Monthly Archives: 8月 2009

そんな消去法というわけではないのかも

 なんというか、民主党が勝ったのは「自民党が負けた」なんて、消極的な理由じゃない気がしてきた。
 国民は、知らず知らずのうちに「組織作り」という、小さな組織作りでさえ躊躇する様な大事を、国単位でやっちゃってるのではないかと思ったのだ。
(ちょっと大げさに書いているw)

民主党が政権を取ることによって、

●自民党以外の政治家が育つ
官僚組織の実態に触れる。実際の数字をつかって政策を練れる。政策運営の実務を学べる。

 という非常に大きな果実があると思う。
 当面未熟な民主党に、やきもきさせられるのだろうけど。当然次の選挙では自民が大分盛り返してくるだろう。
 そうなれば、少し成長した民主党と、大人の自民党が国会の場でガチンコで戦うことになる。
 今までとは違った議論ができそうな気がする。
 これで上手いこと二大政党制に為れば、官僚は癒着が難しくなり、そうそう政治家を操りにくくなる。その中で、政治家が官僚を上手に使い、政策論争をするという、何とも理想的な形が見えたんじゃないかと。

 問題は負けすぎて自民党が崩壊しないかっちゃううことだな。
 崩壊するならまた話は変わってくるなぁ。

 なんにしても、これからの日本を作る大きな枠組みになるんじゃないかと思って、結構期待大。
 民主党叩きが始まるだろうけど、まぁ結果的には自民党と変わらなかったと言うことに為りそうな気がするし。同じ自民党的な物が一個なのと、二個あるのでは意味が全く変わってくるはず!?

 と妄言。
 政治家の皆さん。官僚のみなさん。大変だと思うけどお願い致しますm(__)m

想定内

ってやつだね。
●民主党が中途半端に勝っちゃうと、ただでさえぐだぐだなのに他の党のことまで気をつかっていたら大変だ。と思っていたが、そうではなくてよかった。
●与謝野馨さんがまけちゃった。風とは言え、もったいなすぎるだろーと思ってしまう。これも民主主義
●公明党がひどそう。これからは支持基盤ばかりに頼らず堂々と政策を戦わせればいいね。
●幸福実現党って比例とかならとれるのか?これだけ落ちるのに337人出せるってどんな資金力だ・・・。

ひっさびさにプログラム

試験が終わり。
8月はぐだぐだしようと、ぐだぐだしているけれども。
やりたいことが大量にでてきすぎた。

○○○○
プログラム(サーバー管理とかもかじってみたいー)
ピアノ
数検(その他数学)
自転車
相続税

アホはいいことだと教えて貰ったので。
年内はアホになってがむしゃらに遊んでみよー。

久々にプログラムをしているけれども、この超論理的な世界たまらんねぇ・・・。
普段からプログラムを仕事としている人には申し訳ないけども・・・。

20代はまだまだ模索だー。(へいへい、税理士試験ももちろん頑張ります)

歌舞伎町の女王

人前でピアノ弾いてきましたさ。
いやー緊張して緊張して。
いろいろ考えていたことも、弾く時には真っ白に。

試験で練習期間が短かったことを言い訳にしても、しかしひどかったなー。

まあでも、他の人の演奏を見ていて思うのは
素人が素人なりに頑張る姿というのはかっこよい!

しかし疲れた~

Twitter

mixiの中でテツオ氏が、エコーというのを始めていたので試してみた。
これはなるほどと言うことで、ついでに本家のTwitterにも登録してみた。

ってかこんな短いネタはTwitterでつぶやけばいいのか。
時代変化に適応するのは大変だー。

やってる人いる?

『フェルマーの最終定理』サイモン・シン


fermat
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」

 こんな事を17世紀に生きる一人の数学者フェルマーさん。こんなことを書き残しちゃったものだから。その後300年にわたってこの証明をすべく多くの天才数学者が挑戦し、膝をつくことになる。
 本の中は、このフェルマーの最終定理と言われる問題を通して、数学の歴史、数学を巡る人間ドラマ、そして証明を完成させた数学者ワイルズについて書いてある。
 半端なく面白い。少なくとも数学の証明を一度でも面白いと思ったことがある人なら、あるいはノンフィクション好きなら、はまるんじゃなかろうか。(内容はさして難しくない。)
 かなりお勧め。本屋へ直行すべし。

 以下備忘録。(なげーよ。それだけ感動箇所が多かった)
◎紀元前6世紀『ピュタゴラス』
 彼は「数」を信仰する宗教団体を作り、数がもつ性質、数同士の関係、数が作るパターンを研究した。ちなみに、無理数を信じなかったピュタゴラスは、無理数の存在をほのめかした弟子を殺したりもしている。まさに宗教だ。
 そのピュタゴラス教団は、入門を断られた青年に破壊される。

◎200~300年後
 その時の王プトレマイオス1世に対して人望のない(!)デメトリオスという人が、図書館を作るというアイディアをだし、エジプトに「アレクサンドリアの図書館」というものができることになる。そこに、多くの文章が写本され、蓄積された。
 その知識の中心で教鞭を取っていたのが、かの有名なエウクレイデス(ユークリッド)だった。
 その図書館の書物もイスラム教徒によって破棄されることとなる。その後千年西洋の数学は停滞する。
 この期間にインドで0が生まれたりもする。

◎なんだかんだで17世紀。フェルマーの時代になる。
 フェルマーは確率論と微積分の父でもある。
 確率論の始まりはフェルマーとパスカルの文通。
 ある男が「ポアン」というギャンブルをしていた。しかし、急用で中断せざる終えなくなった。そこで、この段階で公平に賞金を分けるにはどうしたらよいか。という問いをパスカルが受けた。
 コレをきっかけに、2人で確率の証明に関わることになる。

 微積分にはついてはあんまり書かれていない。
 アメリカンジョーク
「1972年の秋、ニクソン大統領はインフレーションの上昇率は減少しつつあると発表したが、これは現職の大統領が再選に向けて三次導関数を利用した(二次関数の増減を問題にした)はじめてのケースである。」(数学者ヒューゴ・ロッシ)

◎18世紀 ニュートンとオイラー
 この人達が、数学を趣味から実用的な学問として発展させた。
 オイラーにいたっては、「完全でない解」を求めることにさえ尽力した。(数学者であるとすれば、凄いことだと思う!)

◎ヴォルフスケール懸賞
 ヴォルフスケールさんは実によいアホ。
 ある日恋煩いで自殺することにした。その自殺をすると決めた時間の一寸前、たまたまフェルマーの最終定理(の証明の失敗例)を目にした。気づいたら時間が過ぎていた。
 そしていつの間にか死ぬ気も失せていた。
 そんな生きる希望を与えてくれたフェルマーの最終定理の証明に懸賞をかけた。ただし、フェルマーの最終定理が正しい時だけで、間違っていることを証明しても出ない。
 というのがロマンがあってよい。

◎ゲーテル不完全性定理
 このおっさんは1931年きっつい証明をしてしまう。
 ゲーテルさんが、証明不可能な問題がある(正確な所は理解しきれていない)ということを証明した。そのため、フェルマーの最終定理が。証明不可能である可能性が出てきてしまった。
 まったくもって、証明という行為自体が無駄かもしれないのだ。

◎谷山=志村予想
 この日本人が、谷山=志村予想(楕円方程式とモジュラー形式が実質的には同じ)というものを打ち立てた。(これは意味不明)
 この予想自体は、全く異なる分野を結合する役目をもつ大変大きな者らしい(例では磁石と電気のようなもの)。
 そして、この予想自体が数学界の中で大きな役割を果たす。
 また、この予想がフェルマーの最終定理を解く鍵となる。

◎アンドリュー・ワイルズ
 この人が最終的に証明する。
 上記谷山=志村予想が真であることが証明されれば、同時にフェルマーの最終定理も証明されると言うことを、ケン・リベットが証明。
 これによって、ワイルズは道筋を見つけることとなり、7年がかりでフェルマーの最終定理を証明する。
 ちなみに、最初の証明後、ミスが発覚し厳しい現実に叩きまくられるワイルズはあまりにも可哀想なのであります。

とまあざっくり。

 

 書評等を書く時に、訳者の名前をタイトルに入れるかというのは悩む。映画だと訳者や監督脚本家等々。知れば知るほど色々な人の合作なんだと言うことに気が付くわけで。
 この本の訳者は青木薫さんという方。

値切るのは寂しい

仕事までの10分で執筆

値切ると言う行為や、安く販売しようと言う空気になんとなく嫌悪感を感じている。

それが何を意味しているのかというと
利害を共有する人が互いにメリットを享受し尊重し合うことが社会の基本だと思う。
それが、価格に固執する姿勢を見ているとそれを忘れているのではないかと思うのだ。

売る側は、買う人が一生懸命稼いだお金を払ってくれるんだから、もちろんお客様にできる限りのメリットを与えなきゃいけない。
そして、買う側も、売る側が一生懸命作った商品を買ったり、サービスを受けたりするわけだから、それ相応の対価を支払わなくてはいけない。もっと言えば稼がせてあげなきゃいけない(言葉とかも大事だと思う)

しかし、今現在に置いては、価格比較サイトや金額を一番大きく表示する情報誌が乱立し、少なくとも買う側は「自分がメリットを受けること」しか考えていない様に見える。なんとも寂しいではないですか。
結局は売る側にお金がいかないと、経済がまわらないのも勿論、金がない会社がいい商品を開発するのは大変だし、サービスだって削らなきゃいけないのだから、最終的には買う側も損を被るわけだ。

他にも立ち読みとかもそうだよね。漫画家が苦しいというのは、良く聞く話だけど。そんな状況で、平気で立ち読みで済ませてます。とかっていうのは、見てると悲しい気分になる。

もちろん、私も半額シールのものばかり買ってるし、値引きが常態化している家電量販店で買う時は値切るし。
でも、財布の範囲内できる限り、売る側に、サービスを提供する側に、敬意を表したいなぁと思うのでした。

『ルネサンスとは何であったのか』塩野七生

 文化と呼ばれるものは、時代によって盛んな頃と盛んじゃない頃があるらしい。例えばキリスト教の押さえつけによる1000年の鬱憤を晴らす様に文化が花開いたのがルネサンスだとか。この著者のノリでは、きっかけから捉えれば、西暦1200年代から1500年代くらいまでに渡る400年くらいの期間である。すごすぎる。
 翻って、今の時代ってのは、あんまり文化が盛んではない時代な気がする。どちらかというと資本主義教団の強力な押さえつけによって、文化を楽しむ余裕がないと言うか。

 その長期に渡るルネサンス時代花開くきっかけとは何だったのか。そんなことが書いてある本を読んだ。
 もしかしたら、現代にも何らかの大きな変化が起きるかもしれない?

 「ルネサンス」というのは、14-15世紀にイタリアを中心に起きた大きな文化運動(wiki)をルネサンスというらしい。レオナルド・ダ・ヴィンチさんとか、ミケランジェロさんとかこの辺が有名どころ。

 このルネサンスの時代までは、強力なキリスト教の教会によって、「信じる者は幸いとなれ」という合い言葉で、あらゆるものを「信じる」ことで思考を停止させられていた。その逆に「疑う」と言う言葉があるわけで、様々なきっかけによって、この時代に「なぜ」と言う疑いが噴出し始めた。ということだ。

見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後生の人々によってルネサンスと名づけられることになる

 その基礎として、まずは以下2名。13世紀くらいに活躍した人達。
 聖フランチェスコさん(パチパチ)
●キリスト教の教えを、俗語と呼ばれるイタリア語で説いた。(当時一般の人が殆ど理解していないラテン語で祈っていた)
●自分に向いた仕事をしながらでも、キリスト教徒になることを認めた(そういう階級を作った)。(キリスト教徒は、一年中修道院に籠もっていた。)
 これによって、それまで盲目的に信仰していた宗教を、自分の使う言葉で語れるようになった。そして、職業の自由も生まれた。
 そして自然とフランチェスコ宗派には、金を持った商人なども集まる様になる。金と人が集まればまあ、あとは自然と力もわいてくるわけですな。

 そしてもう一人、フリードリッヒ二世さん(パチパチ)。聖フランチェスコが商人の子であるのに対して、この人は皇帝の子で偉い人。
 この人がやったことは
●法律の整備(再整備)
●皇帝の手足をして機能する官僚システムの構築
●税制の整備(経済を活性化させるために関税を抑えた)
●通貨の整備
●大学を新設(当時ローマ法王の支配下の元、キリスト教的な法学が多かったのでコレに対する大学を作った)
 この人は宗教と政治を切り離すことができた人として大きい。特に5番目。
 この大学を使うことで、当時粗悪な言語であったイタリア語を改良したりしている。{イタリア語には「古文」と言うのがないらしい。この時代にある程度の言語の体系が固まってしまったからとか。}この辺で詩人のダンテさんとかも役に立っている模様。

 これら2人の人物等の影響により、物事を理解し疑う力がイタリア人に付いていく。
 それが芸術とかの方面に花開いていったというのがルネッサンスだと言う。その基盤の中で、フィレンツェ→ローマ→ヴェネチアとこの波が波及していく。
 なんといっても、庶民(聖フランチェスコ)からとお上(フリードリッヒ2世)からが同時に動いているのが大きいよね。

 それに、町の気質なんかも絡めて、芸術家とかを紹介。例えば、フィレンツェでは「工房=何でも屋」的なところで、いろんな仕事が入ってくる。そんなマルチな人間が育つ国で、何でも屋ダヴィンチ(解剖から彫刻まで)が育つ。
 その後ローマ、ヴェネチア、大航海時代の話や、印刷技術の話なんかがいろいろ書いてあるけど、書いちゃうと迷走しそうなので、きっかけのみで感想おしまい。

 全体的に、この時代のキリスト教会の持っていた強さをかいま見た気がした。その暴発が芸術方面にいったというのは、理解ある指導者がいたからでもあるようだ。今の様な思想の自由がある程度許され、好きなことを調べ、考えることができる今の環境は、かなり恵まれているのよなぁ。
 日本人で言えば、今「疑う」という事が少しずつ、特に若者を中心に、広がっている気はする。少しずつ何かは代わり始めているよなぁ。

税理士試験と『みんなのいえ』三谷幸喜等

税理士試験終わりました。
まずもってご迷惑をおかけした皆さん申し訳ありませんでした。

今年は
財務諸表論(3回目)
消費税法(2回目)
所得税法(1回目)
という3つを受けました。

 全部受かると税理士になることができます。
 今、自分の解答を思い出しながら自己採点をしてきました。
財務諸表論→ボーダーラインくらい
消費税法→自己採点放棄(ほぼ無理)
所得税法→ボーダーラインくらい
 ボーダーラインくらいというのは、受かるか落ちるか解らないということなので、一応50%としましょう。(ミスまで自己採点では気づけないので、もっと確率は悪いかもしれません。)
 なんとも情けない結果です。

 ついでに、自己採点をしながら、映画『みんなのいえ』を見ていました。
 以前にも借りたことがあったので、二回目です。やっぱりメチャメチャ面白い。(ちなみに今DVD買うことに決めました)

 この映画の中には、若い職人年寄りの職人職人がたくさん出てきます。三谷幸喜も特典映像で職人っぷりを見せてくれます。未だに試験の前でバタバタし、そしてダラダラしている自分をみると無性に腹が立ちます。

 今回、試験勉強の合間に三谷幸喜のエッセイを読んでいました。

 三谷幸喜のエッセイとなると、大分トーンは落ち着きます。奥さん(小林聡美)と猫と犬とのいたって普通の、しかし脚本家っぽい生活感の漂う本です。笑いどころがこまめに入れてあるところは、さすがですw

 この人は、なんだかんだ気が弱い所(シャイ?)がエッセイを読むと見えますが(夫婦そろってで人前は嫌いらしい)、仕事の話になると頭の固い頑固親父の様な気配が見え隠れします。
 多分俳優さん泣かせの監督だろうなぁと。

 かっこいいですよね。なろうと思ってなれる物ではないけれど。

 試験終わったばかりの段階ではテンションも高く人と話したくて仕方なかったです。しかし、今は「ちょっと一人にして」って感じです(笑)

プレイ・ボール

2007年8月7日
2008年8月5日

もはや税理士試験は三度目。8月第一週火曜日~木曜日。
私は火曜~水曜。

昨年の日記なんて詩人の様だ。
この緊張感に宇多田を加えればそうなるんだな。

違うことと言えば、焦っていることだろうか。
会社にも周りの人にも好き勝手に振る舞い、自由に試験は受けさせて貰っているけど、いろんな事をそろそろ決めなくちゃいけない。

まっ実際問題「もう来年同じ勉強したくねぇ」につきる。

ここ2年の日記を読むと試験に向けて頑張っている自分に酔ってたのかもしれない。と思う。
しかし今年は妙に現実的だ。
定期的に訪れる人生の数ある中の1試合だと思える様になったからだろう。

そして、一年に一回の試合にふさわしく緊張もしている。
あぁなんて健全なんだ!わし!