ノンフィクション『さいごの色街 飛田』井上理津子

 男の中では名前だけは結構有名な気がする大阪の遊郭「飛田新地」。ここを女性の記者が10年以上かけて取材して書き上げた作品。
 飛田というのは基本的に「料亭」という体をとっていて、中に入ると簡単な料理がでてくる。それを運んでくれる女性と、一瞬で恋に落ちて、その場でやっちゃうこともある。ということだそうで。20分1万円からと。
 遊郭で体を売ってお金を稼ぐ女性や、その経営主体への取材がかなりしっかりしていて、読んでいてドキドキする。よく女性一人身で取材したモンだ。とても、取材費を回収できないだろうけど、せめてもの気持ち新品を購入。

 まあ、読んでいると国内とは思えないような世界が…。
 字が読めない人や、その区域から出たことが生涯で2~3回しかない人達。
 親に捨てられ、若くして身ごもり、体を売ることでしか生きられない女性。それでも人気が出ず、客引きをやる女性。働き出した女性にホストクラブ遊びを教え、外に出られなくしてしまう仕組み。弁護士になるためにお金を稼ぐ女性。(金持ちしか弁護士になれない制度に変えたやつ聞いてるかー)。
 『逮捕されるまで』の市橋達也も、身分証が必要の無い人間でも働ける場所ということで、同じく大阪に行ったわけだけど、それを思い出したり、インドのカーストなんかも頭に浮かぶ。
 ってか明確に奴隷制度といっても差し支えないわけか。資本主義において金の無い人間は奴隷だよね。

 この本の冒頭は、普通のサラリーマン風の男性が店に入っていく描写から始まる。妻子もちで家ではいいパパをしていそうな男。
 それと対比される、飛田の人たち。

 そしてあとがきではこんなことを井上さんは書いている

なお、本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う読者がいたとしたら、「おやめください」と申し上げたい。客として、お金を落としに行くならいい。そうでなく、物見にならば、行ってほしくない。そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一生懸命に暮らしている町田から、邪魔をしてはいけない。

 本文を読む限り井上さんは売春には相当な嫌悪感を持っているし、それでもこんなコメントだ。この解決できるはずもない大きな問題にただただ絶句する。
 その飛田でさえ、人は減っているのだそうだ。

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フリーライター井上理津子のなんだかんだ日記

 日本の遊郭の歴史が知れたのは収穫。
 以下覚書程度に。
 元々、遊郭に全く規制も無かった日本であったが、1872年(明治5年)にペルー船マリア・ルース号事件が起こる。WIKIによれば、イギリスの軍艦が奴隷船マリアルース号から逃げてきた清国人を救助し、日本政府が保護した。
 これにるいて、清国人を帰せという船長と裁判となり、船長側から「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」等と逆切れされる。
 これによって同年に芸娼妓解放令が出される。この法令自体が与えた影響は小さかったようだけれども、むしろこの法令が無くても変わっていただろうが、1912年には娼妓は登録制になるなど、少しずつ変化していく。

 そんな中1912年に、大阪が「南の大火」と呼ばれる火事で火の海になる。難波新地が焼け、難波の遊郭も燃えてしまう。そこに再び復活させようとするが時代がそうはさせず、すったもんだしているうちに代換地として選ばれたのが飛田だそうで。
 これにはキリスト教徒から強く反対起こり、女性に広がっていく。しかし1917年には利権まみれになった飛田遊郭は最終認可が与えられる。
 これの失敗がきっかけで、婦人参政権獲得運動の発端となったと言うが、ほんまかいな。この反対運動の先頭に立っていたのが、矢嶋楫子、林歌子という人らしい。

 時は流れ、終戦後GHQの指導などで廃止の方向になるが、法制化され整ったのが1957年、売春防止法が刑事処分を含めて制定された。
 って中でも、いまだに公然と飛田遊郭は存在しており、残っておるわけで。

 ちなみに、税務署はきちんと入っているようで、飛田の実情を一番知っているのはやはり税務署かもしれないねえ。

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