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『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』Kai Bird and Martin J. Sherwin

 原爆の父と呼ばれたオッペンハイマー、優秀でリーダーシップに優れた物理学者として原爆開発をひっぱっていくと同時に、共産主義者としてFBIに張り付かれて、うわさも含めて膨大な資料が残っているそうな。それの資料を基に、カイバードさんと、マーティン・シャーウィンさんが、オッペンハイマー(オッピー)であり、その原爆をめぐる議論をまとめた本。
 2006年ピュリッツァー賞受賞作品だとか。
 
 TwitterやFBとかで散々メモったものをまとめ。
 いくつか面白かったところがあって、まずもって、純粋に原爆が作られるところから落とされるまでの、科学者を中心とした議論が丁寧に描かれて、かなり驚かされた。
 1939年1月29日ドイツの科学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンがウランに中性子をぶつけることで分裂を成功させた(上P284)。これをニュースで知った日には、もう科学者たちは爆弾が思いついていたそうだ・・・。ちょうどWWⅡが始まるちょっと前である。
 オッピーたちとしては「なんてことだ、そんな武器を造ったらどんな結末になるのだ、世界中が吹き飛んでしまうぞ、と考えたのだ。われわれの何人かは、この疑問をオッペンハイマーに持ち込んだ。彼の答えは基本的に『ナチがらこれを最初に手に入れたら?』というものだった」(上P318)。が、結果的に気付いたころにはヒットラーは自害し、ナチは終わっていて、日本に落とされることになるのだが・・・。
 そんな議論の中、ボーアがかなりいい味を出してくる。
 1943年12月オッペンハイマーが原爆を開発しているロスアラモスにボーアが登場。これまで、いかにナチスドイツよりも早く作るか、だけが問題だったところ、ボーアの「それは十分に大きいかね?」という一言が「爆弾が戦後に及ぼす影響」という重要な問題に目を向けさせる。もちろんボーアはこれを伝えるために来たのだ(上P442)。ボーアまじすごひ。ここから議論はほとんどボーアの独壇場。
 ちなみにこのあたり、口外しちゃいけないと言われたことを、到着して5分で全部しゃべっちゃってる感じ可愛い(萌)。
 (上P447)このページに書いてあることはほぼかっこいいが、一部だけ
「戦後世界において各国は、潜在的な敵国が核兵器を持っていないことを確信する必要がある。これは、国際的な査察官がどんな軍事施設、産業コンビナートでも完全な立ち入りを認められ、新しい科学的発見に関する情報に完全なアクセスが認められる「開かれた世界」のみで可能である。」これを、戦争が終わる前にやらなければ。そして、いち早くソ連にマンハッタン計画を伝えるのだと。
 仮にこんなことが可能だったら、どうなっていたんだろう。もしは無理だし、スターリン相手でそんなことができるわけがないというのが、現代の色々な人の意見だとか。

 そして、上巻が終わりで、日本に原爆を落とす経緯を、下巻の初めで原爆が落とされる。このあたりは、別の本を参照すべきだろうけど。
 アメリカは対日本との戦争という意味では、日本に原爆を落とす必要はなかった(上P488)
・国防次官マックロイをはじめ、米国政府のトップグループは「おおむねワシントンの条件に沿って戦争を終結させよようと」日本がしていることを、傍受していた。
・トルーマンの首席補佐官ウィリアム・レーヒーは「降伏しなければ、恐らく破壊的な新兵器を使わざるを得ないだろう」と警告をすれば、おそらく戦争の終結をもたらすと予想していた。
・トルーマンはスターリンから、8月15日までに、対日宣戦布告をするという約束を引き出していた。どちらにしろ、日本は敗北していただろう。
 結局、なぜアメリカが日本に落としたのか。この本では明らかにはされていない。
 
 そして、原爆後、オッピーは、原爆の開発で大きな名声を手に入れ、発言力も大きくなる。その一方で、大きな罪の意識に襲われることになる。
 「もう一度大きな戦争が起こったら、原子爆弾が使われることを、すべてのアメリカ人が知っている」「われわれがこの理由を知っているのな、先年の戦争において、われわれが世界で最も開けていると信じたい二つの国、つまり英国と米国が、基本的に敗北している敵に対して原爆を使用したからである」(下P80)
 人が愚かであることが前提であれば、やはり巨大すぎる武器があるというのは恐怖以外のなにものでもないですな。
 オッピーはボーアの考えを踏襲し、核の力は国際管理すべきと発言していく。その一方でそれを嫌がる米国政府の一部や、FBI等(主にルイス・ストロース)にアカ狩りの標的とされていく・・・。
 オッピーは完全に社会的に抹殺され、その一方で、「50年でアメリカは5兆5000億ドルの予算を使い、7万個の核兵器を作った」(下P201)
 このストロースがオッピーらを止め、核の拡散を勧めてしまったが、この人後にやりすぎで信頼を失ってしまう。こんな人が世界の重要なかじ取りに影響を大きく与えるというのは、切ない気持ち。
 
 さてさて、この本の醍醐味は、オッピーが原爆後に元銀行家のルイス・ストロースにじわじわと追い詰められていくところである。
 オッピーは依然共産主義に傾倒していた時期があり、そのころの経歴からアカ狩りをされることになる。その関係で、かなり共産主義の考え方とかが出てくるので、右翼左翼のなんとなくのイメージができてきてそこは面白かった。
 例えば「開かれた社会、知識への制約のない接近、人間の進化のための非計画的、非拘束的交流、これらこそが広範で、複雑で、無限に成長し、無限に変化し、無限き専門化する優れた技術の世界、さらにはなお人間的コミュニティの世界をつくりあげる可能性を秘めています」(下P258)。こういう考えが俗にいう左翼なのかなと思いながら読んでいた。
 自分の思う左翼のイメージとずいぶん違うなと。
 
 あとは、その他ちょろっと
 考えていたのは、個人的にはオッピーのような天才でさえ、手前の事実に翻弄され、判断を誤ったり、先走ったりするんだなと。もちろん、正義感があればこそなのだけど。
 そして、事実だからこそ、正直者が救われると言い切れないし、オッピー自体も必ずしも善人でないところも、恐ろしくリアルで怖い。
 
(上P74)
 オッピーの大学時代はチョコレートとビールとアーティチョークだけのことも多かったとか。これは新海監督の「言の葉の庭」を思い出さずにはいられない。
(上P127)
 1927なので23歳くらいか、この時の恋敵ハウダーマンスが、オッピーと同じく文学にも詳しく、将来ドイツでの原爆開発をすることになるのだと。
(上P140)
 オッピーからの、異性が気になって勉強が手につかない弟(フランク)への手紙が中々よひ
「一緒にいるために、君の時間を消費させようとするのは、若い女性の職業みたいなもので、それを払いのけるのが君の職業だ」
デートというものは「浪費する時間のある人にとってのみ重要である。君や僕には重要ではない」
なおこれらは
「ぼく自身のエロチックな骨折りの成果であり、結果であるから」と(笑)
(上P173)これも明言やわ
「人は女性を心地よくさせることを目指すことはできない。それはちょうど、好みや、表現の美しさや、幸福を目指すことができないのと同じである。というのは、これらのことは、人が習得して達成できる特定の目的ではないからだ。これらは、その人の生活がまあまあ妥当であるか否かを説明したものである。幸せになろうとすることは、静かに動くという仕様しか持たない機械を作るようなものだ」
 
 こんなもんで。