『世界史』William H. McNeil(ギリシャ編)

前回
『世界史』William H. McNeil
を書いたのが2012年4月22日一部読むのにどれだけかかっているんだか(苦笑)

 第1部はBC500年くらいまでで「ユーラシア大文明の誕生とその成立」と銘打たれ、BC8500年~BC7000年程度の食糧生産の発達。BC3500年~BC3000年ごろのメソポタミア、エジプト文明の出現。ちょいと遅れてインダス文明の出現。徐々に広がりながらBC1700年ごろに戦車等が開発され始め、大きく権力の変化に影響を与える。BC500年までにはギリシャやインド、中国にも文明がはっきりと現れている。
 ありとあらゆる、現在の起源を探る章だったと思うわけです。特に宗教。

 で、ようやく読み終えた次章第2部。せっかく読み終えたので、全部書こうと思ったけど、ギリシャで盛り上がりすぎたので、ギリシャまで。
 相変わらず自分用まとめで、他者からは読むに耐えないと思いますがすみません。

『第一部諸文化間の平衡状態 紀元前500~紀元後1500年』のギリシャ部分

 この2000年間は「なによりもまず、文明の生活スタイルが、そのまわりの未開文化を圧して、時には、失敗を犯しながらも絶えず更新していく過程である。それはまた、中東、インド、ヨーロッパ、中国の四つの大文明の中心地の間に、大ざっぱな均衡が成立する過程でもある。(P204)」

 まずはギリシャ文明。

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 BC1200年直後、ドーリス人なるもの達が北からギリシャに侵入。ギリシャ本土の人たちはエーゲ海に散らばり、それぞれの半島や沿岸に集中した。そこで難民は、さして強い宗教だとか慣習がなかったので、「はっきりとした法の組織や政治体系を作って、新しい居住地での有効な協力を確保せねばならなかった(上P166)」。てなことで、難民生活を送るも、徐々に人口も増え、植民地も確保していく。
 そんな中で、特別の風土と技術を必要とし、貯蔵が簡単なオリーブと葡萄酒を見つけてしまう。これが植民地を通して輸出を行うことで、がっぽがっぽ儲かった。またBC600年にはお隣リディア王国(トルコらへん)で貨幣が発明され、「市場関係のひろがりが、社会の底辺まで達するという現象が、はじめておこった(上P169)」
 とまあ、悠々自適な生活を送っているところ、BC499年にペルシャ戦争が起きる。最初はギリシャ文化の中心となるアテナイ(現アテネ)とはエーゲ海を挟んだ対岸に位置するミレトスと、ペルシャの戦いであったので関係なかったのだが、アテナイがミレトスを支援したということでペルシャ王国(アケメネス朝)がアテナイを潰そうとやってくる。も、返り討ち。何度かやってペルシャはあきらめる。今度は逆に、BC479年~BC446年にかけて「ほとんど毎年、同盟下にあるギリシャの諸都市が夏のはじめに艦隊を派遣して、エーゲ海沿岸のあちこちにあるペルシャ要塞を攻撃した(上P214)」。ギリシャ人怒らすと怖いっす。

 と、こういった背景の中で、ギリシャの人たちは財産を持たない人でも、毎年夏になれば戦争があるので、金を稼げた。また、夏以外は暇なので政治にも口出しをしたりしたそうな。そういった中で、ギリシャは世界に先駆けて貧困な層にまで選挙権が与えられる民主制国家へとなっていった。
 そこからペロポネソス戦争(BC431-BC404年)が始まるまでの間「人類史上これを比較することのできるようなどんな時代をとってみても、この時代ほど時間的、空間的に集中され、その産出物の点で完璧の域に達したときはない(上P218)」と筆者に言わしめるほどの時代を築く。
 すなわち、ギリシャ哲学の原形にもなるギリシャ悲劇。ソクラテス。その弟子のプラトンがアカデメイヤを生み出し、そこで勉強したアリストテレスが物理学を体系化し、ヒポクラテスが医学を宗教から切り離す。歴史学の原形を作ったヘロドトス。トゥキュディディス。建築についても細かな芸がみがかれたらしい。この時期の作品は残っていないが、フィディアスという人の作品はすごかったといわれているとか。(残しとけよ。)
 と、しかしながらギリシャも結局は、貧富の格差、兵隊の不満などから閉塞感が出始め、どんどん落ち込んでいく。ギリシャ人はアテナイ支配からスパルタにすがろうとするも、いざスパルタが支配すると「同じくらい厳ししいやん。」と、

 とアテナイがだめになっていくところ、アリストテレスを家庭教師として就けられ英才教育を受けたご近所のマケドニア王アレクサンドロスちゃんが、ギリシャ文化を広める力になっていく。マケドニアは東に伸び、非常に優れたギリシャ文化を広めていった。アレクサンドロス亡き後も、マケドニアの後裔である、エジプトのプトレマイオス、マケドニアのアンディゴノス、アジアのセレウコスなんかが、ギリシャ文化を広めていきましたよと。
 このギリシャ文化が広がることで、宗教では旧来のユダヤ教とギリシャ哲学のいいとこ取りで現代の宗教の土台ともなり、中東の観察技術とギリシャ文化の幾何学知識が合わさり天体の研究も進んだ。このとき、サモス島のアリスタルコス(BC230ごろ没)は地動説を考察するまでにいたっている。

 てなことで、さりげに政治制度、科学、宗教、現代の様々な面がギリシャ発祥なのではないかと。

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