

しかし、やっぱり効果的なのは、国会議員それぞれに、大勢の皆さんがきちんとそれぞれのおもいを伝えることです。

リビアと違って、政府軍が銃撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかに連れて行かれて行方不明になることもありません。

声を上げますか、それとも泣き寝入りですか。

借金か節約か

 ちらっと「一円玉の旅がらす」という文字を見かけて、久しぶりに聞いて感動しておりました。小学校から帰る道すがら歌っていた記憶がほんのりあります。みんなの歌の中で一番歌ったかも知れない。
 当時知る由もなかったですが、1989年に消費税が導入されて1円玉の流通も増加。そして、その翌年この曲が流行ったようで。面白いもんだ。

一円玉の旅がらす
ひとりぼっちで どこへゆく
一円玉の旅がらす
あすは湯の町 港町
一円だって一円だって
恋もしたけりゃ夢もある
ああ 出世街道どこへゆく

作詞:荒木とよひさ
作曲:弦哲也

 あの頃は、商売人の息子という自覚があって「一円こそ大事にしないといけないんだ!(小学生)」と思っていたような気がする。可愛いぞ俺。今でも思っている。ウザがられているぞ俺!
——
 今回の復興で20兆円かかるとかなんとか。
(20,000,000,000,000 ← 数字だけみてもなんかすごい)
 いきなり脱線するけど、某弁護士さんは事務所に一千万円の束を置いてるらしい。
 お客さんと金の話をする時に出す。するとお客さんと実感のある金の話ができるんだと。
(ちなみに、上三枚だけが本物だそうで)
 こういうの実感って大事やわ。

 元に戻す。こーいう財源の話になったりすると
・増税すると景気が悪くなる!まずは借金してでも景気を良すれば税収が上がるじゃん!
・減税すると税収が減る!国の債務(金利・物価)が大変なことになる!

 こーいう議論が絶対に起こるわけで。この議論について、自分なりに理解しようとしてみるんですが、正直よくわからん。多分言ってる学者達も確信を持っているわけではない。そこで、自分なりに両者の言い分を理解してみたいと思うわけです。

とある一つの自営業の家庭
旦那「アコムで金借りて取引先と飲みに行ってくるわ。」
奥さん「やめてよ、今でも赤字でかつ借金多いのに、返せなくなったらどうするのよ!」
旦那「こういう日頃のおつきあいが仕事を持ってくるんだ!」
国債を増やす、という議論をこういう例えはできると思うわけです。
皆さんならどうします?
そもそもこの経営者は赤字です。
「借金すべきでない」と言う人が多くなる気がします。

ちょっと例を変えるとこうなります。
こんどはとある一つの部活
部員「アコムで金借りてバット買って下さいよ」
部長「アホかそんなん無理に決まっとるやろ。落ちてる鉄パイプで我慢しろ」
部員「なら別の部活に行きます。」
この例だとどうか。金借りないと廃部になりかねない。
廃部が絶対に嫌だとしたら、アコムかどうかはとにかく
「金を借りるのもしょうがないんじゃない?」
と言う人も結構でてくるかなと。

 何が言いたいかというと、節約というのは共同体のコミュニティーの強さによって可能な範囲が変わってしまう。家庭であれば「節約しよう」は通る。でも部活だとひょっとすると「別の部活に行きます」と言われてしまう。あるいは、部活の絆が強ければ、節約できるかもしれない。
 家庭でも部活でも構成員がいなくなるならそれは終わり。
 日本国は借金が膨大に今ある。でも日本国が大事なら、
「節約しましょう。」
やっぱり本来はこれが一番正しいのだと私は思う。借金多い時に、新たに借金して博打打つ事が間違っているというのは、ほぼみんなの共通認識だと思うわけで。

 こそこそせずに「この国で暮らしたい。この国で税金納めたい。」っつー国にせないかんわな。やっぱりソコが先進国の強みだろう。
 破綻してからじゃあ遅いわな。

平山郁夫シルクロード美術館

平山郁夫
1930年6月15日広島に誕生。
1945年8月6日原爆で被災。
1959年原爆後遺症(白血球減少)
このあたりの自身の経験が、かの玄奘三蔵(三蔵法師)に重なるところが多いことに気づき、玄奘三蔵を調べるほどにどっぷりはまっていく。というのが平山氏の基軸のようだ。
 アジアのシルクロードをめぐり、それぞれの場所でスケッチをし、絵に収めていく。調べてみると50年で60回近くシルクロードの旅に出ている。
 それぞれ、地で現地の女性の絵を描いたり、ただの岩の風景があったり、とにかく片っ端から描いていったんじゃないか平山氏。愛を感じるのは、タリバンに破壊されたアフガニスタンの遺跡を1年以内にスケッチに行っていたりすること。この時代は自分の記憶にも新しく、妙に生々しかった。同じ時代に生きている画家の作品というのはまた全く意味が変わってみるものかもしれない。
 ピースをしていた石造(?)のスケッチが何だったのかは謎である。

 ところで平山氏はWikipediaを見ると、どうも外国で評価をされていないようだ。平山氏の絵はすごくわかりやすく、見たものを見たまま描いているように思う。美術館で思わず目に留まったのは旅先で書き溜めたスケッチブックの展示。これを見て漏れでた感想は「見た風景を絵に落とせると、さぞよいだろうなあ」。
 写真で撮ったものよりも、絵で書いた方が、見たものの再現性に優れている。もちろん絵の技術を前提として(優れた写真屋を否定するわけじゃないけど、やっぱり絵が優れていると思う)。
 絵を色々見ているわけでもなく、教育を受けたわけでもないのに、勝手に語るけど、モネの絵を見たときモネの主張というか感情がドサドサ入ってくるようで辛かった経験がある。でも、平山氏のものは「あーこうやって見えるんだろうなあ」と思わせる絵だった。外国では意見が感じられないと絵にも意味がないのだろうか。
 たまたま美術館内の書籍で見つけたのだけど、「広島生変図/1979年/広島県立美術館」という絵があって(広島にあるらしい)、この絵の中には不動明王が描かれている。原爆から30年以上。やっとその時に見たものを描けるようになったのかなと。これは現物を見に行きたい。

 この美術館に訪れた日、盆地一面を覆う桃の花を見た。この桃が美しいのは生活の中で咲いている桃だからだ。人の営みは美しい。
 桜が舞い散る恵林寺にも行った。鳥がばさばさ音を立て、庭の水が流れる音が響く。池は桜の花びらで覆いつくされ、波紋が美しい。その脇では鴨が1歳児のごとく飯にがっついている。訪れたわれわれも一歳児の視点で寺を眺めた。
 いくつかカメラに残しては見たけど、この風景は平山氏を呼んで描いてもらうしかない。でも、富士が絶えずこっちを見ている気配まではさすがに平山先生でも描けないかな。

 同じたびでよっぱらったおっちゃんの日本悲観論を聞いたり。うめー弁当食ったり。小学校の廃校で少々遊んだ。日本書紀の話も聞かせてもらった。まー色んなことを考え、色んな話をした。
 ふと思うのは、画家という職業はその一面を切り取る仕事。逆に言えば、絵を見てもやっぱり一面しか伝わらない。そう思うと辛い職業だなあ。それに、人間はそんだけすごい量の処理をしているんだということでもあるわけで。あー途方もない一日をすごしているんだなあ。
 この文章を書き終え、この旅の始まりから丁度24時間くらいになる。

 以上。言葉が1/3でも伝わっていてくれていれば嬉しいわけでして。そしてこれからも、少しずつ言葉を吐き出すので、少しだけでも受け入れてもらえるならこれに越した幸せはございません。また、是非貴君の意見を聞かせていただきたいと思っておるところです。今後ともよろしくおねげえいたします。

さてさて愛知に帰ります。
山梨のマンガ喫茶にて旅の余韻にふけりながら
自己陶酔型の恥ずかしい文章を書くの巻
4/17 AM6:00

自粛から考えることウダウダ

※追記:いつまでも自粛していればいいなんて勿論思っておりませんし、「自粛は良いことだから、もっと自粛しようぜ!」とか言うことが言いたいわけではなく、自粛したい人はすればいいしそれは周りも尊重できればいいなあと。自粛すべきでないと思う人は、もちろんそれでいいのだ。と言うことが言いたいだけであります。

 自分の座っているところはゆれていないのに、余震の情報などを見ると、必要もなく申し訳ない気持ちになります。神も仏もないのか。いるのはトイレの神様だけか!?

日本国憲法
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 自粛騒動で思うことがちらほらあるので、思うままに書き殴ってみる。バシバシ

東京都>知事の部屋>東北地方太平洋沖地震・東京都知事発言
(前略)
 なお、上野公園で、花見・宴会を規制しています。花を愛する日本人、桜が好きな日本人が、花見をしたいというのは分かるけれども、私は少なくとも夜間、明かりをつけての花見などというのは自粛すべきだと思っております。

 マスコミの報じ方は例のごとくよく知りませんが、Twitterでは随分石原さんは叩かれていました。でも、原文を読めば大した事言ってない事がよくわかります。天罰発言も前後を聞けばそんな怒るようなことでもないと個人的には思っていたりします。
 ところで、それ以前から「自粛すべきだ」という意見と、「自粛すると経済が縮む!自粛反対!」みたいな意見の対立をTwitterなどでちらほら見かけました。
 少し根深い問題なあと思って眺めていました。「自粛したい」というのは感情。「自粛すると経済が縮む!」というのは理性。感情と理性で議論しても結論は出ませんね。それでも、お互いがお互いを説得しようとしている。外から見ればもどかしいもんです。

 ところで「自粛したい」という感情はどっから来るのか。そんなことをうだうだ考えていました。
 自己防衛や目立つのを避けるためだとか、なんやかんや考えてみましたが、「相手に感情を合わせる」と言うところが一番しっくり来るように思います。
 相手が笑っていれば一緒に笑う(実際笑っている人を見ると、顔の筋肉が勝手に笑う体制に入るそうですな)。誰かが悲しんでいれば一緒に悲しむ。普段、人間はこんなふうに他人と心を近づけようとする。コミュニティを強固にしようとする。
 その延長線上に「自粛」はあるのかなと考えたわけです。
 今恋人が避難所にいる人がいて、そのカップルが再開を果たした時に、
「キミが避難所にいる間、僕も悲しかったよ」と、
「キミが避難所にいる間、僕は普通に生活していたよ」というのでは、
前者の方が二人の愛は深まるような気がするわけです。
 何が言いたいかって、「自粛したい」と言う気持ちは、被災した人たちと心を一つにしようと言う大変尊い気持ちだと思うわけです。それを、経済がなんだとか言う理由で説得しようと言う考えは悲しい。
 どうしても感情面は、数値化したり効果として実感しにくいので、ないがしろにされがちですが、「なぜ人は自粛をするのか」と言うところを、考えてみてもいいのかなと思うわけです。

 次に「自粛すると経済が縮む!」という意見について。
 これも正しい意見だと思います。実際に金が使われなければ金が回らなくなって、雇用が失われたり、税収が減ったりして、国全体が疲弊し、もちろん復興に影を落とすことにもなろうと思います。税理士とかいう仕事をしていると、この言葉の大事さは極めてよく分かります。
 飲食店で100円使えば、20円が飲食店店主、20円が従業員、20円が仕入先、20円が農家、20円が税金として国に行く。と、色んな所にお金が流れていくわけです。そしてそれぞれがお金を使うことで又回っていく。

 まあでも、ちらっと違うことも考えたりしていて、経済を良くする目的は「金を回すこと」で「消費すること」は金を回す手段の一つに過ぎないとも言えるわけです。金を回すためにはそのまま現ナマを差し出してもいいわけです。
 さっきの例で行くなら20円を飲食店店主へ寄附、20円を飲食店従業員へ寄附、20円が飲食店の仕入先へ寄附、あとの40円でスーパーで食材を買ってご飯を食べる。、現物を渡したって同じなわけです。むしろそっちの方がもらった側は嬉しいし、経済にはよりよいわけです。飲食店の店主と従業員は 働かずして金が貰えるんだからその時間で子どもを育てる時間に回したりできるわけだ。
 もしこれを実現可能なレベルに落とせば、多少静かに生活して、普段遊ぶ部分は被災者に回せば。自粛と経済を回すという行為が同時にできる。そーいう手段もあるかな。と思わなくもない。

 ところで、元々私の場合「消費をする=良きこと」という等式をどうにか壊したいと言う考えが常に根底にあるわけで。。。
 ちょいと話はずれますが、今回「消費すること」の弊害が、原子力発電というシステムを通して思いっきり顕在化してしまったと大げさに思っていたりします。
 例えば、数ヶ月毎に新しい機種が発売される携帯電話。これは「消費させるため」以外の何者でありましょう。この携帯電話のために工場が動き、電力を食う、そしてその電力を賄うためにリスクのある原子力発電所が建てられる。「経済が回る」と言う点を外せば携帯の新機種なんて今の100分の1くらいの数で十分なはず。
 これもさっきの飲食店の例と同じで、もし新しい機種が発売されず、購入するはずだった人から、その携帯電話相当額が、消費されたかのように、携帯電話会社の役員から原発労働者までに配分されれば、電気も原材料もいらず経済が回るわけです。そしてお父さんは早く家に帰って子どもの世話と過ごす時間もできると。

 そもそも日本で「消費すること」を望んでいる人は減ってしまったように思います。少なくとも私の周りは「普通の生活ができればいい」と言う人も多いわけで。経済を回す必要はある。しかし「消費」という手段ではどっかにしわ寄せが来る。どーにか別の手段を見いださないといけない時期に来ているように思います。「しょうがないから原発」こんな言葉を聞く度、腹立たしい感情でいっぱいになります。

 自粛しても回る経済。必要ない物を作らなくてもよい経済。そんなのはくだらない実現不可能な理想なのでしょうかね。

めいしんこーそく

→→プロジェクトX 挑戦者たち 「日本初のハイウエー 勝負は天王山」←←
 久しぶりにGYAO!なんぞ見ておりました。そう言えばYahoo資本になっていたんだっけ。GYAO!の時代がくると思っていた時もあったなあ。今や動画コンテンツはニコニコ動画やYouTube。ネットは結局積極的に情報を取りに行くところなので、より専門性の高いコアな情報じゃないと受け入れられなかったということだろうか。
 見たのは名神高速の建設プロジェクト。地形や天候を克服しつつ如何に作っていくか。やっぱり職人ってのはカッコイイ。どんなでかい建造物でも自分と同じような人間が作っている事が実感できるからプロジェクトXはいいよね。

 ところで何となく面白いなあと思ったのが、高速道路が日本の自動車産業にとって非常に大きな要だったらしいこと。

(名神)
1958年3月19日 : 松永安左エ門の私設シンクタンク産業計画会議が「東京-神戸間高速道路」の建設を政府に勧告。
1963年7月16日 : 日本初の高速国道の開通区間となる栗東IC-尼崎IC開通。
1964年4月12日 : 関ヶ原IC-栗東IC開通。9月6日 : 一宮IC-関ヶ原IC、尼崎IC-西宮IC開通。
1965年7月1日 : 小牧IC-一宮IC開通により、全線開通。
(東名)
1968年4月25日 : 東京IC-厚木IC、富士IC-静岡IC、岡崎IC-小牧ICが開通し、小牧ICで名神と接続。
1969年2月1日 : 静岡IC-岡崎IC開通。
1969年3月31日 : 厚木IC-大井松田IC、御殿場IC-富士IC開通。
1969年5月26日 : 大井松田IC-御殿場IC開通により、全線開通。
Wikipediaより

以下はトヨタ自動車の自動車生産台数。

台数
1962 230,350
1963 318,495
1964 425,764
1965 477,643
1966 587,539
1967 832,130
1968 1,097,405
1969 1,471,211
1970 1,609,190
1971 1,955,033
1972 2,087,133
1973 2,308,098

戦後日本の自動車産業と臨時工/伊達浩 より勝手に引用

 高速道路ができたことで、国内需要が増大したってのは私の勝手な妄想。
 またスピードの出せる車の開発等につながったと言う面があるようで、当然輸出するに当たっては、スピードがより重要にもなるわけで。これはプロジェクトXのナレーション。

地方自治体は、トヨタの工場立地戦略に合わせて計画道路整備してきたといわれる。69年には東名高速道路が開通したが、トヨタ元町工場の至近距離に豊田インターチェンジが作られ、これによってトヨタはさらにいっそう有利な広域交通条件が与えられた。
97年度 望月宏ゼミナール 2年次進級論文 E08-0275H 鎌田 大介
より勝手に引用

 ちなみに1964年10月10日~24日には東京オリンピック開催。
 高速道路もオリンピックに間に合わせようとして作られた物なのかな?1964年10月1日には東海道新幹線も開業。なんかあっちもこっちもお祭り騒ぎだったに違いない。

 なお、番組内で在庫率を下げる事が高速道路建設の一つの目的だったとあるけれど、

1965年度の日本経済をみると、64年度半ばから進行していた不況は65年に入ってから製品在庫率が上昇し、企業倒産は増大し、卸売り物価や株価は下落した。
戦後日本経済の歩み/士志田征一

とあり、その役に立ったのかは不明だなあと。

 なんとなくあわただしい時代の空気を感じてみたのでした。1960年代の小説とかあったかなあ。安保闘争とかが直前くらいなのかな。やっぱりあわただしい。