『現代語訳 学問のすすめ』福澤諭吉 訳:斉藤孝

※歴史の知識は恐ろしいほど欠如しているので、つけたし、意見コメント大歓迎。

 進路に悩む若者としては福澤先生の話は中々面白かった。でもこのおっさん、近所にいたりすると絶対にウザイです!こんな説教くさい武士の絵が財布に入っていると思うと、生活しにくくてかなわんわ。とはいえ、福澤先生もこんなヤワな私のような人間は蟻以下と思われているのでしょう。中々財布の中でお目にかかれないわけでして(笑)

 福澤諭吉(1835年1月10日(天保5年12月12日)~1901年(明治34年)2月3日)
 豊前国中津藩の下級武士の次男(末っ子)として生まれる。今の大分県の藩で、一旦は大阪で生まれるも、すぐに大分県の中津に移り少年時代を過ごす。19歳のときに長崎で蘭学を学んだりしつつ、あっちーこっちー行ったりきたりしつつ、1858年に江戸で慶応義塾大学の大元を作る。
 この福澤先生は幕末真っ只中に生きたにもかかわらず、政治の世界には入らなかったようで。きちんと民間の教育をしたかったということだそうです。
 まあ、「学問のすすめ」にも偉そうなことかいてますが、人に命令されるのが嫌いだっただけじゃないかと勝手に想像してしまいますわ。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」(笑)

国の文明というのは、上の方、政府から起こるべきものではなく、下の方、人民から生まれるものでもない。必ずその中間から興って、庶民に向かうべきところを示し、政府と並び立ってはじめて成功を期待すべきものなのだ。(P071)

 人に命令される云々はともかく、蒸気機関のワット、鉄道のスチーブンソン、経済学のアダムスミス、みんなミドルクラス(中産階級)なのだそうですが、この人たちを例に出して、こういう人を民間から出さなければいかんと。そしてこういう民間から出てきたものを、邪魔しないのが政治の仕事なのだと。
 せやから、政府側はもう十分に力がはいってるもんだから、慶応義塾ってもので、民間側の力を伸ばして、日本国の独立を確固たる者にしたりましょうや!ということで「学問のすすめ」が生まれたんじゃないかと読みました。
 そのころの、伊藤博文の帝国大学や、確か大隈重信の早稲田も(?)官僚育成なり政治的な権力を得るのための大学だったみたいではありませぬか。こういうのに結構イライラしてはったのかもしれません。

 勉強中の青年が数冊の本を読めば、すぐさま官への道を目指す。金儲けを志す商人にいくらかの元手があれば、すぐさま政府関連の商売をしようとする。学校も官許。説教も官許。牧牛も官許。養蚕も官許。民間の事業のうちに十に七、八までは官に関係している。
 このおかげで世間の人の心は、ますますその習慣に染まっていき、官を慕い、官を頼み、官を恐れ、官にへつらい、ちっとも独立の気概を示そうとするものがない。その醜態は見るに耐えない。(P055)

 文章はそのまま、新聞や出版などが政府にへつらっていることも続く。
 これまでは、政府が親で、人民が子みたいになっとると。でも実の親子なら愛情もあって世話てしてくれる。しかし、血がつながっていないのに頼り切るなんてできるはずがない(P142辺り)。
 この時代の空気をなんとなく感じれるのとともにWWⅡへもこのままいっちゃったのかなと言う気もする。福澤先生は政府にきっちり文句の言える人間を作りたかったのだ。なんだかんだ、今の時代になっても何でもかんでも政府に頼ろうとしている面はあるわな。私もだが。

 さてはて、ちょいと色々議論を飛ばして、勉強の具体的な方法なんかも触れていました。本当は実学だなんだというのが、大事なところなんだろうけど、私にはあまりピンとこなかったので。

 すなわち、観察し、推理し、読書をして知見を持ち、議論をすることで知見を交換し、本を書き演説することで、その知見を広める手段とするのだ。
(中略)
 なのに、学問の道において、議論や演説が大切なのは明らかであるにもかかわらず、今日、これを実行する者がいないのはどうしたことか。(P153-154)

 全くそのとおりだと思う。演説はしたことないけど(汗)本を読むまでなら誰でもできる。そこから意見を作り出し、演説まで持っていかなければならんわけですね。なお、これでも福澤先生は政治家を生み出したいわけでは全くないのだ。
 さらに、物事を行うという段階になっては人望が必要だと、

 およそ人間世界には、人望の大小軽重はあっても、かりにも人に当てにされるような人でなければ、何の役にもたたない。小さい方でいえば、十銭の金を持たせて町にお使いに出されるものも、十銭分だけの人望があって、十銭分だけは人に当てにされている人物といえる。(P217)

 そのために、いくつかのアドバイスもある。

「言葉について勉強しなければならない(P222)」
「表情・見た目を快くして、一見してただちに人に嫌な感じを与えないようにすることが必要である(P224)」

全く身につまされます。
 上2つに加えてもういっちょ、色々な人と会うことをすすめてくれるのだけど、この一言が心地よい

「人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない。(P230)」

なんとなく勝手な想像だけど。このおっさん寂しがりやだったんじゃないかと思う。政治にいくよりも学生と議論したりそーいうのが好きだったんじゃないかなんて。学生よ、俺の事毛嫌いしないでくれよ。なんとなくそんな声が聞こえてくるような気がしたのでした。

 これくらいうっとうしく、説教くさいおっさんが近所にいたらそれはそれでいいかもしれないとも思う。福澤先生に好かれるような人生を送りたいなあ。二つの意味で。

Pages:
  1. 「人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない」
    これステキだなー。

  2. やいだ(みむら)

    だろー。

  3. あと、昨日書き損ねてたけど、
    「上からの近代化」の代表的成功例である明治維新のその頃に「下からの近代化」をこそ理想として掲げられる福翁は、
    すごく目線が高いというか、視野が広いというか、正しい意味での学者肌を持ち合わせた人なのねェ。
    という印象を持ちました。

  4. やいだ(みむら)

    昨日はかなり、うっさいおっさんだなー
    が先行してしておったところですが、
    一日じっくり寝かしてみると、
    このおっさんなかなかすごいなあ
    という思いが強くなってきておるところです。

    時代から「きちんと」道を外れて、ぶれない目線を持ち
    それを着々と成果に積み重ねていっていたのかもと。

    なんだかんだ、勉学の必要性と重要性を思い知らされ、
    もっと勉強したいという気持ちになっているのが不思議です
    (単純)

    福澤諭吉財布に入れて歩くようにしようかなあ。

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