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エッセイ『河童が覗いた「仕事場」』妹尾河童

 面白いことをしゃべろうと思っても面白くならない。10年くらいずっと悩んでいる気がする。こと女の子にはさっぱりだわさ。
 この妹尾河童という人は、この人自身が楽しんでいる様がちょー伝わってくる。是非一緒にいたいと思わせるオーラがあるわな。

 とまあ、あんまり関係ないけど、そんな河童さんが井上ひさしの仕事場で見つけたメモに書いてあった言葉がまたイイナと。

むずかしいことをやさしく。
やさしいことをふかく。
ふかいことをゆかいに。
    ・
困難は分割せよ(デカルト)。
作者はつねに読者に不意打ちを
かけねばならぬ。
ほんとうに起こったことの時間を
すりかえる。
文章というものは、口語と同じく、
頭の中にはっきりと掴めているか
いないかに最も大きな問題がある。
    ・
エッセイはよくよくでなければ書くな。
書くなら「作品」としてのエッセイを。
これまでに名作、傑作のたぐいを一作も書いていないと思え。勝負はこの五年だ。
『吉里吉里人』を否定しつつ進め。芝居の大当たりを過大評価してはいけない。
一字一字苦しむが良い。
集中心!

 ちなみに河童さんの文章は1985年の週刊朝日の連載だったようだ。
 井上ひさしさんの言葉はここまで拡張されている

むずかしいことをやさしく,
やさしいことをふかく,
ふかいことをおもしろく,
おもしろいことをまじめに,
まじめなことをゆかいに,
ゆかいなことをいっそうゆかいに

 面白いことを言いたいのだから、深いことを知らなきゃいけないな。
 税の事を語るなら、愉快に語らないと。
 この本はおもしろから、真面目に語ってるんだ。(ぉぃ)

『MANCHESTER PART Ⅱ』The West Wing/Third Season/Episodes2

 大統領が多発性硬化症であることを告白するも、再選を目指すことを明言する。再選を目指すに当たって、選挙に長けた多くのスタッフが新たに入ってきていた。既存のスタッフは新しいスタッフのやり方にイライラしている。
 その再選を表明後、初イベントの開始直前。大統領が裏方で既存のスタッフだけ集めて語りかけた一幕

Josiah Bartlet:There’s a new book and we’re gonna write it. You can win if you run a smart, disciplined campaign. If you studiously say nothing–nothing that causes you trouble, nothing that’s a gaffe, nothing that show you might think the wrong thing, nothing that shows you think–but it just isn’t worthy of us, is it Toby?
大統領:新しいページにペンを入れよう。勝つためには抜け目の無い戦略を立てることともう一つ、なるべく口を開かないこと。トラブルや批判を招くようなことは言わない。何を考えているか明かさないようにする。そうすれば勝てるだろう。
だが、我々にふさわしいかなトビー?

Toby Ziegler: No, sir.
トビー:いいえ

Bartlet: It isn’t worthy of us, it isn’t worthy of America, it isn’t worthy of a great nation. We’re gonna write a new book, right here, right now. This very moment, today.
(大統領夫人が大統領を紹介する声が聞こえる)
You know what? Break’s over.
大統領:そうだ、我々にもアメリカにも、そんな戦い方はふさわしくない。歴史の一ページを今日ここで作ろう。たった今この瞬間に。
さあ行こう。戦闘開始だ。

It isn’t worthy of us.
いっといずんとわーじーおぶあす!

 このシーンまで、スタッフがイライラを募らせミスが連発する。それは、新しいスタッフが来たことに対する苛立ちだけでなく、大統領が多発性硬化症であることをスタッフにも隠していたこともあった。
 そしてこの場面の直前に、スタッフに初めて謝罪する。
 大統領がスタッフに謝罪する場面なんて、恐らくここまでほとんど無い。

 謝罪し、選挙も頼むぞとこの一言。
 ずうずうしいにもほどがアルぞ。しかし、ある意味これはお互いに信頼しあっていることに証左に他ならないわけで。
 この言葉の一言一言にも重いものがあるし、ジーンとくる場面なのでした。

『世界史』William H. McNeil

 記憶力が悪く何度読んでも頭に入らないのに、それでも気になる歴史(笑)

 ユダヤ教やらヒンズー、仏教の起源とか軽くでも分かると面白いもんですね。
 ユダヤ教が一神教をとる理由は国家が広くなることに対応するため。国家が広いのに多神教では、地域と国とかで矛盾が生じかねない。
 膨大な人が、組織が動くに当たって考えに矛盾を起こさないような、宗教を作るってどんだけ膨大な脳みそを使えばいいのか。。。民法読むだけで寒気がするほど、凄さを感じるのに。
 もちろ少しずつ改良を加え、かつ、ラビの解釈で矛盾を解消したり読み替えちゃったりしているわけだが。でも、2000年以上続く宗教を作り上げた、その時代の偉人達のすごさといったら。

 インドで仏教ができたのに、同じ時期に出来たヒンズー教が広まったのは、仏教は戒律が厳しすぎ、かつ、誕生、死、結婚、成年とか、日常生活に関わる儀式がなかったから。これはなんか、マーケティングの問題っぽいw

 序文でこんな事が書いてある。

本書をまとめる基本的な考えは簡単である。いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作りあげるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によって攪乱される傾向がある、ということだ。(P36)

 愚かかもしれないけれど、一つの公式のようなものを与えてもらえると非常に安心するなあと。

 あとはだらだら復習のために書き綴っているだけなので。お帰りいただいたほうがいいと(笑)
 興味ある方は是非お買い求めくださいー。
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ノンフィクション『遺体』石井光太

 311後、遺体安置所とて使われた旧二中の3週間を綴った本。
 結構色んなところで紹介されているので、読まれた方多いのだろうなと。

 登場人物は遺体安置所の管理者に名乗り出た元葬儀屋、遺体搬送を任された地方公務員、検死を行う医者や歯医者、海上の遺体を引き上げる海上保安官等。それぞれの主観から、どう見ていたのかが書き出されている。
 焼け焦げた遺体の検歯をする歯科医。知り合いの遺体を搬送する公務員。自衛隊の捜索。NHKのドキュメントでは映し出せないような描写が、しっかり書かれています。

 読みながら一つ大きく考えておったのが、坊さんという職業。
 この本では坊さんというよりは元葬儀屋のおじさんの存在感が凄くでかいのだけど、死に直面した人たちに声をかけ、涙を流させたり、罪の意識から少しでも気持ちを軽くしてあげたり。
 死を恐れるとき、死に直面したとき、死を振り返るとき、声をかけてあげられる仕事というのは、やっぱり坊さんではないですか。
 お医者さんも出てくるが、生を前提とした仕事なのだなと。同じように死の現場に立ち会う職業だと思うけれど、坊さんとは立場が真逆なわけで。

 震災の関連の報道をみると、現地の方が「まだ、復興という気分にはならない」と言われるのを聞く。あるいは、元の生活を取り戻したいという。

 なんか漠然と思ったけど。避難用リュックに、お線香くらい入れておいてもいいのがしれない。

 すごくいい本なのだけど、これくらいしか書けなかった。

ノンフィクション『日本を捨てた男たち』水谷竹秀

 言い方は悪いけど「底辺」を除けるノンフィクションは面白い。その底辺を見て、優越感を感じてみる、という面は否定しない。
 しかし、「底辺」と思っている人の生活を見て「案外良いところもアル」なんて発見をしてしまうこともまた楽しかったりする。

 「あんな大人になっちゃダメ」と言われて育ったけど、「あんな大人」って、どんな大人なんだろう。

 この本は、「日刊マニラ新聞社」の記者である水谷竹秀さんが、フィリピンに来て困窮している日本人を取材したノンフィクション。
 大体は、女性に相手にされなくなってきたおっさんが、フィリピンパブで知り合った若い子に猛烈に恋をしてフィリピンへ行ってしまう。そのまま、フィリピンで金を使い果たしてフィリピンの子にも逃げられ、帰る旅費も、帰る場所もない、そんな日本人の話。いわゆるダメ男ばかりで、中には結構な稼ぎを持ち浮気一つなく生活していた男性が・・・という事例も。そこの奥様、気をつけなきゃダメですよ。と

 この外国で食うに困る日本人の事を「困窮邦人」というとの事で、昨今問題になってきているらしい。

日本外務省の海外援護統計によると、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた困窮邦人の総数は768人。中でもフィリピンが322人と最も多く、2位のタイ92人を3倍以上引き離して独走状態・・・(P21)

 この圧倒的多くは、50代以上の男性が、フィリピンパブの女の子を追いかけてフィリピンに行く事例らしい。
 そのまま、当然のごとくその女の子にお金だけ吸い取られて、ホームレスになると。
 ある程度ちゃっちゃとあきらめて帰ってくればいいのに、そうならないのは、一つには、フィリピンは日本のように寒さで死ぬようなことも無いこと。また一つには、フィリピンではホームレスを助けてくれるやさしいフィリピン人がいることのようで。捨てられても、なんだかんだ、好きになっちゃうのかもしれない。
 キリスト教の教えも関係しているのだろうか。

 さらっと考えることは、自分にとって日本とフィリピンどっちが幸せだろうということ。
 貧乏な人にとっては、もしかしたらフィリピンのほうが暮らしやすいかもしれない。貧困層は食べ物を自分のお腹が空いていても分け合って食べるという。そして、心から笑っていると筆者はいう。(主観だけど)
 まーフィリピンも先進国化したら、日本と同じように、また、今でも富裕層は日本人とかわらないのかなとも。富がある場合は搾取を恐れ自分の財産を守ろうとする。富が無い人は、助け合って生きようとする。まー考えてみれば当然の事でしょうが。

 でも、ふと思いませんか。今の日本人が、本当におなかを空かせてしまったら、どうなるのか。元から貧乏なコミュニティーは貧乏なりに生きられるようになっている。しかし、富を知った社会が再び貧乏になったら。
 孤独死の話なんかと繋がってきますね。隣の家の人と話をしたことも無い。しょうゆさえ借りれないこんな世の中じゃ。ポイズン。

 もう一つは、日本人が海外に行って現地でホームレス化して、そこで迷惑をかけ続けていることを、大使館は無視していること。
 日本人が大使館に行っても、上記のような理由だと、帰る金も中々貸し付けてくれないのだそうで。
 大事な税金を、そんなことに使ってくれるな。が一論。そんな日本人が迷惑をかけるようなことさせずにさっさと連れ帰りなさい。が一論。かなと。

 まーなんだかんだ、書いてみましたが、この本の一番の興奮ポイントは、浮気もしない旦那が単身赴任先で急にフィリピンパブにはまり、これまた急に離縁を突きつけられた妻が、旦那に宛てて書いた手紙。全部載せたいくらい、なかせる文章。

あなたの心わからないなんて妻として失格。
だめな女房ですいません、

 浮気の挙句、妻にこんな事言わせて。まったく。この奥さんを捨てて、フィリピンにこの男は行ってしまったわけです。

 ちなみに、日本人女性が、フィリピン男性に貢ぐ話も載っていたりしますよと。

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ノンフィクション『さいごの色街 飛田』井上理津子

 男の中では名前だけは結構有名な気がする大阪の遊郭「飛田新地」。ここを女性の記者が10年以上かけて取材して書き上げた作品。
 飛田というのは基本的に「料亭」という体をとっていて、中に入ると簡単な料理がでてくる。それを運んでくれる女性と、一瞬で恋に落ちて、その場でやっちゃうこともある。ということだそうで。20分1万円からと。
 遊郭で体を売ってお金を稼ぐ女性や、その経営主体への取材がかなりしっかりしていて、読んでいてドキドキする。よく女性一人身で取材したモンだ。とても、取材費を回収できないだろうけど、せめてもの気持ち新品を購入。

 まあ、読んでいると国内とは思えないような世界が…。
 字が読めない人や、その区域から出たことが生涯で2~3回しかない人達。
 親に捨てられ、若くして身ごもり、体を売ることでしか生きられない女性。それでも人気が出ず、客引きをやる女性。働き出した女性にホストクラブ遊びを教え、外に出られなくしてしまう仕組み。弁護士になるためにお金を稼ぐ女性。(金持ちしか弁護士になれない制度に変えたやつ聞いてるかー)。
 『逮捕されるまで』の市橋達也も、身分証が必要の無い人間でも働ける場所ということで、同じく大阪に行ったわけだけど、それを思い出したり、インドのカーストなんかも頭に浮かぶ。
 ってか明確に奴隷制度といっても差し支えないわけか。資本主義において金の無い人間は奴隷だよね。

 この本の冒頭は、普通のサラリーマン風の男性が店に入っていく描写から始まる。妻子もちで家ではいいパパをしていそうな男。
 それと対比される、飛田の人たち。

 そしてあとがきではこんなことを井上さんは書いている

なお、本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う読者がいたとしたら、「おやめください」と申し上げたい。客として、お金を落としに行くならいい。そうでなく、物見にならば、行ってほしくない。そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一生懸命に暮らしている町田から、邪魔をしてはいけない。

 本文を読む限り井上さんは売春には相当な嫌悪感を持っているし、それでもこんなコメントだ。この解決できるはずもない大きな問題にただただ絶句する。
 その飛田でさえ、人は減っているのだそうだ。

敬意をこめてブログへもリンク
フリーライター井上理津子のなんだかんだ日記

 日本の遊郭の歴史が知れたのは収穫。
 以下覚書程度に。 » Read more…

本『殺人鬼フジコの衝動』真梨幸子

 マーケティングの勝利ですな。
 平積みパワーに負けて読んでしまった。

 まー自分には合わなかったなー。
 残酷描写すりゃあええってもんじゃなかろうに。
 あとがき云々はまー好きな人は好きなのだろう。
 ちなみに、結構びっくりはさせられましたよ(笑)

 あれ・・・書く感想が無い。本文は自分には全く読む気にならないモノでござりました。

推理小説『五匹の子豚』Agatha Christie 訳:山本やよい

 年末実家に帰る途中に手に入れた本。何回か利用しているけど、姫路駅の乗換え口近くの本屋(改札外)はいいよ。うん。
 ミステリーはあまり読まないので、説得力はありませんが、これはかなり面白かった。


↑BGMにどうぞ(これがタイトルの元だと思われ)↑

 若いきれいな娘さんが探偵エルキュール・ポアロの元を訪れ、16年前の事件の再調査をお願いする。その事件は、その娘さんの今は亡き母親が犯人とされているもので、娘としては無罪だと信じておるのだが・・・。

 16年前の事件なので物的証拠の再調査等はできるわけもなく、資料は関係者の証言だけ。
 また事件捜査は、アリバイつぶしや、証拠探しをするわけではなく、各人の人間関係や性格から、犯人の像を精密にあぶりだしていく。
 一筋の老弁護士ケレイブ・ジョナサンとの会話。このやり取りからそれが読み取れる。

「わたしがまちがっていたら訂正していただきたいのですが、ムッシュ・ポアロ、あなたが興味を持っておられるのは――人間の性格、そうですね?」
ポアロは答えた。
「たしかに、どの事件の場合も、わたしにとって最大の興味はそれです」(P61-62)

 最初、動機とかを中心にこいつが犯人かなーあいつが犯人ではありえないなーと、思っていると、それぞれの人物の意外な一面が現れてくる。しかし、これがその一人の人として人間的に矛盾してない。くだらない推理小説は、事件の構造に力を入れすぎて、人間の性格がぐちゃぐちゃになっていたりする。
「あーーーーお前そういう奴だったわけか!なるほどなるほど」と感想がもれ出るような本ですわ。
 人はいくつかの性格を持っているけど、なんだかんだ一貫したものがある。それをここまで巧妙な感じで書かれるとゾクゾクっとしてしまいますわ。

 16年前ということで、それぞれの人物の記憶が多少違っていたりするのも、上手し。そのあいまいな記憶を思い出させるために、当時かいだであろう匂いの香水をさりげなくかがせたり。洒落たことするんですわ。
 まったこの西欧感がたまらない。ムッシュポアロ!とか、一々丁寧で高貴ぶって背筋が伸びてそうな感じとか。きっとこれは訳者の力量なのでござろうなあ。一応ポアロはベルギー出身で、ドイツ軍の侵攻などにより、イギリスに亡命している設定らしい。

 なんか妙に満足した小説でした。
 ポアロシリーズは映画もあるみたい?見てみたいのう。

本『銃・病原菌・鉄』Jared Diamond 訳:倉骨彰~その2~

1/16 一部修正(コメント欄参照)

 いきなり結論からくる本です。

 現代世界の不均衡を生みだした直接の要因は、西暦1500年時点における技術や政治構造の各大陸間の格差である。(中略)紀元前1万1000年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採集生活を送っていた。(P20)
 なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?人類社会の歴史の各大陸ごとの異なる展開こそ、人類史を大きく特徴づけるものであり、本書のテーマはそれを解することにある。(P21)

その答えは

 歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的名差異によるものではない(P35)

 豊かな人、貧しい人、世の格差は広がるばかり。メディアには豊かな国のその中でも豊かな人が、豊かになる方法をつらつらと語っておられる。その一方で一日1ドル以下で生活しているような、アフリカ諸国(エリトリア、ニジェール、エチオピア、マラウイ、シエラレオネ、リベリア、コンゴ、ブルンジ:社会実像データ図録2010年)の人たちは今飲む水を求めている。
 この差ってどこで生まれたのか。人類はそもそもアフリカから始まったはず。それがいつの間にかアフリカは欧米諸国に全く及ばないなんてことになっている。
 この差が生まれ始めたのは、発話ができるようになったと思われる5万年くらい前からといえるようだ。発話をし意思疎通を図るクロマニョン人が、ネアンデルタール人をことごとく廃絶する。ここまでは進化論の自然淘汰の話で十分理解できる。
 問題はその後、1万3000年前くらいから、遺伝子とは別の要因で人類同士の間で差がおき始める。すなわち銃であるとか、病気に対する免疫、製鉄技術等。じゃあ銃だ何だというものを扱えた民族と、扱えなかった民族の差はなんなのか。中国が前半よい感じだったのに、つい最近まで発展途上国であった原因はなんなのか。

 簡単に言ってしまえば、農耕や畜産の適した種がいたか、大陸が東西に広かったか南北に広かったか(東西が圧倒的に有利)どうか。この辺りがクリティカルな要因だったようで。 
 たまたま農耕や畜産に適した種に恵まれた民族は、畜産を行う中で病原菌の免疫を手に入れ、専門職を養えるようになり、文字や製鉄などの技術を手に入れ、政治を行えるようになり、そうでない国に対して圧倒的な力を得られるようになった。また東西に大陸が伸びているユーラシア大陸では気候や日照時間が似通っているため、農耕や畜産の伝達が早くより格差に差がついた。
 こー聞けばストンとくる言葉があるわけです。「南北問題」。
 少なくとも、「日本人は農耕民族だから」みたいな事を言うことがあるけれども、それは全く逆で農耕民族こそ世の制圧者でなのであります。

 また、西欧と東アジアの政治的な違いについては、海岸線の形で説明されています。中国は海岸線が滑らかで国家が分裂しにくく比較的まとまった政治形態で来た。それに比べ西欧は海岸線が複雑に入り組んでいるために、国が分裂しやすく多様性を認めやすい文化になっている。
 結果的に自由度の高い西欧は、弱肉強食文化でガスガス世界を食っていったが、中国は組織パワーで序盤はよかったが意思決定の難しさにより、西欧に差をつけられることになってしまった。

とまあそんなこんな » Read more…

本『銃・病原菌・鉄』Jared Diamond 訳:倉骨彰

 生物は多種多様な変化と、淘汰を繰り返しながら今の形になってきた。人間ももちろんその中の一種。ここまでは利己的な遺伝子を読んで、理解したつもり。

 さて、その進化した人間のうちでも、アフリカや南米のように貧困に喘ぐ地方と、欧米やわれらが日本のように悠々自適な生活をしている地方がある。なぜこんな違いが生まれるのか。
 白人と黒人で遺伝子レベルで違いがあるのか調べてみても、どーもそうではない。遺伝子では説明のできない、民族・地方間の格差の理由。これを、上下巻にわたってつらつらと書かれているようだ。(書いている時点で、上巻までしか読んでいない)
 例えば、農耕しやすい植物があったか、農耕に移るモチベーションはあったか、家畜化できる動物がいたか等など、世界の各地方の実情から、現状の格差の理由を導き出してくる。
 この本の根底には、今の生活水準や身分の違いは、欧米が努力したとかそーいうことではなくて、環境なんだと。運がよかっただけですよ。という感情が流れているのだと思う。

 とまあ、普通は読み終えてから感想などは書きたいのだけど、この本で本筋とはちょっとズレルのだけど、非常に衝撃的な歴史を目の当たりにされたので、それだけ別立てでメモっておきたいなと。ちょっと長いけど引用する。

 1835年11月19日、ニュージーランドの東500マイル(約800キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や棍棒、斧で武装したマオリ族500人が突然、舟で現れた。12月5日には、さらに400人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩き回った。数の上で2対1とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。
 しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。チャタム諸島で数世紀の間続いたモリオリ族の独立は、1835年12月に暴力的に終わりを告げたのである。(P77-78)

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