思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

H16年3月5日東京都立高校の卒業式。
校長「起立っ!国歌斉唱!」
保護者A子「(こそこそ)あら、あの教師立ってないわよ」
保護者B子「(こそこそ)ほんとね、どうしたのかしら」
上告教師「俺は歌わねーぞ君が代なんて」
ピアノ教師「(もじもじ)どうしましょう教頭」
教頭「困りましたねえ…とりあえず弾いて貰えますか?」
ピアノ教師「君が代ぉ!いくぜぇえええええええ!かもぉおおおん!!」

 てな事があったかどうかは知りませんが、定年間際だったこの教師は、定年後再雇用の採用選考において、卒業式の国歌斉唱時不起立だった事を理由に、不合格とされました。
 これに対し教師はこの不合格としたことは
日本国憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない
に違反しているのではないかと、訴えをおこしたようです。
 しかし、この度H23年5月30日、最高裁に於いて違反じゃないよと棄却されたとのことです。

 東京都立高校の卒業式で、校長がした国歌の起立斉唱の職務命令に従わず、定年後の再雇用選考で不合格とされた元都立高教員の申谷雄二さん(64)が、命令は思想・良心の自由を保障した憲法に反するとして、都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決が30日、最高裁第2小法廷であった。
 須藤正彦裁判長は、起立斉唱命令について「個人の思想・良心の自由を間接的に制約する可能性はあるが、特定の思想を強制するものではなく、合理性、必要性も認められる」として合憲とする初判断を示し、上告を棄却した。4人の裁判官全員一致の結論。申谷さんの敗訴が確定した。
卒業式で国歌の起立斉唱命令、最高裁が合憲判断/YOMIURI ONLINE

↓↓↓判決本文↓↓↓
平成22(行ツ)54 平成23年05月30日 再雇用拒否処分取消等請求事件
↑↑↑判決本文↑↑↑

 判決文は一般人でも読みやすくて、下手な本よりは遙かに面白い。多分文章慣れしてないひとでも、思ったほど苦ではないはず。ページ数は32ページ。メインは7ページしかない。是非ともご一読をば。特に教師とか学術関係者の方は。

 一応前置きを入れますが、私は憲法についてはさっぱりで、判決文の読み方も知りません。ただ、「憲法」は感覚で読むこともありだと思っています。むしろ素人の感覚こそ大事ではないかと。なので、無知を承知でだらだら書きます。ちゃんとした解釈は、今後ネットでも雑誌でも出てくるだろうから、そういうので。

 色々な判決がありますが、憲法に関する判決は本当に身近で哲学的で楽しい。
 この19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」の解釈については
(1)内心に思う国家観、歴史観や世界観を否定することは許されない
(2)いかなり思想を抱いているかについて露顕を強制することは許されない(沈黙の自由)
という二つの考え方があるようです。そして今回の判決では、その思想を外部に現した瞬間、つまり起立しないという行動について罰則を受けたわけで、これはどうなんだと。
 これは一応上記の1つ目が怪しい。国歌を歌わされることで、歴史観を強制させられると思っているわけだ。ただし、こういう行動に表れるモノを保障していたらきりがないわけで、必要性と合理性の元で、規制も必要だろう。
 なら、どこまで許されてどこまで違反なのか。法律家の人が言うには、「間接的な制約」という概念を持ちだしたのが新しいとか。

 以下ただの雑感ですが、私は大の大人に「起立して国歌歌え、さもなければ罰則だ」というのは、やりすぎだと考える。もしその中に、思想的にどうしても耐えきれないという人がいるのであれば別に退場すればいい。歌わされる方は大変大きなストレスを抱えることになる可能性がある。判決の中で、教育上の秩序の確保や円滑な進行のためには、国歌を歌うことに必要性があると言っている。しかし、人を精神的に苦しめて強制参加させないと達成不可能な事なのだろうか。

 ところで、憲法の教科書(憲法第四版/芦部信喜)など読んでいると、日本国憲法第19条のような項がある国は世界でもめずらしいそうだ。他国では当たり前の権利だと思われており、わざわざ書くまでもないと。しかし日本に於いては、明治憲法下で治安維持法などにより特定の思想を弾圧した歴史があり、この反省として19条が作られたということらしい。
 そう考えた時、個人的には国歌を気持ちよく歌えない奴というのは「嫌な奴」とは思うが、だからといって強制するのはやはり避けるべきと考える。
 
 と一応自分の立場を書いてみるが、不安定でもある。
 補足意見として竹内行夫氏は「国際社会に於いては、他国の国旗、国歌に対する敬意の表明は国際常識、国際マナーとされ、これに反するような行動は国際礼譲の上で好ましくないこととされている。」だからこそ、教育で国旗国歌に対しての常識を身につける必要があると訴えていて、これは納得感がある。国旗に敬意を表せる育ち方をして欲しいとは思う。
 同じく須藤正彦氏は「自己の社会生活上の信条に反するからという一事で、一般に拒否する自由が認められれば、公教育(特に普通教育)そのものが成り立たなくなり得る(P24)」と言う。なるほど、科学の教師が「進化論は教えない」と言い出したら日本では大事になるだろう。
 日本国内の公立高校で、「日本を憎しむ自由」は必要ないのかなとも思ったりする。でもこの感覚って危ないよね。もう少し戦時の日本について知りたいかも。

中途半端ですがこの辺で

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