Monthly Archives: 6月 2011

クライミングジムの守護神

パンケーキにドライフルーツをねじ込んだような壁
ドライフルーツに群がる汗くさい男達(※1)
ドライフルーツをじっと見つめる男達
こいつら集団競技は苦手に違いない
総じて痩せ形で腕以外の筋肉は心許ない(※2)

そんな男達をぶったおれないように
ひっそりと見守る神がいる
エアコン
そう、奴の名はエアコン

(※1)女性も沢山います
(※2)マッチョマンもいっぱいいます

ようなゲーム11’6/21-25

夕暮れの空は、溶け出したチョコレートのように甘ったるい色をしている
朝日を浴びたレースのカーテンは、流し素麺の様にキラキラ輝いている
観葉植物が、勢いのあるシャワーを天井に向けた時の様に不安定に揺れている
この観葉植物はたこさんウインナーを逆さにしたような形をしている
今日の夕暮れは、白カッターシャツに醤油がついてすぐ落とそうとして微妙に落ちきらなかった時のような色をしている
ハンガーがベッドと壁に挟まれて、ふとんの海に溺れそうになっている

大した物がないけどこれでも相当頭にストレスが・・・。
俳句とかより頭使う。

保険を買う時に気を付けること

 周りに結婚や出産が増えて参りました。それぞれに扶養する相手ができ、自分にもしものことがあったら。そんな事も考えねばならんわけで。母子家庭なんて金銭面はほんと大変なわけで。お客さん(会社)の従業員さんの結構過酷な話なんかも聞かせてもらいます。行政なんてほんとアテにならない。
 最初新卒で入れば初任給月20万強から着々と上がっていき、5~6年で月30万くらいいっちゃってる人もいるかも。しかし、一度辞めたりすれば、一気に下がって18万とかそれ以下とか。あるいは時給でパート。それで子供まで育てるんだから大変なことです。

 そう言う時に助けになる保険というのはやっぱりありがたい制度です。
 ただ、この保険どーも入りすぎている人がいる。リスクを取るために入ってるのに、リスクが増えている人がいる。真剣に気になっています。一応ここ数ヶ月保険の資格等もとり、研修などにもでかけています。ただし契約までやった実務経験はほとんどありません。
 その代わり全体の支出の中で、収入の中で保険がどういう位置づけなのかというのはたかが数年されど数年。見てきています。ちったー役に立てるかなと。
 知人が読んでいることを期待して、この文章を書きます。
「保険は家の次に大きな買い物です」ってのは保険マンが良く言う言葉ですね。しっかり考えて見ましょう。

 私が保険の役割を分けるなら2つに分けます。
・保障
・資産運用(節税)
この2つは別個にして考えるべきです。

 言いたいことから書くために2つめの「資産運用(節税)」から書いてみます。学資保険や養老保険、外貨建てなんちゃら、なんて言うものが多いでしょうか。積立の保険と言った方がわかりやすのかも知れません。
 資産運用系の保険は「満期時には払い込んだ金額よりも大きな金額が戻ってきます!」とかいう言葉で勧誘されます。今だと外貨建てで利率もいいでっせ!なんて言う言葉が付け加わるでしょう。外貨でリスク分散です!みたいなのも常套句です(私も研修で練習させられましたハイ)。外貨だと年利3~4%の数字を提示されるんじゃないかな。
 これは保険会社に任せてお金を運用すると言うことです。ちなみに、保障がサービスで付いてくるなんてことは当然なく、掛け捨て分の料金がきちんと上乗せされています。計算すると実にぴったり。
 資産運用となると、「銀行預金」「投資信託」「外貨預金」「株式」等色々な選択肢があるわけですが、保険会社に任せることにメリットはあるのか、当然他の商品との比較検討が必要です。商品の比較検討さえ嫌なのなら資産運用なんてやるべきではありません。掛け捨て保険にして、残りを貯金しましょう。

 で、保険会社に運用を任せると利率は他に比べると良かったりします。下手な定期普通預金よりは確実に利率がいいでしょう。その利率の反面、大きな落とし穴が存在しており、それが「中途解約」です。即ち満期前に解約すると大変大きな痛手を被る可能性があるのです。
 銀行の普通預金に100万円を10年満期で預ければ101万円くらいにはなってくる。5年で解約しても100万円は下回らないでしょう。
 しかし、保険会社に100万円預けて10年立てば110万円くらいになってるかもしれない。しかし、5年で解約すると95万円だったり90万円だったり。商品によってはもっと悲惨な金額(70万や60万ってことも!)だったりするわけです。
 なぜ、保険に入ろうとしているのか。それは普通「もしも」の時に備えるためです。十分な貯蓄が無いから保険に入ろうとしているはずです。保険でカバーされる「もしも」は限定されています。例えば死亡保険に勤め先の倒産は勿論含まれない。(上手いこと自殺してくれれば別でしょうが。)保険に入って5年後勤め先が倒産した時、保険会社からお金を引き出そうとすると、資産運用したお金はほぼ確実に元本割れするわけです。高々数%の利息を取るために、大きな損失のリスクを負うわけです。
 そして、実際の事業会社の経営者がこれで随分苦しめられているのです。「10年後に同じ額帰ってきますから」と言われて、何らかの資金が必要になって5年後に解約。多額の損失を被る。保険に入ったために新しくできたリスクです。
 友人の家で高価な壺割ることだってあるかも知れない。

 余談ですが資産運用の保険は、相続税の節税対策としては非常に優れています。
 相続税は「死んだ時」の財産の金額等を元に計算するのですが。
 保険を使えば、100万円預けた瞬間に、貰えるお金が80万円になったりします。その80万円しか解約返戻金が貰えない内に相続が起きれば財産が目減りして少し節税ができたりします。そして10年後相続人が100万円貰えればしめたモノです。
 なおこういう人は途中で解約する必要はまったくないほどの金を持っています。

 「満期時には払い込んだ金額よりも大きな金額が戻ってきます!」こんな言葉を保険屋さんにかけられたら、穴が空くほど解約返戻金を眺めてください。そして頭に地震雷火事親父ありとあらゆるリスクを想定して、中途解約は絶対にないか。他に貯金はあるか。よくよく考えるべきです。自分だけでない、親族に急用の金が必要なこともあるかもしれませんね。
 さらに、保険会社の倒産というリスクも十分あります。普通預金はご存じのように1000万円守られますが。数年前の保険会社が潰れた例では保険金や解約返戻金が1~3割くらいカットされていました。一般的に銀行よりも保険会社の方が潰れやすい、潰しやすいと言われますね。
 掛け捨てなら保険会社の倒産は大したリスクじゃないですが。

次に「保障」についてですが
 一番考えるべき点は、その保険でカバーされる以外のリスクを山ほど負っていることです。保険料払ってその保険事故が起きればいいですが、他の事故が起きれば、その保険料分リスクに対応できなくなるわけです。
 もちろん大きなリスクに備えて保険にはきちんと入るべきです。しかしすなわち自分の身の丈に合った高すぎない保険に入るべきでしょう。まあおもいっきり賭けてギャンブルにいそしむのもいいですが。
 今放射能を畏れて福島市から避難している人は余分な保険料分が貯蓄になっていただけで随分助かったことでしょうね。

 どうしても、「恐怖」を言われると、過剰に対策をしたくなってしまします。しかしそれ自体が気付かぬ内に新たなリスクを呼び起こしていることがあるわけです。ちょいとコンなことを頭の片隅においといてほしいなあと切に願うところです。
 たった2500文字程度の事ですが、この程度の事で苦しんでいる人が結構沢山います。ってかこの仕事始めるまでこんなこと知りませんでした。私の同期は20代後半。これから保険に入るところでしょう。既に入っているかも知れません。しっかり自分のリスクと向き合って欲しいなと思います。
 泣きっ面に蜂。なんて言葉を聞きたくないよ。

5行だけ読んでくれ。5行で飽きたら去ってくれて結構だ。

 大それたタイトルにしてしまって書きにくくて仕方がないのだけど、本来こんな自信に溢れたタイトルなんぞつけられるわけがないわけです。ぐすん。

 今日はしょうがなくタイトルは決め打ちで。このさぼりがちなブログをちまちま更新してみるのです。どうしても我々は筆無精であり、手紙は愚か悪筆をさらす必要のないブログなんかでもサボってしまう。でもさ、なんだかんだ普段の出来事や思っていることを発信している人の方がやっぱり身近に感じるし、さらにそれが自分に宛てた直筆手紙なら結構嬉しいに違いない。
 やって損はしないんだから、文章書いてみませんか?そしてどうせ書くなら読者が嬉しいと思う文章書きませんか?ってな提案をしてくれるのが、遠藤周作「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」。多分タイトルはうちの本の中で最長じゃないかと思う。ちなみに遠藤先生は直筆の手紙を勧めておられるんだけどね。
 ところで良い本の紹介をしようと思うと、特に中身を紹介しようとすると、最近いつも同じ悩みにぶち当たる。もとの文章が良すぎて、何一つ無駄な文章がないことに気付くのだ。一度引用し始めるときりがない。部屋の一部分を掃除し始めると別の汚い部分が目に付き、結局全部掃除しないと気が済まない。そんな感じだ。
 それでも少し紹介してみる。

 ぼくの経験からいいますと、筆無精には大体、三つの大きな原因があるように思われる。
 第一の原因は、手紙の中で名文を書こうという気持ちから生ずるものです。あるいは手紙にはなにか手紙特有の書き方があるような錯覚をもっているため、普通のなんでもないことならスラスラと書ける筈なのに、わざわざ便箋にむかって、「背景、貴下、清栄の段、奉賀申上げ候」こんな文章で書き始めねばならぬと思いこんでいるためです。

 これは、このネットで気軽に書ける時代になって、大分無くなった気がするけど。直筆の手紙となるとやっぱり少々思いますわな。他にも原因が2点紹介されているけど、興味がわくなら買って読んでみると良いと思う。

 もういっちょ「ようなゲーム」というのを紹介されています。
 遠藤先生が作家になるために行ったという良い文章を書くための訓練だそうで。
1.まず適当に外を眺める
2.爺さんの頭は□□□のように光っていた。
 というような文書を作り、□□□に適当な字を当てはめる。
3.ただし
 ・普通、誰にも使われている慣用句は使用せず
 ・しかもその名詞にピタリとくるような言葉を
 なおこれは引用ではなく私の要約ですが、これを遠藤先生は文章が下手と言われひたすらやりまくっていたそうです。

 ちなみに、一番この本で言いたいことは「読み手の身になって」ということのようです。
 このブログ一個書くだけでも10人20人の顔が思い浮かびます。遠藤先生は小説を書く時何を考えていたんだろう。ちょいと不思議ですな。
 私は過去に送った数々の恥ずべきメール手紙なんかを反省したのでありました。

 ところでこの本、没後10年後に出版された本だそうで、未発表原稿だったようです。さらには、文章自体はさらにその35年前のもので、病床にいる遠藤先生が書いていたとか。文章の中にはお見舞いの例文などが結構多く、病気の中で文章と向き合っておられたんだろうなあと、しみじみ思うような内容でした。
 私は蓋し名著だと思います。

[ようなゲーム]
灰色のTシャツが床に無造作に置かれている。
まるで固まり損ねたアスファルトの様である。

進む道


宇多田ヒカルは著作「点~ten~」の中で

 自分のことがよくわからなくなったり、人生に悩んでもやもやした気持ちが溜まることもあるだろう。そんな行き場の無い不安やストレスを、遊びまくったり酒飲みまくったり女遊びしたり、カラオケで歌いまくったり、バッティングセンターで発散するのもいいけれど、それらはその場しのぎの逃避でしかない。いくら体が疲れても、なんか疑問が残んない?
 もやもやを振り払うたった一つの方法は、例えば、歌を創る、文章を書く、写真を撮る、絵を描く、といった創作活動なんじゃないか。それもまた逃避の一つではあるけど、やみくもにエネルギーを無駄遣いするのとは大きく違う。

 全面賛成はしないけど、自分の存在が危ういなあと思った時、カメラをもって出かけると随分すっきりすることに今更気付いた。なんやろうね。やっぱり内面と向き合うことで自分を意識できるんかな。
 どうも梅雨はいかんね。ちょっとカメラを持ち出す機会を増やしてみようと思う。

『焼却炉行き赤ん坊』西村賢太

 西村賢太、エライ作家さんですねえ。
 ちょっと外出中に暇な時間ができて、熟考もせずに買ったんだけど。うむ。

それまでは父が単なる強盗事件を起こしたと聞かされていたが、町田市立中学校3年の時、父が起こした事件が性犯罪だったことを知り、その衝撃で2学期頃から不登校となる。卒業後は進学せず、家を出て東京鶯谷の家賃8000円のアパートに下宿。やがて、家賃を4ヶ月滞納したまま1年半で鶯谷のアパートから強制退去処分を受け、飯田橋、横浜市戸部町、豊島区要町、板橋などでトイレや風呂のない一間のアパートに住み、家賃滞納と強制退去を繰り返す。

 wikiより引用。こういう人らしい。『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の私小説らしい。女性が気持ちよく読むことは難しい気がする。女を殴り、女の親からも金を巻き上げる、友人はすべて金を借りる対象。
 なんかね、作者の気持ちを考えると、中なか悔しいモノがあるね。にやにやしながら「俺みたいな駄目な男みて自分を慰めたいんだろう?」ってな事を言われているような。このおっさんの場合、金目的の発刊だろうとか考えてしまいますわ。

 そして、結局この小説見て溜飲おろしてたりするわけだけど。