Monthly Archives: 10月 2011

京都おもれーなー(主に相国寺)

※引越ししてからやっとネットが開通しましたー。住所等変わっております故よろしゅうに。

 社員旅行で京都にいかせていただきました。京都に正直あまり興味はなかったのですが、今回の旅行で京都の面白さを短時間ではあるけれど、しみじみ思い知ってきました。
 1日目は観光タクシーを使って、色々な解説を聞きながら。
 2日目はあっちらこっちらに個人行動自分の足で。

 始めに解説されて、なるほどそういえばそうだと納得したことが、あの地味なお寺は朱色や金色で染められ、花がそこら中に描かれるド派手な建物だったという事実。
 まだ灯りも貴重な時代。吸い込まれるような真っ暗な夜に死を想像し恐れる人々。そこに、ド派手なお寺を作り、亡くなってもこういう美しい世界にいけるのだと、お寺は人を安心させていたのだと。
 今回の旅行では天井に色々驚かされました。お寺の天井にそのド派手の名残が残っており、花の絵がうっすら浮かんでいたりするのです。三十三間堂なんかは、さりげなくライトを当てて強調していたり。

 一番面白かったのは、二日目に一人でトコトコ訪れた相国寺。京都御所の北にすぐにあるお寺です。
 ここは私の大好きな伊藤若冲先生(画家 1716年3月1日~1800年10月27日)が禅を習った寺で、鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)は相国寺の出張所みたいなものらしい(WIKIより)。雪舟なんかもここ出身だとか。若冲先生はその鹿苑寺に襖絵なんかを書いて送っており、それが相国寺の美術館に飾られている。現在は葡萄と芭蕉の絵があったけど、葡萄の絵は虫食いの葉っぱをあえて描いていたりしてなんどもひねくれている若冲先生らしいなどとニマニマしたり。

 相国寺で何より面白かったのは鳴き龍という天井(リンク-相国寺 法堂の鳴き龍/京都を歩くアルバム)。龍の下にたって、手をたたくと、龍が鳴くのですわ。あのド迫力の龍にただでも驚くのに、鳴くとなれば。ちなみに、作者は狩野光信((1565?1561年?~1608年7月15日)さんというらしく、若冲先生の師匠もまた狩野派だったわけで、歴史を感じるわけです。
 なお、若冲先生のお墓があるので、そこもちゃんと参ってきました。写真は若冲先生のお墓です。
 他にも、相国寺にある宣明という禅の風呂(風呂と言っても修行の一環)があって、その入り方について色々おっさんから話を聞いたり。

 そのほかにも仏像の見方なんてわかるとなかなか面白ろそうです。聞いたことだと、「○○如来」と言われる偉い人がおられる。この人たちは、布一枚で物とかを持っていない。これは、如来ともなると、物などの力を借りずとも十分なパワーともっておるということだとか。
 釈迦如来は仏教を教えてくれた人であり、この人をみたらこれまでの感謝をしなさい。薬師如来は必ず日と月の仏さんを従えており、今の事、つまり病気を治してほしいとかそういうことを頼みなさい。阿弥陀如来は来世の世話をしてくれる人だから、先の事のお願いは阿弥陀さんにしなさい。とかおっさんが言っておった。

 龍安寺では、入り口がいきなり台所で、台所には普通米袋持った大黒様なのだが、京都の台所は韋駄天様(忙しいから(笑))がいるとか。
 三十三間堂には1001体の仏像がぞろぞろ並んでおるのですが、これはパーツごとに作る人が何人もいて、それをバラバラに組み合わせるので、この大量の仏像はすべて違うのだとか。

一応行った所は
(一日目)東寺、三十三間堂、龍安寺、金閣寺
(二日目)相国寺、清水寺、高台寺、建仁寺
これくらいですわ。
 三十三間堂は、平清盛が皇族への賄賂として作った建物で、成り上がるために天皇に献上した建物のひとつらしいですな。ここから武家の時代が始まったんだと、解説のおじさんが息巻いていました。
 ほとんど予習せずに行きましたが、今度行くときは歴史をきちんと抑えたうえで京都五山を抑えてみたり。南禅寺は行きたいですなあ。

小説?『クワイエットルームにようこそ』松尾スズキ

 この家で書くブログは最後だ。明日で引っ越します。
小説「ドグラ・マグラ」
映画「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」
映画「カッコーの巣の上で」
んで「クワイエットルームにようこそ」
 なんぞよく精神病院に関する本やら映画をなんか手に取ります。
 人間の心にはなんとなく興味があって、性格だとか個性だとか言われながらも、なんだかんだ一瞬で気が狂ったり、ぼけてしまえばみな同じだったりするわけで。その最果てである精神病院ってのは面白いなあと、失礼ながら思ってしまいます。
 さらにソコには普通人なフリをして「治そう!」というトンデモ深い深い真っ暗な理念を掲げたお医者様がおられたりするわけです。チャカポコ。チャカポコ。
» Read more…

本『逮捕されるまで』市橋達也

 鋭意引越し準備中です。読んでないけど売りたい本があったので、さらさらっと。いや、案外楽しかった。売るけど。
 2007年3月の、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺人事件の、犯人が書いた逃亡日記。無期懲役なんだね。出てきたら、こーいうブログの感想なんかも読むのだろうか。

 身分がばれてはいけない、追われているという状態で生きると、日本ではこうなるのか。というのが良くわかった。日雇い労働者があつまる大阪の話なんかは中々。簡単なプロフィールを書いて、命綱なしで高いところで仕事をしたり(ケガしても治療費は出ない)、薄い普通のマスクでアスベスト除去の仕事をしたり。かと思うと、沖縄の離島でサバイバルしたり。
 できればこの知識には一生お世話になりたくないわけだけど。

 まあ、文章読めばどこにでもいるおにいちゃんとしか思えなくて。いや実際ヒトを殺してしまったという事実があるだけで、そのほかは普通のお兄ちゃんなのでしょう。だからこそこの本は恐ろしいのだな。

『フェイスブック 若き天才の野望 』デビッド・カークパトリック

 お久しぶりでござい。ただいま引越し準備などでばたばたしております。
 昨日は常滑でハーレー(バイク)がいっぱいある祭りに遭遇して、大興奮しておりました。さらに昨日友人に子供が生まれたり。先月は結婚式に参加したり、結婚式の予定を入れていただいたり、なんか20代ってすごいねー。みんなパワーあるわ。このフェイスブックという本を読んだわけですが

「若さと技術力の大切さを強調したい。若い人間のほうが頭がいい。チェスの名人がみんな20代なのは偶然じゃない」(P242)

この言葉を実感いたします。頭だけじゃない。なんつーか突破力あるよね。腐ってる暇はなくて独身男20代としてはそれなりになんかしてみてもいいのかなーなんて。元気玉バリに元気をもらっております。
 なお、個人的には昔から言うように女性は30代からが美しいとは言うし、実際思っているんだけど。これとそれとはまた別の話(笑)
 20代には20代のよさってもんがあり、30代には(以下略)って意味です。

 創業者のマーク・ザッカ-バーグ(Mark Elliot Zuckerberg,1984年5月14日)について、セックスパートナーを見つけるためのサイトとしてFacebookを作って、大成功した。くらいのイメージしかないという浅はかなまま読んでしまったが、結構考えさせられる本だった。
 2004年2月4日Facebookを19才のマークが作り出す。最初はハーバード大学の寮の写真を片っ端から集めてきてSNSに乗せ、講義の履行履歴などもひっぱってきて、本人と紐付けられた情報を元にお互いが交流できるようなサイトとして始まったらしい。実名顔写真入りってばじちで、フェイスブックなわけだな。
 かわいこちゃんと一緒に授業受けたい輩や、プライドの高いハーバード生が他人の受けている講義を把握するとか、そもそもFaebookでセックスパートナーを探すとか、そういったところから爆発的に人が集まってきたと。
 ちなみにmixiは2004年2月だそうだ。ほとんどFacebookと一緒。ちょうどこの頃インターネットというものが加熱していた時期ですわ。2003年11月13日に、ライブドアが1/100 の株式分割を発表し、株価が12月25日から 2004年1月20日まで15営業日連続ストップ高だったそんな時期。当時の世間のネットに対する高ぶりを思い出す。
» Read more…