Monthly Archives: 2月 2015

『Letters』宇多田ヒカル

11枚目シングル 「SAKURAドロップス/Letters」(2002/5/9)2曲目
3枚目アルバム「DEEP RIVER」(2002/6/19)5曲目
「宇多田ヒカルのうた 13組の音楽家による13の解釈について」で椎名林檎がカバー。
 たぶんかなり人気のある曲。

置き手紙 ~Letters~/銀花帳
↑こちらなんかは、過去の発言なんかからLettersのことを書いていて、より参考になる(なんのだ)。

 letter は名詞で
・手紙、書状
・文字、字、活字、字体
・文学、知識、学識、学問
 (a man of letters で作家とか文学者の意味らしい)
という意味だとか。

 たくさんの置手紙かなと思うけど。一通の手紙に書いてある複数の文字、を意味していると思うと、なんか手紙への愛おしさが半端ねえ感じになりますな。

 はじまりはアコギで

 暖かい砂の上を歩き出すよ…

 さみしい曲だけど、マラカス的なシャカシャカ音に、ポコポコ南国風の太鼓音が鳴っていて。
 ここに、暖かい砂の上を歩くという始めの一節で、なんか生活のゆとりは非常に感じる。
 林檎先生のバージョンでは、ピアノ中心に低めの音でしっとりしているけど、やはりマラカスは欠かさずに。
 宇多田バージョンが朝の浜辺なら、林檎バージョンは夜の浜辺だろう。

 手紙って好きだし、手紙を主題とした曲も好き。
 手紙が内包する、片思いとか、物理的な距離と心理的な距離の差とか、そーいうのが面白いんだろうね。
 最初に好きになった小説「錦繍」(宮本輝)も、手紙のやりとりだけだったな。
 でも、この曲は置手紙。家族か恋人くらいしか、置手紙なんてないだろう。とても近しい人とのやり取りなんだろう。

 南国で、置手紙を見て、寂しさを歌う。
 もうこれだけで、この曲は完璧だと思うワナ。

 驚くほど「ああ」「あー」言う(笑)歌詞カード的には18回。
 「ああ 両手に空を 胸に嵐を」言ってる人は完全に演劇だ。

 宇多田には名曲「BLUE」という曲があり、悲しみを歌いながら、
 ふと我に返って「ブルーになってみただけ」と歌うけど。
 Lettersの主人公氏も、悲劇のヒロインぶってみているのだろうという気がする。

今日選んだアミダくじの線が
どこに続くかは分からない
怠け者な私が毎日働く理由

 

 このフレーズがめちゃんこ好き。

 驚くほど現実を生きようという気持ちが入るところが
 こーいう(あえて)女々しい曲でも、
 カッコよさを感じたり、甘えきってない強さによって、
 安心して共感できる。

 歌詞の
 一番では「海辺」に置手紙
 海辺に置手紙というのはさすがに比喩だろうね。外国、異世界、へと、仕事とかかな。
いってくるという置手紙だろうか。
 二番では「窓辺」に置手紙
 悲しい知らせの届かない海辺から。悲しい知らせの届く家に入っちゃったかな。
 家と外との境目はなんだろう。家から出ていく。これは、それこそ離婚とか死を連想させるね。
「必ず還るよ」じゃなくてよかった(ヲイ)

Tell me that you’ll never ever leave me
Then you go ahead and leave me
What the hell is going on
Tell me that you really really love me
Then you go ahead and leave me
How the hell do I go on…

 最後の英語フレーズ。
 英語は本音をストレートに書いてしまうんだろうなー。
 これはどう訳すんだろう。以下は気分訳。

Tell me that you’ll never ever leave me
決して私を置いていかないといって…

Then you go ahead and leave me
しかし、あなたは行ってしまう。私を置いて
(then をしかしでいいのか?)

What the hell is going on
もうどうなったていいさ。

Tell me that you really really love me
私のことを本当に本当に愛しているといって…

Then you go ahead and leave me
しかし、あなたは行ってしまう。私を置いて

How the hell do I go on..
どうやっていけばいいのさ

 最後のフレーズを言い終わるかどうかで、この曲はフェードアウトしていく。
 相手はそこにいないのだから、この叫びは届かない。いや、届かないからこそ叫べるのだろうけど。

» Read more…

『6才のボクが、大人になるまで。』監督:Richard Linklater

 ビフォア・ミッドナイト等、会話だけなのに面白、ビフォアシリーズ監督、リチャードリンクレーターさんの映画『6才のボクが、大人になるまで。』見てまいりました。

 まずもって、この映画のもっとも肝であるのは撮り方。シネマトゥデイによれば

『ビフォア』シリーズなどのリチャード・リンクレイター監督がメガホンを取り、6歳の少年とその家族の12年にわたる軌跡をつづった人間ドラマ。主人公を演じた新星エラー・コルトレーンをはじめ、主要人物4人を同じ俳優が12年間演じ、それぞれの変遷の歴史を映し出す。主人公の母をパトリシア・アークエット、母と離婚しアラスカに行ってしまった父をイーサン・ホークが熱演。お互いに変化や成長を遂げた家族の喜怒哀楽を刻み付けた壮大な歴史に息をのむ。

20150208boyhood-poster 1年に数日撮影して、それを12年間続け、それを一本の映画にしたとのことで。映画の時間は2時間45分。単純計算で15分弱で一年間が進んでいく。
 6歳だった少年、お姉ちゃんがズンズン成長していく。髪型も体格も声色も激しい勢いで変わっていくので、見ていて同一人物が判別できないほど。
 一番に思う感想は「違和感がなさすぎる映画」という感じ。普通に近所の仲のいい友達の成長を短時間で見ているような。当然その時代に、その時代を撮影しているので、小道具もその時代をよく反映している。時代ごとのゲーム機や、初期アップルとマックブックや、ブッシJrとオバマなど等。
 そして、リンクレーターさんの、得意である、なんとなく面白い会話が相変わらず繰り広げられる。あー知り合いのオッチャンにこんなん言われたなあとか、あーこういう理不尽なこと言われて育ったなあとか。親の喧嘩こんな風に見てたなあとか。結構色々自分の子供時代を感じられる。で、その積み重ねで、いまこんな大人になったんやなあと。自分と重ねざるを得ない感じ。

 最後は、目の前で12年成長するのだから、映画の少年たちがまるで身内のような気分になってくる(笑)18歳になった時には、よくここまで成長したなあと感慨深い気持ちに。

 と、ここまで書いて、一緒に見た友達に言われた衝撃の一言「日本には北の国からがあるよね」と。
 北の国からはWikipediaによれば1981年に始まり、最後は2002年だったとか。21年の超大作ではないか。日本はさらに一歩上を行っていたか(笑)