中々ショッキングで面白い本でした。とりあえず童貞の定義から始まる。
そもそもは修士論文らしく、非常に丁寧に歴史が調べられていて、論文として美しくて。
なるほど、童貞などと言うところから見ると、男女の性の意識、互いに対する認識「女は家にいろ」みたいなのが、色濃くでてくるなと。色々な背景知識として面白いなと、以下長くなるけど、かなりお勧めの一冊ですわ。
ではちょっと長いけど、1920年代の東大生の言葉
(P27)ほんとうに童貞は私が愛人と結婚する時に私が最大の歓喜をもって、私の妻に捧ぐる贈物であらしめるつもりです。私は私の愛人の処女たることを礼讃すると同時に私の童貞もが彼女によって礼讃せらるることを希望します〔略〕最高にしてしかも対等なる尊さ、純真さをもって二人は相抱擁することが出来やうと思ひます。是処にこそ真の真の夫婦なるものが理解されて存在するのではないでせうか〔略〕こんな意味で来る可き私の結婚を輝しき光にみちたるものとして胸をおどらして待つて居ます。
このころ、女性は処女であるべきとされる一方、男性はいろんな相手とセックスをすればいい(これを性的放縦(ほうしょう)というらしい)とされていたそうな。さらにはこのちょっと前1870-1910年代は、男色(なんしょく)も普通だったとか。
それは法律でも同じように適用され、女性の拒否によるセックスレスを原因に男性側が起こした離婚訴訟で次のように裁判所が判事したという。
(P30)女子の貞操の喪失、すなわち其の純潔の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対するそれとの相違にに基づくものであって、之を同一に評価することは法律上妥当しない。
さらに1920年の雑誌『性』の「男子も貞操を守るべきか否か」をに問うアンケートで、男性論者のほとんどが「男女とも貞操を守るべし」と述べていると。1910~1920年は男子も貞操の時代なのだ。
そこで現れたのは平塚ライチョウ。「花柳病男子結婚制限法」の請願やら、「花柳病男子拒婚同盟」やら、風俗関係でなりそうな病気になると結婚できなくさせようぞ。と。これに与謝野晶子が反論する・・・。とこの辺が非常に面白いのだけど、書いてたらきりがないので、紹介までに
なんかこの時代本人たちはイタって真面目なのでしょうが面白い。こういったことを喧々諤々議論していたんだなあと。
この「童貞守っていこうぜ!」という時代は、1960年代まで続くが少しこの辺りで代わってくる。変わる直前は
(P111)実際、ビックリしました。こんなに童貞のヒトが多いなんて・・・・・・。男性って、みんな勝手な事をしてて、そのくせ女性には処女を要求する――と考えてましたけどねえ。これからは、独身男性を見直さなきゃ」
もちろん、童貞が褒め称えられてはいるけれども、男は相変わらず遊び人もおおそうではありますね。
で、ちょっと雰囲気が変わる1970年男子
(P114)そんなことをしゃべるんですか?困っちゃうな。たしかに未経験ですよ。そんなこと、どうだっていいじゃないですか?第一、友だちにも隠してるんだ。いまさら童貞だなんて、カッコ悪くていえやしない(略)やりたいなあ。一度経験しちゃうと、ずいぶん気が楽になると思うんだ。童貞って、ほんとに自慢できるもんじゃないと思うよ。重荷だもん。童貞ということばにまで抵抗を感じることがあるな。
1970年に青春を過ごした世代はちょうど今60才くらいだろうか。風俗でいいから童貞捨てて来い。みたいなことを言うおっさんはこのあたりからできてるんですな。
と、そして、ご存知のように、現代への流れに繋がってくる。今は、多少「童貞だっていいじゃない(み○を)」みたいな、慰めてるのかけなしているのかよくわからないような時代ですわな。
なんとなく、今の時代、昔から比較してみれば「童貞」には「駄目な男」という刷り込みかなり強くはいっているんだなと。
私は理系の単科大学出身ゆえ、私を含め女性経験が少ない輩が少なくなかったわけですが、これが優秀で、卒業後7~8年で十組以上結婚しているはずだけど、離婚の報告は聞かず。円満な家庭が多い。おまけに転職も少なく収入も安定している人が多い。
そりゃそうだ、ナンパの仕方も知らず、学生時代勉強やら趣味に打ち込んできた輩だ。その辺は堅い。
そもそも日本は街ぐるみでの筆おろしとか、お見合いとか、童貞(処女)をわざわざ捨てる必要のなかった国であるはずで、男も女も性に開放的であるほうがカッコイイというような、ちょっと背伸びして無理してるのかも知れないね。
もし、この「童貞」に不利な世の中が続くのであれば、親は子どもに「異性と遊んで来い」と、ちょいと変なアドバイスで教育しないと、まともな配偶者さえもらえない、なんて事になりかねない(笑)。やっぱり「勉強っておもろいやろ!」「趣味に大いに打ち込みなさい!」と言える社会がいいよねえ。
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