『フェイスブック 若き天才の野望 』デビッド・カークパトリック

 お久しぶりでござい。ただいま引越し準備などでばたばたしております。
 昨日は常滑でハーレー(バイク)がいっぱいある祭りに遭遇して、大興奮しておりました。さらに昨日友人に子供が生まれたり。先月は結婚式に参加したり、結婚式の予定を入れていただいたり、なんか20代ってすごいねー。みんなパワーあるわ。このフェイスブックという本を読んだわけですが

「若さと技術力の大切さを強調したい。若い人間のほうが頭がいい。チェスの名人がみんな20代なのは偶然じゃない」(P242)

この言葉を実感いたします。頭だけじゃない。なんつーか突破力あるよね。腐ってる暇はなくて独身男20代としてはそれなりになんかしてみてもいいのかなーなんて。元気玉バリに元気をもらっております。
 なお、個人的には昔から言うように女性は30代からが美しいとは言うし、実際思っているんだけど。これとそれとはまた別の話(笑)
 20代には20代のよさってもんがあり、30代には(以下略)って意味です。

 創業者のマーク・ザッカ-バーグ(Mark Elliot Zuckerberg,1984年5月14日)について、セックスパートナーを見つけるためのサイトとしてFacebookを作って、大成功した。くらいのイメージしかないという浅はかなまま読んでしまったが、結構考えさせられる本だった。
 2004年2月4日Facebookを19才のマークが作り出す。最初はハーバード大学の寮の写真を片っ端から集めてきてSNSに乗せ、講義の履行履歴などもひっぱってきて、本人と紐付けられた情報を元にお互いが交流できるようなサイトとして始まったらしい。実名顔写真入りってばじちで、フェイスブックなわけだな。
 かわいこちゃんと一緒に授業受けたい輩や、プライドの高いハーバード生が他人の受けている講義を把握するとか、そもそもFaebookでセックスパートナーを探すとか、そういったところから爆発的に人が集まってきたと。
 ちなみにmixiは2004年2月だそうだ。ほとんどFacebookと一緒。ちょうどこの頃インターネットというものが加熱していた時期ですわ。2003年11月13日に、ライブドアが1/100 の株式分割を発表し、株価が12月25日から 2004年1月20日まで15営業日連続ストップ高だったそんな時期。当時の世間のネットに対する高ぶりを思い出す。

 Facebookとは何者なのか。ってのが一番この本の興味深かったところ。Googleとは何が違うのか。

いずれにせよ、ザッカーバーグたちが目指すものとグーグルが目指すものはまったく違っていた。グーグルの対象がデータであるのに対し、ザ・フェイスブックの対象は人間だった。(P71)

 この言葉は中々に考えさせられる。
 Googleは当然に公開されているデータを、インターネット上に載せ検索できる状態にする。方やFacebookは、普段公開されていない実名や写真に紐付けられるさまざまな情報を本人に出させて、検索閲覧できる状態にする。

パーカーは、ザ・フェイスブックは「どこへでも持ち歩けて、それを相手に見せれば自分のことをすべて説明できる便利なデバイス」だと説明した。(中略)「ザ・フェイスブックの最終目的は人々が自分の置かれた世界をよりよく理解するための手助けとなることだ」といい始めた。(P209)

 結果的に、日本ではmixi中毒者が大量に発生し、世界ではFacebook中毒者が大量に発生したと。ことさらFacebookが上手かったのは

マイスペースのデフォルトの設定では、誰でもほかの誰ものプロフィールを見ることができた。ザ・フェイスブックではデフォルトの設定では、同じ大学のユーザーか、特に友達として承認されたユーザーのプロフィールしか見ることができなかった。段階的なプライバシーのコントロールが導入されていた。(P137)

 みんな他人がどうしているかが気になるんだと。この気持ちがうまく働いて、Googleが集められない情報がFacebookに集まることになった。
 ちなみに私は他人の行動を知りたいという感覚が相当薄くて他人が今何しているかとかあんまり興味がない。直感的にFacebookやmixiが爆発的に流行るという意味が理解できないんだよね。これが、商売人として致命的だということに最近気づいてきて絶望している今日この頃ですが(汗)

 ザッカーバーグはネット上に新たな検索対象であるとか情報を生み出した。と。それって個人情報の塊であり、結構抵抗のある人も多いと思うのだけど、それをザッカーバーグはなぜ突っ走っていけるのか。
 それはザッカーバーグの思想は「超リベラル」だからのようだ。アメリカの大学というリベラルな社会の中心のうちに起業して大きな組織までもっていってしまった。すなわちとても純粋なリベラルなのだ。

 彼は個人にも政治等の団体にも透明性を求める。なお自分としては、Facebookの存在により「個人が要求される透明性」と「団体が要求される透明性」は別で、この本を読んでいる限りは、後者は副産物であって、前者に対する意識が強いように思える。

「仕事上の友だちや同僚と、それ以外の知り合いとで異なるイメージを見せる時代は、もうすぐ終わる」
「2種類のアイデンティティーを持つことは、不誠実さの見本だ」
「現代社会の透明性は、ひとりがふたつのアイデンティティーを持つことを許さない」(P290)

 ザッカーバーグがこの誠実さを過度に要求するサービスを迷いもなく開発し続けることができるのは、こういう思想ゆえだろう。一方でmixiはそんな強く本名を求めるわけでもなく、足跡機能を削除するなど、躊躇が見られるわけで。

 次に政治等の団体に対しての透明性を語るときには「贈与経済」という言葉を使っている

「もっとオープンになって誰もがすぐに自分の意見を言えるようになれば、経済はもっと贈与経済のように機能し始めるだろう。贈与経済は、企業や団体に対してもっと善良にもっと信頼されるようになれ、という責任を押し付ける」
(略)
「本当に政府の仕組みが変わっていく。より透明な世界は、より良く統治された世界やより公正な世界をつくる」(P420)

 正直ザッカーバーグの思う贈与経済の意味が理解できないのだけども。これはなんか跡付けっぽいと思うよね。

 ほとんど使っていないので実感はわきにくいのだけれども、Facebookがかな過激な思想家の下で運営されているんだなというのが最終的に一番残っている感想。こういう武器を個人がたかだか数年もあればもてるというのはすごい時代だなあと。
 なんだかんだプライバシーはなくなってきているのであり、あと30年もしたら民間企業に片っ端からライフログをとられる時代になっているかもね。

 この本は、普通に起業っていう視点で見るだけでも相当に勉強になる本でした。
 この過程には人事、設備投資、資金調達、「ヒト・モノ・カネ」の教科書的なエッセンスが山ほど盛り込まれているわけです。
 終わり。

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