アダムとイヴ、エデンの園⇒『アダムとイヴ』岡田温司

 挿絵が楽しそうなので、衝動買いしてしまった一冊。世界で最も有名なカップル「アダムとイヴ」。この2人がどう歴史的に、また、画や彫刻を持って美術的に解釈されてきたのか。
 結構面白くて、

  • アダムは両性具有じゃないと話が成り立たない?
  • リンゴを食べたことは人間にとって良かったのか悪かったのか?
  • 「エデンの園」はどこにある?
  • アダムとキリストの関係は?
  • 一角獣の起源は誤訳・・・

 いろいろ興味深い話題を提供してくれます。
 でもって、こういったそれぞれの自分勝手な解釈を見ながら、「あいまいな表現を自分の「理屈」に当てはまるように解釈する歴史」こそが宗教そのものなんやなと。そのある意味での滑稽さを楽しむには最適やなと。まーもうちょっと賢そうに言うなら、その時代の要請を移す鏡なんでしょうなと。

 と以下だらだらと書くつもりだけれども、その前にエヴァンゲリオンの話に。
 エヴァンゲリオンが旧約聖書的な用語を持ってくるのは、「人間特有の悩み」を描く中で、一つの答えとして「じゃあ、人間が生まれる前の世界に戻るか」という提示をするための道具に過ぎないんってことなんじゃないかと。だから物語での用語の使い方自体には象徴的な意味しかもたないと。
 それをエヴァのファンが厳密な意味や歴史的な解釈と関連付けさせようとしている様は、まさに宗教ができる瞬間ではないかと、面白いかも。

 以下備忘録的に、章立てに沿って特に興味深かったところだけ。

第一章 人間の創造

 アダムとイブは、いわずと知れた旧約聖書からくるのだけれども、「女」が造られたであろう箇所が2つあるという。

一回目

は創世記の第一章6日目の話
「神は御自分にかたどって人を想像された。/神にかだとって創造された。/男と女に創造された(1.27)」
この比較的単純な記述を受けて、第二章では詳しく
「主たる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形つくり、その鼻に命の域を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった(2.7)」

※ここで、「男に創造された。」と書いてくれれば、議論はシンプルだった。

二回目

はその後の話で
「野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来」るも、彼(アダム)にふさわしい「助け手」を作らねば。
で、「主なる神はそこで、人を深い眠りに落し」して、「人が眠り込むと、あばら骨で女を造り上げられた(2.18-22)」。ここでやっとイヴが造られましたと。

 ここで、ふたつが矛盾してしまうと。女はいつできたんやと。
 で、この解釈にはいくつか論がある。
 「第一章で「神の似像」に創造されているのは、いわば人間の「イデア」や!つまり、感覚や肉体を超えた理念としての人間がまずつくられた。その後に、このイデアの写しとして、今度は具体的に「工匠として神が土塊を取り、そこから人間の形をつくり上げたんや!(意訳P6)」と仰るのはアレクサンドリア在住フィロンさん(前25/20-後45頃)
 「ちょいとまちなされ。男女(アンドロギュノス)と呼ばれるような両性をひとりで具有した人間が創られたのだと解する人がないようにしてくださいね」とおっしゃるのはアウグスティヌスさん(354-430)
 「一人の男女なる人間が生まれた(P10)」と仰るのはグノーシス派の皆さん(3世紀半ば~4世紀初頭)

 さて、ここでユダヤの伝承より、リリスという女性の存在があり「アダム以前にアダムと同じく土からつくられた」と伝えられている。
 旧約聖書中では「イザヤ書(34.14)」に「夜の魔女」と呼ばれる悪魔的な女性。新約聖書では「ヨハネの黙示録(17)」に出てくる「大淫婦」に、リリス的な女性のイメージが投影されている。んだそうで。
 リリスはセックスでは上がいいだの、悪魔の元にはせ参じただの、色々な逸話があるらしく、これも興味深い。また、機会があれば調べてみよう。

 さてさて、現在の定説は、アダム=男なのだそうな。なぜそうなったのかは、詳しく書かれていない。けれども、「アダム=両性具有(アンドロギュノス)説は、男性の、とりわけ聖職者の同性愛の口実になってい(P16)」たそうな。だからこそ、解釈として両性具有を押さえつけてきたんだと。

 イヴがアダムの体内から帝王切開のように(肋骨だけでなく)取り出される様を描いた彫像があったり、絵があったり色々な作品があって面白い。また、「アダムからイヴがつくられたことは、キリストから協会が生まれたこととの対応関係において理解されている(P37)」らしく、それを対比したような画もある。

 まあとにもかくにも、最も有名なカップルは、自分の一部でできていたり、両性具有の疑いがあったり、前妻の疑いもあったり、お騒がせなのでありました。

第二章 エデンの園

 この章では、エデンの園は、寓意的な物語なのか、現実に存在するのかと言う、議論が載っている。
 アダムはイデアや!と言い切ったフィロン氏はやはり「歓喜を意味するエデンとは、神の叡智(ソフィア)や言葉(ロゴス)のことにほかならない(P65)」と、やはり現実には存在しないものと言う。
 そしてやはり大家であるアウグスティヌスは「自分は、楽園をただ物体的にだけ理解する考えと、反対にただ精神的にだけ理解しようとする考えとのどちらも斥けて、第三の考え、つまり「楽園を両方の面で受け取り、ある面で、物体的に、また他の面で精神的に理解しようとするものである」(P66)」とし、少々わかりにくいけれども折衷案を採っているようでいて、やっぱり存在すると言い切っている。

 現実に存在するとすれば、エデンには多種の宝石が存在するとされており、どこかに夢の園があると期待を膨らませる原因にもなったのだろうと。
 場所については、創世記ででてくる4つの川の源流にあるはずで、チグリスとユーフラテスに加えて、ピチョンという川はガンジス、ギボンという川はナイル川。この4つの川の源流にエデンはあるというが・・・?を・・・をう。
 その答えに著者によれば3つの説があるという。

  • 極東
  • 赤道直下あるいは南のかなたの高い山
  • メソポタミア

 日本はエデンかもしれませんな。メソポタミアの説では、原罪や洪水によって当初の美しさと完璧さは失われたのだそうで。

 このエデン。理想郷だけに絵に書くのも色々なものがあるようで。ユニコーン(一角獣)も書かれたり。このユニコーンは、旧約聖書をヘブライ語からギリシア語に訳す時に「二角獣」を間違えて「一角獣」に誤訳してしまったからだとか。大航海時代等で新種の動物が見つかれば、そこに書き加えられるなど理想郷として時代を映す鏡そのままだったのでしょうな。
 それにしても共通認識として特定の理想郷が存在するというのは、なんか楽しそうだなあ。
 この⇒の絵はクラーナハ父「アダムとイヴ」(1526年 このサイトより拝借)という作品だそうで。
 鹿は悪の化身である蛇の天敵であり、また、鹿の角は男性器の象徴なので、それが上手いこと合わさっていい絵なのだそうで。なんかもう、なんやそれって感じですが(笑)でも、蛇は鹿から逃げているし、後ろにはユニコーンも!
 ちなみに、この罪を受けるまえのエデンにいるアダムさん。「性的器官は欲情によっては刺激されないで意志によって促されて、必要なとき必要なだけ、男は子孫の種を蒔き、女はそれを胎に宿した(P101)」とのことで。
 ネタのような話だけれども、当時の司教的には「性を罪悪視」するためにも、そう教えていたのだそうな。

つづく

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