Monthly Archives: 9月 2013

『日本の童貞』渋谷知美

 中々ショッキングで面白い本でした。とりあえず童貞の定義から始まる。
 そもそもは修士論文らしく、非常に丁寧に歴史が調べられていて、論文として美しくて。
 なるほど、童貞などと言うところから見ると、男女の性の意識、互いに対する認識「女は家にいろ」みたいなのが、色濃くでてくるなと。色々な背景知識として面白いなと、以下長くなるけど、かなりお勧めの一冊ですわ。

 ではちょっと長いけど、1920年代の東大生の言葉

(P27)ほんとうに童貞は私が愛人と結婚する時に私が最大の歓喜をもって、私の妻に捧ぐる贈物であらしめるつもりです。私は私の愛人の処女たることを礼讃すると同時に私の童貞もが彼女によって礼讃せらるることを希望します〔略〕最高にしてしかも対等なる尊さ、純真さをもって二人は相抱擁することが出来やうと思ひます。是処にこそ真の真の夫婦なるものが理解されて存在するのではないでせうか〔略〕こんな意味で来る可き私の結婚を輝しき光にみちたるものとして胸をおどらして待つて居ます。

 このころ、女性は処女であるべきとされる一方、男性はいろんな相手とセックスをすればいい(これを性的放縦(ほうしょう)というらしい)とされていたそうな。さらにはこのちょっと前1870-1910年代は、男色(なんしょく)も普通だったとか。
 それは法律でも同じように適用され、女性の拒否によるセックスレスを原因に男性側が起こした離婚訴訟で次のように裁判所が判事したという。

(P30)女子の貞操の喪失、すなわち其の純潔の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対するそれとの相違にに基づくものであって、之を同一に評価することは法律上妥当しない。

 さらに1920年の雑誌『性』の「男子も貞操を守るべきか否か」をに問うアンケートで、男性論者のほとんどが「男女とも貞操を守るべし」と述べていると。1910~1920年は男子も貞操の時代なのだ。
 そこで現れたのは平塚ライチョウ。「花柳病男子結婚制限法」の請願やら、「花柳病男子拒婚同盟」やら、風俗関係でなりそうな病気になると結婚できなくさせようぞ。と。これに与謝野晶子が反論する・・・。とこの辺が非常に面白いのだけど、書いてたらきりがないので、紹介までに
 なんかこの時代本人たちはイタって真面目なのでしょうが面白い。こういったことを喧々諤々議論していたんだなあと。

 この「童貞守っていこうぜ!」という時代は、1960年代まで続くが少しこの辺りで代わってくる。変わる直前は

(P111)実際、ビックリしました。こんなに童貞のヒトが多いなんて・・・・・・。男性って、みんな勝手な事をしてて、そのくせ女性には処女を要求する――と考えてましたけどねえ。これからは、独身男性を見直さなきゃ」

 もちろん、童貞が褒め称えられてはいるけれども、男は相変わらず遊び人もおおそうではありますね。
 で、ちょっと雰囲気が変わる1970年男子

(P114)そんなことをしゃべるんですか?困っちゃうな。たしかに未経験ですよ。そんなこと、どうだっていいじゃないですか?第一、友だちにも隠してるんだ。いまさら童貞だなんて、カッコ悪くていえやしない(略)やりたいなあ。一度経験しちゃうと、ずいぶん気が楽になると思うんだ。童貞って、ほんとに自慢できるもんじゃないと思うよ。重荷だもん。童貞ということばにまで抵抗を感じることがあるな。

 1970年に青春を過ごした世代はちょうど今60才くらいだろうか。風俗でいいから童貞捨てて来い。みたいなことを言うおっさんはこのあたりからできてるんですな。

 と、そして、ご存知のように、現代への流れに繋がってくる。今は、多少「童貞だっていいじゃない(み○を)」みたいな、慰めてるのかけなしているのかよくわからないような時代ですわな。
 なんとなく、今の時代、昔から比較してみれば「童貞」には「駄目な男」という刷り込みかなり強くはいっているんだなと。
 私は理系の単科大学出身ゆえ、私を含め女性経験が少ない輩が少なくなかったわけですが、これが優秀で、卒業後7~8年で十組以上結婚しているはずだけど、離婚の報告は聞かず。円満な家庭が多い。おまけに転職も少なく収入も安定している人が多い。
 そりゃそうだ、ナンパの仕方も知らず、学生時代勉強やら趣味に打ち込んできた輩だ。その辺は堅い。

 そもそも日本は街ぐるみでの筆おろしとか、お見合いとか、童貞(処女)をわざわざ捨てる必要のなかった国であるはずで、男も女も性に開放的であるほうがカッコイイというような、ちょっと背伸びして無理してるのかも知れないね。
 もし、この「童貞」に不利な世の中が続くのであれば、親は子どもに「異性と遊んで来い」と、ちょいと変なアドバイスで教育しないと、まともな配偶者さえもらえない、なんて事になりかねない(笑)。やっぱり「勉強っておもろいやろ!」「趣味に大いに打ち込みなさい!」と言える社会がいいよねえ。

想像力とセンスの前にひれ伏すもの達/映画『風立ちぬ』

 風立ちぬ。ちょいと見てきました。
 ちょうど同じ日に、小林賢太郎の「LENS」というお笑いの舞台作品をみておったのですが、似たようなことを言うんですね。

LENS
「想像力に知識はひれ伏す」
風立ちぬ
「センスは時代をさきがける 技術はそのあとについて来るのだ」

 この言葉が耳に残るというのは、自分の心に何かひっかかるものがあるっつーことだと思いますが。
 30も近くなって、知識の収集バカリに努めていてはいかんなと。宮崎駿は確実に「てめーらもガンバレ」と風立ちぬで言っていると思うわけで。なんか身が引き締まった思いが強く強くした一日でござんした。ロマンを持たねば。

 ほんとに風立ちぬは、ほんと最後に好き放題作りましたっていう感じですね。
 仕事と妻という男の二つの課題をドドーンと正面から扱って、なんか説教されている気すら。いや、説教されたよね。特に、ジブリ映画にしては随分ラブシーンがしっかり書かれていたように思う。雨戸を閉めるシーンに、ワクワクしちゃったよ。
 仕事が産み出す自己矛盾。「男は仕事をしてこそ」。しかしその仕事の成果である飛行機は、一つも帰ってこない。むなしい。

 なんか、モチベーションの源泉として家にDVDでも持っておきたいな。

ものづくりが変わる?⇒『MAKERS』クリス・アンダーソン

 3Dプリンターの話がちょいちょいでるので勉強がてら。
 と思ったのだけど、まず
 ちょっとwikipediaのこの文章に笑いつつ。

このような論争にも関わらず、『Free』の印刷版はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストの12位でデビューした。一方、無料のデジタル版は300,000近くダウンロードされ、本書の提唱するフリーミアムに信憑性を与えるものとなった。

 Freeという本を出して、その本自体がFreeを否定してしまったと。まあなんでも複雑な条件があって初めて成り立つことやね。

 とりあえず、3Dプリンターを持っていると、設計図を入力するだけで、うい~んと機械が動いて3Dの物質を作り出すことが出来る。と。
 このムーブメントには3つの特徴がある(P32)

    • デスクトップのデジタル工作機械を使って、モノをデザインし、試作すること(デジタルDIY)。
      それらのデザインをオンラインのコミュニティで当たり前に共有し、仲間と協力すること。
      デザインファイルが標準化されたこと。おかげでだれでも自分のデザインを製造業者に送り、欲しい数だけ作ってもらうことができる。また自宅でも、家庭用のツールで手軽に製造できる。これが、発案から企業への道なりを劇的に縮めた。まさに、ソフトウェア、情報、コンテンツの分野でウェブが果たしたのと同じことがここで起きている。
  •  印刷機の発明とかそっちではなく、ソフトウエアのオープンソースとかそっちやと。

     あとは、著者お得意のロングテール(P113)

     高品質な品物を少量だけ生産し、手頃な価格でそれを販売できるようになれば、経済は破壊的な影響を受ける。そしてここに、アメリカの製造業の未来がある。
     3D印刷のようなコンピュータ化されたもの作りのプロセスは、コストをかけずに複雑さと品質を実現してくれる…これまでの紙のプリンタは、ただの円もモナ・リザも、同じく簡単に印刷できた。3Dプリンタにも同じことがいえる。

     未来の話としては面白い気がする。少量生産というのがポイントかも。

     いや、非常にクリエイターになりやすい、しかも起業家としてもやりやすい時代になったということは、しっかり意識したいね。

    『深い河』遠藤周作

     久しぶりにひっそり更新。相変わらず書いた内容は支離滅裂…。
     ふと「Deep River」と言う曲は、この遠藤周作の「深い河」からインスピレーションを受けているのだと知り、色々思うところもあり、手に入れた本でした。

     まーこのブログも書かない数ヶ月。いろんなことありましたわー。うーん。経験と言うのはつまねばならんね。ほんま。まだあと80年は経験積まないといかんわ。

     インドツアーが催され、そのツアー中に複数の主人公がいる。
     宗教を考えたこともないのに妻の死をきっかけに転生と向き合わされた人だったり、自分が臨死体験をして代わりに死んでくれた(と思っている)鳥に感謝するためにインドに来ていたり、色々なそれぞれの死生観を絡めての葛藤が面白い。宗教に肉欲も絡み、非常に純粋なお父さんの奥さんへの愛とか、動物への愛とか、戦争のPTSD的なものとか、色々ごちゃごちゃしているけれども、そのおかげで飽きさせず非常に読みやすくて面白い本でしたよ。今の自分の境遇とかにも色々重ね合わせられる面もあったりして。

    以下特に支離滅裂。

     個人的にはその中でも大津という日本で育ったカトリック教徒が神父になるにあたっての日本人らしい葛藤がとても面白かった。

    (P191)神学校のなかでぼくが、一番、批判を受けたのは、ぼくの無意識に潜んでいる、彼等から見て汎神的な感覚でした。日本人としてぼくは自然の大きな命を軽視することには耐えられません。いくら明晰で論理的でも、このヨーロッパの基督教のなかには生命のなかに序列があります。よく見ればなずな花咲く垣根かな、は、ここの人たちには遂に理解できないのでしょう。もちろん時にはなずなの花を咲かせる命と人間の命とを同一視する口ぶりをしまうが、決してその二つを同じとは思っていないのです。

     遠藤周作その人がカトリック教徒のようで、本人の叫びそのものじゃないのかという大津の言葉が色んなところにちりばめられている。
     と、そんな真面目な大津を、美津子と言う女性がバカみたいと、教会に行かずに私の家に来なさい。と、神から大津を寝取ってしまう。そして、美津子は神を玉ねぎと呼び、大津を批判する。結局大津は、美津子に捨てられ玉ねぎの元へ戻っていくのですが、玉ねぎも気まぐれで、大津をツアーの行き先インドへと。そして美津子は大津に会いにインドに来てしまった。
     結局振り回されているのは、美津子なのだけど、大津の姿勢もさることながら、美津子がおっかなびっくりで宗教に触れている感じが、日本人なら共感できるに違いないと思ったり。

     また史実が挿入されていて、インディラ・ガンディー首相が暗殺されるという事件がツアー中に発生する。支持を集めていた首相が殺され、市民の気は立ち町は異様な雰囲気に包まれる。ここから、大変厳しい結末への引き金となっていくのだけれども、非常に色々な捉え方のできる史実を入れてくるのは中々面白いなと思ったり。

     そして、色んな背景の主人公がガンジス河で色々な面で抱えていた悩みから色々な手段で解き放たれていくのだけど、舞台としてガンジス河というのが面白いのですなあ。ガンジス河は人が死ぬために集う河。ガンジス河に自分の亡骸の灰が流されると、転生してよりよい生まれ変わりができるのだと。特に、カーストの厳しい国なのでよりその願望が強く、ヒンズー教とも相性が良かったと。その平素から死を迎え入れる河だからこそ、貧困に耐えやっと死ぬことが出来る人が集まる河だからこそ。
     やっぱりガンジス河は生で見てみたい気がしてくるなあ。多分、悲しみを味わいに行くところなのだろう。

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