Category Archives: 旅する

榊原紫峰 in this beautiful world

 何はともあれ、榊原紫峰(1887年8月8日 – 1971年1月7日)という画家の「青梅」っちゅう作品を見ていただきたい。

 鳥取の足立美術館というところに、行ったわけなのですが、まーとにかく榊原紫峰という方の作品が素晴らしかった。
 このちっこい画像ではとても伝わらないけれども、幹がすっごいしっかり書かれている。血管の浮き出た様はマンガでも、写真でも、絵であっても、異様なエネルギーを感じるもんだけど、植物はソコかと。でもって幹によく付いているコケや、病気のような後、育ってきた過程が目に見える傷なんかも非常に緻密。葉っぱに隠れて日が当たらない葉っぱなんかも!
 会社で行ったツアー旅行だったので、あまり時間はとれなかったけれど、榊原紫峰に張り付いていた。

 美術館でふと耳に入って驚いたのだけど、この「青梅」という作品は40歳前に書かれた作品。このほかにも20代前半の作品が数多く収蔵されており、若いころの作品でもびっくりするほど植物が克明に書かれている。鳥なんかも多いけど、年をとるほど正確に、美しくなっていく。ちなみに、うっとおしいほどの幹表現は、だんだん落ち着いてくる(笑)
 また、この榊原紫峰は京都生まれの戦前戦中戦後を生きた人でもあるわけで。本やらなんやら見ていると、文展やらの派閥争い(?)に巻き込まれた一人でもあるようで。年齢やら時代やら、そんなところも読み解けたら面白いだろうなあとも。
 また、お気に入りの作家を見つけてしまった。

 これならいつでも見に行きたい。誰かまた一緒に行きましょうぞ。実家が近いので宿は無料だぜ(笑)

 自分の話だけれども、私は若冲にしても、宇多田にしても、ごちゃごちゃしたものがすきなんだなあと思う。そしてできれば、ごちゃごちゃの全てを理解したい。いやアホなので無理だけど。
 色々なものの関係性の中で「何か」は一時的に存在するのであって、どれが主役ともなく、全ての中で全てが美しい。そーいう絵を書く人が好きだなと思ってみていた。葉っぱは虫が食われていて初めて落ち着くし。欠点こそがモノの美しさに違いない。そぎ落とした美しさはまだ理解できないのかもしれない。
 憧れじゃなく愛なんだよなあ。

 Beautiful World っつうのは、Love Psychedelico の新曲から拝借させていただきやした。
 もっと美しきこの世界を楽しもうじゃないですか。

屁理屈の技術

 2012年11月10日横浜でディベート大会に参加してきました。

 屁理屈というものの凄さをしみじみと考えさせられた一日でした。屁理屈って相手も想定していないから、感情的に間違っていることはわかるんだけど、案外きちんと反応しきれないですな。

例題)プリンを買うべきか否か

・多少無理があっても、相手が想定もしていない観点から攻撃する
例)プリンを買うことによって店主が助かる
・相手の常識的な反論には、原理原則を限定的に使って譲らない
例)他人を助けることはいいことだ。聖書にも書いてある。プリンで家計は破綻しない。プリンで健康は壊れない。

 で相手が、「店主は本当に助かるのか?」と議論の中に入ってきたら、ディベートはこっちのペースになる。
 「ふざけんな問題はそこじゃねーだろ」と言えないと。

 まーディベートは「ゲーム」なのでこれでいいんだけど、やっぱり真摯にメインの内容、論点で議論を深めたいよなあと。敗者の弁なのでした。
 以下はもうちと内容に。

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Everybody feels the same/京都音博2012

「京都音楽博覧会2012 IN 梅小路公園」
 行ってまいりました。音博は3回目ですかね。多分。
 過去、石川さゆり、ハンバートハンバート、レイ・ハラカミと出会った音楽祭です。ああ、聲明(しょうみょう)なんてのもここで初めて聞いたな。

声明(しょうみょう、旧字体:聲明)とは、日本のあらゆる音楽の原点と考えられている仏教音楽。仏典に節をつけたもので儀礼に用いられる宗教音楽である。日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)ともいう。
wikipedia「声明」

 今回は出演アーティスト中に、東北に(くるりと)支援している方も多く、震災を思い出す場面も多かった。なお、昨年の音博は行けていないのだなー。

 ステージ上には大漁旗。なお、公園の横では京都水族館なるものがオープンしていたようで、イルカショウをやっておりました。イルカが飛んでいるところが見える状況でライブ。なんという。

 この音博でゾクゾクっとしたのはくるりの「everybody feels the same」。くるりはこの曲をエンディングに持ってきた。まあそれだけならなんてことはないのですが。
 思い出すのは、宇多田ヒカル「虹色バス」と言う曲。この曲も最後は「everybody feels the same」で締められる。そして宇多田ヒカルはこの曲をラストライブのエンディングに持ってきた。ってか、くるり「虹」という単語入っているぞ。
 言葉に過剰なほどの気を使うこの人たち。しかも方向性は真逆に近いこの二人。民衆に投げかける言葉として選んだ言葉が一緒だというのは鳥肌がたったですよ。

 使っている意味やニュアンスはかなり違うとは思うけど、「everybody feels the same」が薬になる病気、すなわち、思考が一人カラに閉じこもって抜け出せなくなるってのは、現代病なのかもしれないですね。
 一つ言葉を発するにも非常に気を使う。この音博でも細野晴臣や山口洋のおっさん方に見せ付けられた、いい意味での「言葉の軽さ」。カッケーのですわ。

 ところで、山口洋さんってのは今回始めて知りましたが、去り際とかがちょーかっこいい。追いかけねば!
 何を書いているか分からなくなったけれども良いライブでした。

 一緒に行ってくれたM君及び、ライブ関係者各位。ありがとうございました。来年もいくぞー。

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京都おもれーなー(主に相国寺)

※引越ししてからやっとネットが開通しましたー。住所等変わっております故よろしゅうに。

 社員旅行で京都にいかせていただきました。京都に正直あまり興味はなかったのですが、今回の旅行で京都の面白さを短時間ではあるけれど、しみじみ思い知ってきました。
 1日目は観光タクシーを使って、色々な解説を聞きながら。
 2日目はあっちらこっちらに個人行動自分の足で。

 始めに解説されて、なるほどそういえばそうだと納得したことが、あの地味なお寺は朱色や金色で染められ、花がそこら中に描かれるド派手な建物だったという事実。
 まだ灯りも貴重な時代。吸い込まれるような真っ暗な夜に死を想像し恐れる人々。そこに、ド派手なお寺を作り、亡くなってもこういう美しい世界にいけるのだと、お寺は人を安心させていたのだと。
 今回の旅行では天井に色々驚かされました。お寺の天井にそのド派手の名残が残っており、花の絵がうっすら浮かんでいたりするのです。三十三間堂なんかは、さりげなくライトを当てて強調していたり。

 一番面白かったのは、二日目に一人でトコトコ訪れた相国寺。京都御所の北にすぐにあるお寺です。
 ここは私の大好きな伊藤若冲先生(画家 1716年3月1日~1800年10月27日)が禅を習った寺で、鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)は相国寺の出張所みたいなものらしい(WIKIより)。雪舟なんかもここ出身だとか。若冲先生はその鹿苑寺に襖絵なんかを書いて送っており、それが相国寺の美術館に飾られている。現在は葡萄と芭蕉の絵があったけど、葡萄の絵は虫食いの葉っぱをあえて描いていたりしてなんどもひねくれている若冲先生らしいなどとニマニマしたり。

 相国寺で何より面白かったのは鳴き龍という天井(リンク-相国寺 法堂の鳴き龍/京都を歩くアルバム)。龍の下にたって、手をたたくと、龍が鳴くのですわ。あのド迫力の龍にただでも驚くのに、鳴くとなれば。ちなみに、作者は狩野光信((1565?1561年?~1608年7月15日)さんというらしく、若冲先生の師匠もまた狩野派だったわけで、歴史を感じるわけです。
 なお、若冲先生のお墓があるので、そこもちゃんと参ってきました。写真は若冲先生のお墓です。
 他にも、相国寺にある宣明という禅の風呂(風呂と言っても修行の一環)があって、その入り方について色々おっさんから話を聞いたり。

 そのほかにも仏像の見方なんてわかるとなかなか面白ろそうです。聞いたことだと、「○○如来」と言われる偉い人がおられる。この人たちは、布一枚で物とかを持っていない。これは、如来ともなると、物などの力を借りずとも十分なパワーともっておるということだとか。
 釈迦如来は仏教を教えてくれた人であり、この人をみたらこれまでの感謝をしなさい。薬師如来は必ず日と月の仏さんを従えており、今の事、つまり病気を治してほしいとかそういうことを頼みなさい。阿弥陀如来は来世の世話をしてくれる人だから、先の事のお願いは阿弥陀さんにしなさい。とかおっさんが言っておった。

 龍安寺では、入り口がいきなり台所で、台所には普通米袋持った大黒様なのだが、京都の台所は韋駄天様(忙しいから(笑))がいるとか。
 三十三間堂には1001体の仏像がぞろぞろ並んでおるのですが、これはパーツごとに作る人が何人もいて、それをバラバラに組み合わせるので、この大量の仏像はすべて違うのだとか。

一応行った所は
(一日目)東寺、三十三間堂、龍安寺、金閣寺
(二日目)相国寺、清水寺、高台寺、建仁寺
これくらいですわ。
 三十三間堂は、平清盛が皇族への賄賂として作った建物で、成り上がるために天皇に献上した建物のひとつらしいですな。ここから武家の時代が始まったんだと、解説のおじさんが息巻いていました。
 ほとんど予習せずに行きましたが、今度行くときは歴史をきちんと抑えたうえで京都五山を抑えてみたり。南禅寺は行きたいですなあ。

上から読んでも下から読んでも山山山

わけいってもわけいっても許されない 言い訳三投下

 この3日間家で引きこもって本を読んでいる予定だったところ、ありがたいことに方々からお誘いを受けあっちゃこっちゃら行って参りました。貴重なWEBリソースを少々消費させて頂きます。

ボルダリングの図

ボルダリングの図

 一日目5月3日。ボルダリング(岩をヒモとかなしでガシガシ登るスポーツ)を行うために豊田市へ。
 ボルダリングはタダ岩があれば良いというわけでもなく、コケを落としたり、難易度が設定されていたり、道が整備しされていたりと先人が切り開いてくれた場所で行われることが多く。そして、豊田市はちょっとしたボルダリングの名所のようです。
 左画の通りマットを敷いて登るわけですが、落ちる時に気を付けないとマットから外れたり、マットの上でも落ち方が悪いと、まま痛い目に。前年末にこれで強打してエライ目に遭いました。とはいえ、数ある山系スポーツの中でも、死亡事故にまで至るようなものは少なく、比較的取り組みやすいのかなと。私が強打したのも調子にノッていたのが悪かったわけで…。
 近頃はボルダリングをする人は着々と増えておるようです。体重が軽い方が有利なこともあり、女性にも中なか人気があるようで。スポーツジムも急激に増えてきており、ジム内だけでやる方も多数。もし興味が在れば誘ってくだされ。

 ところで、一緒に登っている面々は「THE☆山男」なので、色々おっそろしい話なんぞも聞かせて頂きながら。この人たちといると、どう転んでも人生どうにかなる気がしてしまうのが、困った事です。そんなワイルドな話を聞きながら、実際の岩の質感や温度を感じながら、自然に身を包まれながら登るというのはまた格別の気持ちでござんす。

権力への反抗

権力への反抗

 5月4日。豊橋市の葦毛湿原(うもうしつげん)へ、写真部の面々と撮影会へ。
 大学時代、新聞部の取材であった彼(⇒)と一度飲もうと言いながら、いつのまにか4~5年。ふと思い立って連絡してみたところ、「撮影会するか」と言うことに。なんだかんだで、先方は写真部4人。私も新聞部の後輩1人を連れてきまして、湿原へ。全員男DA。
 撮影会と言うことで、さすが写真部様、ゴッツイ10万超えのカメラをみなさんご持参で。
 本当に皆さん熱い方々で、1人は話を聞いていると写真雑誌(多分「カメラマン」という雑誌だったと)の金賞を受賞されたとか。キャンプファイヤーの炎の用に燃えさかっている男は少々苦手ですが、ガスコンロの青い炎の様に静かに熱く燃えている男は大好きです。
 自分のカメラは5~6年前購入のCANON Power Shot A530で2万円程度で買った品。これについても今更ながら色々な機能が付いていることを教えてもらっていました。シャッタースピードやISO感度の使い方等を恥ずかしながら初めて知りました。家に帰ってそれぞれの設定値で撮ったモノを見比べて改めてビックリ。これは面白い。
 ところで、写真部新入部員の子(18才!!!!)がいたけど、辞めるということにならないと良いのですが。撮影会と集めておきながら、おっさんの口車に乗せられてプチワンゲル部のごとく山を登り始めているし、その途中の会話が卑猥で卑猥で。何回「おっぱい」と豊橋で叫んだことか。「俺のマグナムが」と叫んでいたことか。
 イヤイヤイヤ誤解しないでよ、彼(⇒)がね。まあでも彼との話し合いの結果、やっぱりおっぱいはあってもなくても、どっちもどっちで良いところがあるよね。というところで合意に達しました。
 色んな風景写真も撮ったのですが、やっぱり素人が取ると平凡なんだよなー。悔しい。なんだかんだこの写真が一番イイ。この写真は、監視カメラを付けて人々の自由を侵害し監視社会への一歩を踏み出している自販機に反抗すべく、反社会的な写真を撮ろうとしていた彼の勇士を写真に納めた物です。

筍ご飯ウマーーー

筍ご飯ウマーーー

 5月5日子どもの日。一路常滑へ筍採り。
 新婚さんのお家へお邪魔させて頂き、筍を採らせて頂きました。とは言っても、採っていたのはほんの1時間もないくらいの時間で、あとは写真の筍ご飯作り。箸から器から何から何まで自然物(主に竹)を使っての調理。(さらに、エンドウご飯、しいたけご飯もあるんだZE!!)
 ところで、「筍は埋まっているのが美味い」というのは迷信だそうです。1メートルくらい伸びたやつの、上のサキッチョが一番美味いらしい。実際美味い。理屈を聞けばなるほどで、埋まっている子は、ふみつけられたりして大きくなれる可能性が低い。しかし1メートルも伸びれば、大きく成長できる可能性は高くなる。だから、竹は1メートルくらいになるところで、栄養分を集中投下するんだとか。だから、ちょっと伸びたくらいが美味いんだ!と。進化って凄い。あの超賢い旦那さんがなぜ農業なのか。なんとなく理解できる気がしました。
 そんな美味い筍を調理してくれている横で、私は竹を削ってひたすら箸を作っていました。
 形を整えようと削っていると、どんどん細くなるんですな。ご主人に「串?」と突っ込みを入れられ、さらには「つまようじ?」と。
 ええ、ええ、不器用ですよ!
 そんなこんなで、できた、そのご飯の美味い事、美味い事。急襲した私なんぞにここまで振る舞って頂き、感謝の念に堪えません。それにしても、「筍ご飯は市販だと2000円ね!3つ作ったから6000円。大豆いれて6400円!」としっかり恩の金額まで教えて頂けるところは、商売人の鑑であると想うわけです。いや、こういうのは大事ですよマジデ。しっかり稼いでください。
 今度は奉公させてください。それにしても、ええ旦那さん捕まえましたな。
 その後、奥様と餅食って、ちょいと海で黄昏れたりして帰りました。

 とまあこの三日間、とにかく自然を満喫して参りました。これだけでなく、飲み会があったり、めでたい報告なんぞも受けたり、相当充実した三日間でございました。
 会った人の人数総勢14人。ほとんど私は笑っていただけで、色んなモノ・事を教えて頂き、食べさせて頂き。なんか、幸せだなーと思うと同時に、自分には何ができるんだろう・・・とも考えさせられたり。
 何はともあれ、本当にありがとうございました。こんな奴ですがこれからもお願い致しますm(__)m

平山郁夫シルクロード美術館

平山郁夫
1930年6月15日広島に誕生。
1945年8月6日原爆で被災。
1959年原爆後遺症(白血球減少)
このあたりの自身の経験が、かの玄奘三蔵(三蔵法師)に重なるところが多いことに気づき、玄奘三蔵を調べるほどにどっぷりはまっていく。というのが平山氏の基軸のようだ。
 アジアのシルクロードをめぐり、それぞれの場所でスケッチをし、絵に収めていく。調べてみると50年で60回近くシルクロードの旅に出ている。
 それぞれ、地で現地の女性の絵を描いたり、ただの岩の風景があったり、とにかく片っ端から描いていったんじゃないか平山氏。愛を感じるのは、タリバンに破壊されたアフガニスタンの遺跡を1年以内にスケッチに行っていたりすること。この時代は自分の記憶にも新しく、妙に生々しかった。同じ時代に生きている画家の作品というのはまた全く意味が変わってみるものかもしれない。
 ピースをしていた石造(?)のスケッチが何だったのかは謎である。

 ところで平山氏はWikipediaを見ると、どうも外国で評価をされていないようだ。平山氏の絵はすごくわかりやすく、見たものを見たまま描いているように思う。美術館で思わず目に留まったのは旅先で書き溜めたスケッチブックの展示。これを見て漏れでた感想は「見た風景を絵に落とせると、さぞよいだろうなあ」。
 写真で撮ったものよりも、絵で書いた方が、見たものの再現性に優れている。もちろん絵の技術を前提として(優れた写真屋を否定するわけじゃないけど、やっぱり絵が優れていると思う)。
 絵を色々見ているわけでもなく、教育を受けたわけでもないのに、勝手に語るけど、モネの絵を見たときモネの主張というか感情がドサドサ入ってくるようで辛かった経験がある。でも、平山氏のものは「あーこうやって見えるんだろうなあ」と思わせる絵だった。外国では意見が感じられないと絵にも意味がないのだろうか。
 たまたま美術館内の書籍で見つけたのだけど、「広島生変図/1979年/広島県立美術館」という絵があって(広島にあるらしい)、この絵の中には不動明王が描かれている。原爆から30年以上。やっとその時に見たものを描けるようになったのかなと。これは現物を見に行きたい。

 この美術館に訪れた日、盆地一面を覆う桃の花を見た。この桃が美しいのは生活の中で咲いている桃だからだ。人の営みは美しい。
 桜が舞い散る恵林寺にも行った。鳥がばさばさ音を立て、庭の水が流れる音が響く。池は桜の花びらで覆いつくされ、波紋が美しい。その脇では鴨が1歳児のごとく飯にがっついている。訪れたわれわれも一歳児の視点で寺を眺めた。
 いくつかカメラに残しては見たけど、この風景は平山氏を呼んで描いてもらうしかない。でも、富士が絶えずこっちを見ている気配まではさすがに平山先生でも描けないかな。

 同じたびでよっぱらったおっちゃんの日本悲観論を聞いたり。うめー弁当食ったり。小学校の廃校で少々遊んだ。日本書紀の話も聞かせてもらった。まー色んなことを考え、色んな話をした。
 ふと思うのは、画家という職業はその一面を切り取る仕事。逆に言えば、絵を見てもやっぱり一面しか伝わらない。そう思うと辛い職業だなあ。それに、人間はそんだけすごい量の処理をしているんだということでもあるわけで。あー途方もない一日をすごしているんだなあ。
 この文章を書き終え、この旅の始まりから丁度24時間くらいになる。

 以上。言葉が1/3でも伝わっていてくれていれば嬉しいわけでして。そしてこれからも、少しずつ言葉を吐き出すので、少しだけでも受け入れてもらえるならこれに越した幸せはございません。また、是非貴君の意見を聞かせていただきたいと思っておるところです。今後ともよろしくおねげえいたします。

さてさて愛知に帰ります。
山梨のマンガ喫茶にて旅の余韻にふけりながら
自己陶酔型の恥ずかしい文章を書くの巻
4/17 AM6:00

2010年の自分を振替ってみるのコーナー(あけおめ)

 あけましておめでとうございますm(__)m
 ふつつつかものですが、本年もよろしくお願い致します。

 税理士試験のことでもまとめるかと思っていたらいつの間にか、新年明けてしまいました。
 ちょいと、昨年を振り返ってみます。(ほんとは年末にかいてるよん)

Twitter

 私にとって昨年の一番のキーワードはTwitterだったりするかもしれませぬ。

ブログとTwitter投稿数


1人寂しく寝られない夜にはTwitter!
クリスマスの夜も、明石家サンタを見ながらTwitter!!
僕はいつでもTwitter!!!
というほどではありませんが、Twitterにはまった一年でありました。
 Twitterが面白いのは、結構な知識人(税関係の先生方)や芸能人(宇多田ヒカルですな)が参加していることがとてもでかい。ブログや普通のニュースサイトはある程度、完成された文章を掲載することになるため、不完全なネタは普通載せない。しかし、最新の情報や重要なポイントは不完全なネタレベルだったりするわけで。それを聞くことができるTwitterというのは、かなり情報収集に役に立つ。
 それは、税務情報や宇多田情報はもちろん、女性の普段聞けないようなちょっとした愚痴なんかも聞けちゃうわけです(嬉しいかどうかはともかくとして)。しかも、コアな話題であればあるほど、知識人と会話に発展しやすいです(誰でも興味のある話題だと、なかなか下々のものとしては会話しにくいですが)。

 さらに、アウトプット側としてはTwitterはブログとちがって一度に140字しか書き込めないので、文章に凝りようがなく、強制的に気楽に文章を書くことになります。Twitterは気軽なのででアウトプットし始めると、ブログの役割が相対的に落ちてしまう。私の場合ざくっとみて、ブログ1記事が80つぶやきに変換されている感じですな。
 今ではきちんと完成された文章まで持っていくことの重要さを十分感じるので、ブログに再び想いが戻ってきている感じです。やっと両立してきたかなという。来年は、またブログが増えていくんじゃないかな。

これからの「正義」の話をしよう

 昨年は完全に文系に目覚めた一年でもありました。面白いのよねえ、経済学とか哲学とか思想とか宗教とか。
 一番きっかけになったのは『これからの「正義」の話をしよう/Michael J. Sandel』でした。この本を読むまで、ベンサムだの、カントだの、ロールズだの、アリストテレスだの全く知らず。本当に名前しか知らないじょうたいでして・・・。
 この本を読んでからと言うもの、経済や法律や思想といったもののベースとなっているものがやっと見えてきたという感じで、違和感なく読める本が一気に増えました。で、今年はマルクスだとか、ケインズだとか、聖書だとか、基本中の基本であろう本を読みあさり始めています。(これを友人に話と、つまらん男だなあという目で見られるのよ。文系差別を撤廃すべしw)
 昔は、こういった文系の学問は生産性がなく無駄だなあと思っていましたが、理系が生みだす道具よりも強く直接的に人に影響を与える物であり、幸福に直結する物なんだなあとびっくらする日々です。
 

税理士試験の合格

(実はまだ、合格証が届いておらず「やっぱ不合格」とかいう事が0.5%くらいありえるのですが。その場合は何も言わず雲隠れして勉強していると思います。そっとしておいてください。餌は与えないでください。)
 昔から主賓になるのは嫌いで「お祝い」からはずっと逃げてきました。が、今回はちょいと趣向を変えて、自分からしっかり広報してみました。
 税理士になりたいと思ったのは、一番ストレートな理由は周りの役に立てるなと思ったからです。理系大学なので、税理士になろうって人も少なかったし、会計士と医者と弁護士は知り合いに持っておけといいますからね。なのに、私が税理士になっても、それを知られていないのでは意味を成しませぬからねと今回は厚かましくも、色んな方に報告させて頂きました。是非、今後はガンガンこの男を利用してやってください。

 祝われながらずーっと感じたことは「緊張するな」ってことでした。
 人に期待されると緊張するんですね。
 ところで少し話が変わりますが、昔から「責任」の定義をずっと悩んでいました。わからないなりにも、大学でサークルやる時には名刺に「総責任者」としたのは良い思い出です。自分で総責任者と言うと緊張するもんです。
 今回、おぼろげながら気付いたことは「責任」=「期待」なんやなと。これから、ガンガン勉強して、期待に添えるようにならなきゃいけないわけです。「どんな仕事がしたいか。」と聞かれて、答えはなくもないですが、正直なところ期待に添えるようになることがまずは当面の課題かなと思っています。
 ひとまず試験勉強は終わりましたが、本当に重要な勉強をこれから始めるわけです。

 あと、恥ずかしながら、「友人ってええなー(恩師込み)」ってこと思いまして。いや、ほんとこんなことをこの年にして思うのもどうかと思いますが。うーんなんていうんだろう。結構マジで祝って貰ったりして。ほんと自分のために税理士試験受けてただけなのに、色んな人が心配してくれていて。
 ありがとうm(__)m恩は絶対返すからな!覚えてろよ!

宇多田光

 宇多田の項目は最後。また書きたいし。
 今年1月終わりから2月にかけて初めて海外に行きました。それはUtadaのライブのため。
⇒ Utada in Chicago “Utada In the Flesh 2010″ part 1
⇒ in Chicago part 2
 私は、宇多田は好きだけどそれ以上に、彼女の行動から新たな世界を手に入れる口実でもあったりします。
 今回は「Utadaのライブを見たい!」という事を口実にシカゴまで行ってきたわけです。もちろんUtadaライブが最高にすばらしいもので言うまでもない!

1967年8月15日公開⇒シカゴ・ピカソ

 当時の日記では、私は現地の人に注目しているようですが、「建築物」と「シカゴ美術館」もよかった。
 日本で高層建物が凄いと言っても、普通単発だと思うわけです。それは、ほとんど施主は利潤などを最優先にして、建築しているんだろうなあと思わされるところです。
 しかし、シカゴとの高層建築は隣のビルとデザイン勝負をしかけているわけです。使いにくいフロア構造になっている高層ビルの多いこと。なんというか、町が好きなんだなっていう感じです。さくっとピカソのオブジェがあったりするし。
 シカゴは米国でも最大の「人種のるつぼ」らしいのですが、そのぶん「地域」にアイデンティティを求めるのかなと言う気がしました。

 もう一つの「シカゴ美術館」これもよかった。
 冬のシカゴってのは、冬の北海道にいくようなもんで、くっそ寒い。しかも雪祭りとかあるわけじゃないので、観光客は殆どいない。
 なので、本来シカゴで長蛇の列ができるようなところも、人は数人のところばかりで、ゆっくり滞在し静かな時間を過ごせる。シカゴ美術館も例外ではなく、びっくらするくらい有名な絵も誰も見ておらず、1人占め。
 全く絵に詳しくないのでヤボな事は避けますが、ゴッホの自画像とか、近くで見ると肌の色一つのために色んな色を使っているんです。油絵だから、そうなんだろうけど。そこに緑かよ!遠くから見るとめちゃ完璧じゃん!みたいな、頭の中どうなってんだろうとしみじみおもったり。
 あとはモネの睡蓮。色々な睡蓮があって並べてあるんだけど、寂しいっすよね睡蓮って。そして何よりもモネ先生は水も書きたかったんだろうなあと。でもさ、色んな絵を描いて最後にたどり着くところが睡蓮って、なんか寂しくないですが?ゆっくりそんなことを考える、本当に言い一日を過ごしました。
 あそこは何日でもいられる。(1日いたけど、全部見ることさえできてない)

 聖書読んだり、米国の歴史勉強してから冬のシカゴにもう一回行きたい。

 まあ他にも色々あったっちゃあったけど。ブログに書ける話と書けない話があるよね(笑)
 何はともかく。今年もよろしくお願い致しますm(__)m

ライブ『WILD LIFE』宇多田ヒカル

WILD LIFE/宇多田ヒカル
いってきましたよ。

日付:2010年12月8日~9日
場所:横浜アリーナ
出演者:
宇多田ヒカル
Matt Rohde(Band Master/keyboards)
Dan Burns(Pro-Tools Oparator)
菅原潤子(Guitar)
種子田健(Bass)
阿部薫(Drums)
吉村隆太(Keyboards/Strings Arrangement)
須郷豪(Manipulatar)
GREAT EIDA STRINGS(Violin,Viola,Cello)
⇒まとめちゃったけど多分そう

 徹夜してチケットとって、涙涸れるほど泣いて、大げさに笑って、「ぼくはくま」歌って、「HIKKーI!!!!!」だの「最高ー!!!」だの叫びまくり、居酒屋で「KUMA POWER」タオル振り回して。とまあ、ライブだけにかかわらず、ちょっとした数年間がとりあえず終わっちゃいました。
 「終わる」という言葉は好きなんですよ。始まりを予感させるから。

ぴあ店頭販売奮闘記「今池ボトムライン」編

 去る2010年11月21日(日)
 私の敬愛する宇多田ヒカル活動休止前最終ライブ「WILD LIFE」の一般発売日でした。
 結論から申し上げて、チケット取れませんでした。友人との約束をドタキャンして迷惑かけてまで挑んだのに。(すまんかった)
 ところで、ぴあに並んでチケットを取るに当たって、苦労した割に成果を残せなかったので、誰かの役に立てたらという意味でこの記事を残します。

 私が狙っていたものは、宇多田ヒカルの2010年12月8・9日横浜アリーナ(収容人数17000人程度)で行われる「WILD LIFE」というライブのチケット。
 宇多田ヒカルは言わずとしれた人気アーティストであり、ライブは日本では4年振り。平日なので参加しにくかったとは言え、全国で横浜アリーナの2日のみ。予想されるチケットの枚数は34,000枚。普通にやっても数十倍の倍率ではないかと予想されるわけです。
 事前にe+での先行販売があり、かなりの枚数が捌けており、一般販売にはあまり残っていないとの予測もよく聞かれました。ちなみにこの予想は実感にも近いモノでした。
 Twitterでチケット関連の検索をしてみても、先行販売ではかなり当たったとの声が聞かれた(1/4とか1/3くらいは当たってたんじゃない?)のですが、一般販売では50人見てやっと1人いるかどうかでした。
 当日の販売でも、開始7分くらいで「一般販売分は完売です」と宣告されました。1分で完売との情報もあります。

 さて、このチャンスが多かったと思われる先行販売でチケットを取り逃した私は、この熾烈極まる一般販売で手に入れるしかなかったのであります。ここから、小さな小さな物語は始まったのでありました。(結論は既に述べてしまったけど)

 で、以下に偉そうにポイントなんて述べるプチ奮闘記を書くのであります。
 今までチケット入手で苦労したことは全くなく初めての経験でした。その素人なりに、グーグル先生にも教えを請うた結果、一般販売で獲得する最もよい方法は「ぴあの店頭販売」が有利だと判断しました。

どこの店で買うか?

今池ボトムライン

 始めの大きな問題は、購入場所でしょう。
 名古屋在住の私は、治安的な問題や並びやすさを考慮して「今池ボトムライン」のぴあに並ぶことにしました。
 で、実際並んでみた結果、中なかよい選択だったと思うのですが、改めて店選びのポイントを考えると以下の点を考慮すべきと考えます。

・開店時間(10時発売のチケットなのに10時30分開店じゃ話にならない)
・治安のよいところ(やっぱり外人さんとか通るとちょっくら怖い)
・人がこなさそうなところ(人が来るところだと高順位が取りにくい)
・トイレを借りる場所が近いところ(1人で並んでいると、荷物で場所を確保せざる終えないため素早くトイレを済ませる必要がある)
・店員さんが手練れていること(チケットを取るに当たって端末操作は重要な気がします)

 可能なら、友人の家が近かったりすれば、必要物資等も頼むことができるので、よいかも知れません。
 今回並んだ今池ボトムラインは、治安については、ちょっと疑問が残りますが、交番が大変近いので、女性であればあらかじめ一声かけて、見に来て貰うようにすればそれなりに安全になるのではないかと思います。
 また、私は一番始めに並んでチケットを取れなかったわけですが、Twitterを見る限り、一つの売り場で3番目の人が取得できた事例も見ました。これは店員さんの力によるところでしょう。そう言う観点での店選びも必要なのかも知れません。
 ただし、後述しますがチケットが取れなかったのは、私の注文の仕方が悪かったという原因が大きいと思っています。店員さんには緊張感もありできる限りの事をして頂いたと思います。

店頭販売はあるのか

 ちょいとこんな事が問題になるのかと意外だったのは「店頭販売があるのか」という問題でした。
 ぴあのウェブページには、店頭販売の有無は特に明記されておらず、事前に店舗に訪問し確認したところ「前日までわかりません」との反応でした。前日に急に販売方法が変わることもあるそうで、確認しに来ることを薦められました。
 ちなみに、この確認作業で2度店舗に行ったのですが(電話での受付は形式上ないようです)、顔を覚えて貰えたのでよかったと思います。場所確認のついでにも、何回か顔を出してみるのはいいかもしれません。

何時から並ぶか

 今回、2番目の人が来たのは当日9時50分でした。しかもその人が求めていたのは宇多田ヒカルのチケットではありませんでした…。今回に関して言えば、徹夜の必要など全くなく、30分前に来れば十分一番先頭を確保できたのでありました。トホホ。
 私は前日の15時程度に外出先から帰宅。Twitterを眺めるとあろう事か宇多田ヒカルが以下のようなツイートを

(゚ロ゚) ええええ 今朝から並んでるんですか?!ってことは、今夜そこに野宿?!ど、どうかお身体お気をつけて! RT @hikki1979: 明日発売のチケットですが今日10時から並んでます☆でも既に4番目。。。寒空の下でボンジュール( ̄(エ) ̄)v
2:56 PM Nov 20th

宇多田ヒカルファンでかつ、徹夜するようなファンは確実にこのツイートを見ていると思い、焦って準備し、17時に並び始めました。
 最初は誰もおらず安心したモノの、結果的に次の人が現れたのは17時間後(涙)切なかったなあ…。ファンと交流くらいしたかったぜよ。
 ちなみにTwitterを見ていると、関東圏では前日の朝10時からでも人が並んでいるようです。これは名古屋と東京の差ですかね。

 私が次回名古屋で並ぶなら、終電の2~3時間前に並び始めると思います。
 そして、終電を過ぎても人が来ないようなら、一端帰宅して、始発の1~2時間前にまた並ぶでしょうな。

持っていくべきモノはなにか

◎おたくオーラ(店員さんにコイツは取ってやらないとまずい!と思わせる)
◎お金(クレジットカードだけでなく、現金払いもできる用意があると安心感有り)
◎携帯電話
◎防寒具(マフラーとか良い。想像の2倍くらい寒かった)
◎尻の保護グッズ(座布団・毛布等)
◎暇つぶし
◎食料(一々コンビニでゆっくりしてらんねー)
△懐中電灯
△ティッシュ
 私は寝袋を持っていったので、温かかったです。
 ちなみに暇つぶしには、小説数冊。経済書数冊持っていきました。これについては、懐中電灯が役に立ちました。結果的にググレない環境だったので、経済書は挫折。小説を2冊くらい読み切りました。あとはひたすらPodcastで落語を聞いていました。三遊亭きつつきさんの「居酒屋」とかは面白かったなあ。

イザ購入

 さて、時は一気に発売開始30分前。店員さんが出勤し、会釈で挨拶。開店前15分前くらいに店に招き入れられ、注文を紙に記載します。
 そして、ここで私は最大の失敗したのですが、注文枚数に上限の「4枚」と書いてしまいました。今思えばアホの限りです。
 できれば、他のファンの人と行きたいと思っていたのですが、端末を叩く店員さんから(4枚確保が難しいことをさとり)「1枚でもいいですか?」と聞かれた時には、恐らくほぼ完売だった思われます。一般販売に参加していると言うことは、ほぼ敗北寸前です。絶対に欲を出すことなく、最低限許容できる条件で購入すべきでした。
 このあたり、店員さんと会話をしておく事も今思えば必須でした。
「4枚と書いたが取れそうか?」
「実は1枚でもいい」
「前日でもいい」
等色々自分の条件を話しておくことで、店員さんと戦略を練り、もっとスマートな買い方ができたと思います。

買い終わったら

 即座に次の人に譲りましょう。凹んでる場合じゃない。次の人だってちょっとでもイイ席が取りたいのです。
 私が凹んでいる姿に同情しつつも、すぐに次のお客さんに繋いだ店員さんは本当に偉いと思いました。
 芸術を愛する皆さんであれば、これは言わなくても守られることでしょう。コレ読んでもなお店員さん困らせちゃうような輩はヒッキーに変わってお仕置きだ!(なんぞ)

 後悔含めてこんなもんかな。ふう・・・。後はチケット取得に関係ないだ話。

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峠の国盗り綱引き合戦

 一見平和に見えるこの国で土地の境界を巡る小さな紛争が起こっていたのをご存じであろうか。

 時は2010年10月24日先勝。信州(飯田市南信濃)と遠州(浜松市水窪町)の間で境界を巡り、兵越峠にて小さな合戦が行われた。

より大きな地図で 峠の国盗り綱引き合戦 を表示
 合戦は、両軍10名の少数精鋭による「綱引き」による勝負であり、先に2勝した国は国境を1m広げることができると定められている。昭和62年より過去23度行われており、遠州軍は11勝12敗という結果で国境を1m狭くなっていた。その遠州軍を応援するため、この三村が備中の地より遠州軍の応援に馳せ参じた訳であります。
 もちろん小競り合い(一般)には参加して、しっかり筋肉痛になって参った次第であります。

 結果は言うまでもなく、私が応援する遠州軍勝利。
 壱戦目危なげなく勝利し
 弐戦目は勝利目前で信州に隙をつかれ敗退
 参戦目に実力の差を見せつけ勝利
第24回峠の国盗り綱引き合戦
(↑この画像は是非クリックしてじっくりどうぞ)
 これにて国境は24年前の地点に戻ったわけであります。
 尚、遠州軍の実質の大将は水色のハッピを着た武将。この大将と少し酒を飲まして頂きましたが、宇多田ヒカルの「Automatic」が大層お好みのようで、お酒の席でもずっと振り付きで歌っていらっしゃいました。かなりその振りが大変刺激的でありトラウマとして染みついております。
 何はともあれ、本気の戦とはこうあるものかと、我が身を省みる合戦でありました。
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