Monthly Archives: 9月 2011

SF?『家族八景』筒井康隆

 タスクが一杯溜まっていますが。サボってます。ゴメンナサイ世界。

 抽象画というジャンルが世の中にはあるらしく、美術館に行ったりすると、○とか△とか□とかだけで構成された絵がある。

 人間は物を認識する時に、脳はまず○とか△とか□とかで認識するんだと読んだ事がある。それを読んで、抽象画がこの世の中に存在する意味をうっすら理解したような気になったもんだ。抽象画を描く人は自分の認識を極限まで単純化して描いているんだろう。余分な情報を削っていくと、最終的に△とか□になってしまったのかと。正直、△とか□って削りすぎやろって気がするのが本音だけど。まあでも、五七五でまとめちゃったりするのも、ある意味抽象芸術かもしらんな。極限まで見る側のリテラシーを要求されとるのかも。
 ちなみにWikipedia先生は、○や□が特定の何かを現す場合は「具象絵画」と言い、それはせいぜい「広義の抽象絵画」である、と書いてある。絵のことはよく分からない。目玉焼きを○二つ使って描いたら、それは具象絵画。何か卵料理的な何かを○二つ使って書いたら抽象絵画?

 それはともかく、筒井康隆が抽象画を描く人を、短編小説の中で描いている。『家族八景』という短編集の中の『日曜画家』という作品。
 抽象画を描く(とはいっても日曜画家)竹村天洲(てんしゅう)と言う人の家に、火田七瀬がお手伝いさんとして派遣される。七瀬は人の考えを読む能力を持っており、それ故に人間関係がうまくいかない。汚い考え方に嫌悪感をもったり、分かってしまうが故に、相手に不信感を抱かれたり。そこで転職が容易なお手伝いの仕事をしている。
 七瀬がここに派遣された初日、当然のように抽象画家天洲の考えを読むと、普通は考えていることだとかが聞こえてくるところ、天洲の場合は、妻はダーク・グリーンの長方形、長男は外側がダーク・グリーン、内側をオレンジで塗り分けた同心円、と映像として捉えていた。ちなみに七瀬は、小さな白い丸。しゃべるとビクビクっとそのイメージが動く。その意識の中では他人を抽象的な物体として認識しているらしい。
 そして天洲が実際に作品として描く絵の中にもその妻や、長男と同じ形が出てくる。外部から見れば、ただの長方形や丸なのだが、実は妻や息子を示していたのだ。その抽象化された画が泥沼の中で苦しんでいる。
 この物語には、昔犯した女。これから犯そうとする女なんかも出てくる。その人達にもそれぞれの色形が与えられる。
 天洲が他人を抽象化して認識する一番の要因は彼自身の精神的な理由があるということなのだが、この辺は、是非本編を読んでみる事をお勧め。

 七瀬が天洲の絵を素晴らしいと思っている時のこの言葉が妙に気に入った

もし自分が天洲という人物を知ることなしにこれらの作品を見たとしても、やはりこれらを傑作と判断したかどうかははなはだ疑問だった。それらはいわば絵に描かれた私小説であり、キャンヴァスに定着した天洲自信の意識野だったからである。おそらくどのように高度な批評眼を持つ人々といえども、この絵の本来の面白さはわからないに違いなかった。しかしそれは、絵が駄作であるということではなかった。

筒井康隆の気持ちが透けているような気がする。さらにググってみて知ったけど、筒井康隆の息子は画家だそうだ。
 他人に面白さが伝わらないものでも、本質的には駄作ではない。なんか、この感じ「逃げ」だし世間じゃ通用しない考えなんだろうけど、好きだわー。

 風景画や人物画ならまあ、適当に良いだの悪いだの簡単に言える。でも実際は、時代背景やその人の見方、歴史、そこまで知って初めて、あるいは外部から絶対に知り得ない情報を入れて初めて作品と言えるものがたくさんあるんだろうなー。そしてまだまだ未開の作品が沢山眠っているだろうなー。解説を加えることで初めて作品になる。解説する人も大事な役目だね。
 それを見つけるには、勉強するしかないと。なはー。

 結構筒井康隆の書く画家の内面に度肝を抜かれたのでした。
 そうそう、書き忘れた。他人の家庭の考えを除く七瀬ちゃん。処女であるという設定に筒井康隆の並々ならぬこだわりを感じる(笑)

1700字くらい

漠然とした不安

 たまには弱音も記録に残してみようかと。
 昨年の税理士試験から一年以上が経過した。大学入学から税理士試験終了まで、それなりに気合い入れて走って来たような気がする。その期間なんと9年間。走ってきたと言うよりは、重力に任せて転がってきた、と言った方が正しいかもしれない。全力でその程度かと言われそうだけど、元が悪いのでこんなもんです。
 で、試験が終わってからのこの一年、本読んだり、人と会って話を聞いていたりすれば、自ずとまた転がり始めるだろうと思ってインプットを増やしてみたけど、転がらなかった。
 今真面目に、自分で無理矢理でも動かなければいけないのか、転がり始めるのを待つのか迷い始めている。 » Read more…

TVドラマ『わたしたちの教科書』 脚本:坂元裕二

 鬼平犯科帳をみまくっているんだけど、ちょっと浮気して近くの棚にあったTVドラマを借りてみた。

 中学校でいじめがある。いじめられていた女の子が謎の転落死。
藍沢明日香(志田未来):中学生。いじめられていた女の子。両親の離婚等により、施設に入れられる。
積木珠子(菅野美穂):弁護士。バツ1で明日香は元旦那の連れ子。明日香と3ヶ月くらい過ごしたことがある。
瀬里直之(谷原章介):弁護士。珠子と同じ法律事務所におり、一時はプロポーズもしたが別れた。
雨木真澄(風吹ジュン):副校長。「いじめは存在していません」と30回は言った。
その他愉快な先生と生徒達。

 なんかイライラするドラマだった。人間のキャラの変容ぶりが凄すぎて。大人ってもっと頭が固くて、しかし柔軟なもんじゃないかな。

●いじめを認めさせたい母親 VS いじめを認めたくない学校
 珠子が死んで初めて母性本能が芽生え初め、学校に弁護士バッジをぎらぎらさせながら喧嘩を売る。
 学校の実質的な代表である雨木は、「いじめがあったことを認める」事はいじめの根絶には繋がらないことを理由に、いじめは無かったと主張し続ける。確かに裁判やマスコミで「いじめがありました」と言ったところで悪化しても良くならないだろうと言うところは同意。
 雨木さんがまずいのは、校外に対するだけでなく、校内に対しても「いじめがなかった」と言い続けたところ。これは解決を先延ばしにするだけの、無意味な決断。これはドラマをみる人間は共感し、「雨木うんこ踏め!」とみんなで思えるところだろう。

●いじめる子供といじめられる子供
 いじめられる子には理由はなく、いじめを主導する子には、家庭環境に問題があり、そのはけ口としていじめるのだという気配が受け取られる設定。
 この設定はしっくり来ない。個人的には逆な気がする。いじめられやすい子っていると思うし、逆にいじめる方の家庭環境が悪いなんてことは希薄なイメージだけどどうなのだか。
 また、いじめられる生徒が死にたがるわけだけど「誰も私が死んでも悲しまないから」とか言う。けど、いじめられるときって「ただ辛いから死にたくなる」んじゃなかったかなーと思ってみたり。

●母と子
 三ヶ月一緒に過ごしただけの母と子が親子になれんのか。珠子は明日香からもらった手紙をにぎりしめて法廷に立つ。2~3年自分の金で裁判やってたみたいだけど、そこまでの愛が産まれるのかはなはだ疑問。 » Read more…