年初め 静まる街に 心急く

本年もよろしくお願いいたします。

さて、サンジャポを見ていたのですが、
こんな言葉を聞きました。

壇蜜曰く、
いつでも自分の代わりがいると思うからこそ、
せっぱつまらずにやれる。

一方自分は、
いつでも自分の代わりがいると思うからこそ、
せっぱつまる。

どこに思考の突破口があるのだろうか。
そんな自分は今年で三十。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。←イマココ
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

『行人』夏目漱石

 新海誠『言の葉の庭』にえらく感動しまして、作中で表紙がひょろっと出てくる漱石さんの「行人」も読んでみています。
 まだ読んでいる途中ですが。その中でちょろっと面白い表現があったのでメモ。

 物語の本筋は全く違うところを流れいきそうですが、その挿入の話として。
 ある娘さんが三沢という家の仲人で嫁いだのだが、精神病になって元の三沢家に引き取られることになる。引き取られた後、その娘さんは毎日三沢が出て行くときには「早く帰って来て頂戴ね」と、もしそこで黙っていると何度でも「早く帰って来て頂戴ね」と繰り返すのだと。
 その解釈をめぐって、概ね登場人物は可哀想な娘さんだねと言う感じなのですが、ちょっとページを隔てて、主人公の兄、一郎がこんなことを言い出す、

「ところでさ、もしその女が果たしてそういう種類の精神病患者だとすると、凡て世間並みの責任はその女の頭の中から消えてなくなってしまうに違いなかろう。消えてなくなれば、胸に浮かんだ事なら何でも構わず露骨に云えるだろう。そうすると、その女の三沢に云った言葉は、普通我々が口にする好い加減な挨拶よりも遙に誠の籠った純粋のものじゃなかろうか」(P105)

 ほほほう、精神病という題材使ってこんな捉え方をしてしまうのかと。まーそれだけ人間の本来の気持ちは「世間並みの責任」によって押しつぶされているんだと、上手いこと表現しよるなと、なるほど感心してしまったわけです。
 というか1913年くらいにこんなことを書いていたのかとも。約10年後にドグラマグラがでちゃうくらい、精神病に対する理解はまだかなり苛烈な時代だったんじゃないかとは思うけれども。この時代にしては精神病を肯定的に捉えているのですごいのかも?もちろん今こんなこと言うとむしろ問題発言でしょうが。ちなみに「カッコーの巣の上で」の原作小説は1962年なんですな。

『SHUTDOWN』The West Wing/The Fifth Season/Episodes8

 を、アメリカがSHUTDOWNしたんだねい。

【ワシントン】 米ホワイトハウスは30日深夜、連邦政府機関に対し、一部業務を閉鎖する計画を実行に移すよう指示した。米国の政府機関が閉鎖されるのは1996年以来、17年ぶり。
 米議会では30日夜、予算案を巡り土壇場の協議が続けられていたが、民主党が多数を占める上院は、オバマケア(医療改革法案)の修正を盛り込んだ下院の提案を否決。公共サービスを継続するために必要な予算案が成立せず、一部政府機関の閉鎖に追い込まれる事態となった。
The Wall Street Journal.

 せっかくの機会なので、米ドラマ「The West Wing」でSHUTDOWNしたと時のやつを見ていました。
 序盤は、ホワイトハウスが予算の決定で、多数派の共和党に追い詰められ劣性に追い込まれるも、最終的には謹慎中だった腹心の部下のアイディアで、国民的な支持を取り付け危機を脱する。

 事前交渉の場面でどんどん共和党に予算を削られる。その中には、念願だった授業料の税額控除等、公約でもあった主要な政策もあり、自身の政権の存在意義とかについて、皆が考えていくところが感慨深い。
 今オバマちゃんも、一丁目一番地のオバマケアが削られそうになっているところで、自分がなぜ大統領になったのかとか、考えておられるんだろうなと。(それに比べて日本の首相は巨大な権力を持ちつつゲフンゲフン)

 ドラマ中は、最終的には上手な国民へのパフォーマンスで、形勢逆転し、正論で共和党をねじ伏せ、予算成立を勝ち取るのだけど。さて、今回のアメリカのSHUTDOWNはどうなるんでしょうな。この日本名「ザ・ホワイトハウス」は、政略的な議論から始まるのだけど、最終的には各々が正論にひれ伏すという、綺麗な絵を見せてくれるのですきなのだけど。実際の政治もそうあればいいね。
 個人的には、オバマさんは、同姓婚に言明したり、シリアの一件も攻撃をせず収めたし、オバマケアもがんばってやろうとしているように見えるし。いや、実際どうなのかは知りませんが、たまーに耳を通るニュースは好意的なものが多く、頑張ってほしいなと思っているところでやんす。

追記メモ:東京新聞 20131002夕刊 大統領の粘り勝ちかね。
 一方、共和党が主導する下院は一日、退役軍人や国立公園関連などに限り支出を認める個別予算案の審議を始めた。上院民主党は予算案全体の無条件可決を求めており、上院は通過しない見通しだ。また、共和党内には大統領の主張に公然と賛同する意見が徐々に増えている。

『日本の童貞』渋谷知美

 中々ショッキングで面白い本でした。とりあえず童貞の定義から始まる。
 そもそもは修士論文らしく、非常に丁寧に歴史が調べられていて、論文として美しくて。
 なるほど、童貞などと言うところから見ると、男女の性の意識、互いに対する認識「女は家にいろ」みたいなのが、色濃くでてくるなと。色々な背景知識として面白いなと、以下長くなるけど、かなりお勧めの一冊ですわ。

 ではちょっと長いけど、1920年代の東大生の言葉

(P27)ほんとうに童貞は私が愛人と結婚する時に私が最大の歓喜をもって、私の妻に捧ぐる贈物であらしめるつもりです。私は私の愛人の処女たることを礼讃すると同時に私の童貞もが彼女によって礼讃せらるることを希望します〔略〕最高にしてしかも対等なる尊さ、純真さをもって二人は相抱擁することが出来やうと思ひます。是処にこそ真の真の夫婦なるものが理解されて存在するのではないでせうか〔略〕こんな意味で来る可き私の結婚を輝しき光にみちたるものとして胸をおどらして待つて居ます。

 このころ、女性は処女であるべきとされる一方、男性はいろんな相手とセックスをすればいい(これを性的放縦(ほうしょう)というらしい)とされていたそうな。さらにはこのちょっと前1870-1910年代は、男色(なんしょく)も普通だったとか。
 それは法律でも同じように適用され、女性の拒否によるセックスレスを原因に男性側が起こした離婚訴訟で次のように裁判所が判事したという。

(P30)女子の貞操の喪失、すなわち其の純潔の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対するそれとの相違にに基づくものであって、之を同一に評価することは法律上妥当しない。

 さらに1920年の雑誌『性』の「男子も貞操を守るべきか否か」をに問うアンケートで、男性論者のほとんどが「男女とも貞操を守るべし」と述べていると。1910~1920年は男子も貞操の時代なのだ。
 そこで現れたのは平塚ライチョウ。「花柳病男子結婚制限法」の請願やら、「花柳病男子拒婚同盟」やら、風俗関係でなりそうな病気になると結婚できなくさせようぞ。と。これに与謝野晶子が反論する・・・。とこの辺が非常に面白いのだけど、書いてたらきりがないので、紹介までに
 なんかこの時代本人たちはイタって真面目なのでしょうが面白い。こういったことを喧々諤々議論していたんだなあと。

 この「童貞守っていこうぜ!」という時代は、1960年代まで続くが少しこの辺りで代わってくる。変わる直前は

(P111)実際、ビックリしました。こんなに童貞のヒトが多いなんて・・・・・・。男性って、みんな勝手な事をしてて、そのくせ女性には処女を要求する――と考えてましたけどねえ。これからは、独身男性を見直さなきゃ」

 もちろん、童貞が褒め称えられてはいるけれども、男は相変わらず遊び人もおおそうではありますね。
 で、ちょっと雰囲気が変わる1970年男子

(P114)そんなことをしゃべるんですか?困っちゃうな。たしかに未経験ですよ。そんなこと、どうだっていいじゃないですか?第一、友だちにも隠してるんだ。いまさら童貞だなんて、カッコ悪くていえやしない(略)やりたいなあ。一度経験しちゃうと、ずいぶん気が楽になると思うんだ。童貞って、ほんとに自慢できるもんじゃないと思うよ。重荷だもん。童貞ということばにまで抵抗を感じることがあるな。

 1970年に青春を過ごした世代はちょうど今60才くらいだろうか。風俗でいいから童貞捨てて来い。みたいなことを言うおっさんはこのあたりからできてるんですな。

 と、そして、ご存知のように、現代への流れに繋がってくる。今は、多少「童貞だっていいじゃない(み○を)」みたいな、慰めてるのかけなしているのかよくわからないような時代ですわな。
 なんとなく、今の時代、昔から比較してみれば「童貞」には「駄目な男」という刷り込みかなり強くはいっているんだなと。
 私は理系の単科大学出身ゆえ、私を含め女性経験が少ない輩が少なくなかったわけですが、これが優秀で、卒業後7~8年で十組以上結婚しているはずだけど、離婚の報告は聞かず。円満な家庭が多い。おまけに転職も少なく収入も安定している人が多い。
 そりゃそうだ、ナンパの仕方も知らず、学生時代勉強やら趣味に打ち込んできた輩だ。その辺は堅い。

 そもそも日本は街ぐるみでの筆おろしとか、お見合いとか、童貞(処女)をわざわざ捨てる必要のなかった国であるはずで、男も女も性に開放的であるほうがカッコイイというような、ちょっと背伸びして無理してるのかも知れないね。
 もし、この「童貞」に不利な世の中が続くのであれば、親は子どもに「異性と遊んで来い」と、ちょいと変なアドバイスで教育しないと、まともな配偶者さえもらえない、なんて事になりかねない(笑)。やっぱり「勉強っておもろいやろ!」「趣味に大いに打ち込みなさい!」と言える社会がいいよねえ。

想像力とセンスの前にひれ伏すもの達/映画『風立ちぬ』

 風立ちぬ。ちょいと見てきました。
 ちょうど同じ日に、小林賢太郎の「LENS」というお笑いの舞台作品をみておったのですが、似たようなことを言うんですね。

LENS
「想像力に知識はひれ伏す」
風立ちぬ
「センスは時代をさきがける 技術はそのあとについて来るのだ」

 この言葉が耳に残るというのは、自分の心に何かひっかかるものがあるっつーことだと思いますが。
 30も近くなって、知識の収集バカリに努めていてはいかんなと。宮崎駿は確実に「てめーらもガンバレ」と風立ちぬで言っていると思うわけで。なんか身が引き締まった思いが強く強くした一日でござんした。ロマンを持たねば。

 ほんとに風立ちぬは、ほんと最後に好き放題作りましたっていう感じですね。
 仕事と妻という男の二つの課題をドドーンと正面から扱って、なんか説教されている気すら。いや、説教されたよね。特に、ジブリ映画にしては随分ラブシーンがしっかり書かれていたように思う。雨戸を閉めるシーンに、ワクワクしちゃったよ。
 仕事が産み出す自己矛盾。「男は仕事をしてこそ」。しかしその仕事の成果である飛行機は、一つも帰ってこない。むなしい。

 なんか、モチベーションの源泉として家にDVDでも持っておきたいな。

ものづくりが変わる?⇒『MAKERS』クリス・アンダーソン

 3Dプリンターの話がちょいちょいでるので勉強がてら。
 と思ったのだけど、まず
 ちょっとwikipediaのこの文章に笑いつつ。

このような論争にも関わらず、『Free』の印刷版はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストの12位でデビューした。一方、無料のデジタル版は300,000近くダウンロードされ、本書の提唱するフリーミアムに信憑性を与えるものとなった。

 Freeという本を出して、その本自体がFreeを否定してしまったと。まあなんでも複雑な条件があって初めて成り立つことやね。

 とりあえず、3Dプリンターを持っていると、設計図を入力するだけで、うい~んと機械が動いて3Dの物質を作り出すことが出来る。と。
 このムーブメントには3つの特徴がある(P32)

    • デスクトップのデジタル工作機械を使って、モノをデザインし、試作すること(デジタルDIY)。
      それらのデザインをオンラインのコミュニティで当たり前に共有し、仲間と協力すること。
      デザインファイルが標準化されたこと。おかげでだれでも自分のデザインを製造業者に送り、欲しい数だけ作ってもらうことができる。また自宅でも、家庭用のツールで手軽に製造できる。これが、発案から企業への道なりを劇的に縮めた。まさに、ソフトウェア、情報、コンテンツの分野でウェブが果たしたのと同じことがここで起きている。
  •  印刷機の発明とかそっちではなく、ソフトウエアのオープンソースとかそっちやと。

     あとは、著者お得意のロングテール(P113)

     高品質な品物を少量だけ生産し、手頃な価格でそれを販売できるようになれば、経済は破壊的な影響を受ける。そしてここに、アメリカの製造業の未来がある。
     3D印刷のようなコンピュータ化されたもの作りのプロセスは、コストをかけずに複雑さと品質を実現してくれる…これまでの紙のプリンタは、ただの円もモナ・リザも、同じく簡単に印刷できた。3Dプリンタにも同じことがいえる。

     未来の話としては面白い気がする。少量生産というのがポイントかも。

     いや、非常にクリエイターになりやすい、しかも起業家としてもやりやすい時代になったということは、しっかり意識したいね。

    『深い河』遠藤周作

     久しぶりにひっそり更新。相変わらず書いた内容は支離滅裂…。
     ふと「Deep River」と言う曲は、この遠藤周作の「深い河」からインスピレーションを受けているのだと知り、色々思うところもあり、手に入れた本でした。

     まーこのブログも書かない数ヶ月。いろんなことありましたわー。うーん。経験と言うのはつまねばならんね。ほんま。まだあと80年は経験積まないといかんわ。

     インドツアーが催され、そのツアー中に複数の主人公がいる。
     宗教を考えたこともないのに妻の死をきっかけに転生と向き合わされた人だったり、自分が臨死体験をして代わりに死んでくれた(と思っている)鳥に感謝するためにインドに来ていたり、色々なそれぞれの死生観を絡めての葛藤が面白い。宗教に肉欲も絡み、非常に純粋なお父さんの奥さんへの愛とか、動物への愛とか、戦争のPTSD的なものとか、色々ごちゃごちゃしているけれども、そのおかげで飽きさせず非常に読みやすくて面白い本でしたよ。今の自分の境遇とかにも色々重ね合わせられる面もあったりして。

    以下特に支離滅裂。

     個人的にはその中でも大津という日本で育ったカトリック教徒が神父になるにあたっての日本人らしい葛藤がとても面白かった。

    (P191)神学校のなかでぼくが、一番、批判を受けたのは、ぼくの無意識に潜んでいる、彼等から見て汎神的な感覚でした。日本人としてぼくは自然の大きな命を軽視することには耐えられません。いくら明晰で論理的でも、このヨーロッパの基督教のなかには生命のなかに序列があります。よく見ればなずな花咲く垣根かな、は、ここの人たちには遂に理解できないのでしょう。もちろん時にはなずなの花を咲かせる命と人間の命とを同一視する口ぶりをしまうが、決してその二つを同じとは思っていないのです。

     遠藤周作その人がカトリック教徒のようで、本人の叫びそのものじゃないのかという大津の言葉が色んなところにちりばめられている。
     と、そんな真面目な大津を、美津子と言う女性がバカみたいと、教会に行かずに私の家に来なさい。と、神から大津を寝取ってしまう。そして、美津子は神を玉ねぎと呼び、大津を批判する。結局大津は、美津子に捨てられ玉ねぎの元へ戻っていくのですが、玉ねぎも気まぐれで、大津をツアーの行き先インドへと。そして美津子は大津に会いにインドに来てしまった。
     結局振り回されているのは、美津子なのだけど、大津の姿勢もさることながら、美津子がおっかなびっくりで宗教に触れている感じが、日本人なら共感できるに違いないと思ったり。

     また史実が挿入されていて、インディラ・ガンディー首相が暗殺されるという事件がツアー中に発生する。支持を集めていた首相が殺され、市民の気は立ち町は異様な雰囲気に包まれる。ここから、大変厳しい結末への引き金となっていくのだけれども、非常に色々な捉え方のできる史実を入れてくるのは中々面白いなと思ったり。

     そして、色んな背景の主人公がガンジス河で色々な面で抱えていた悩みから色々な手段で解き放たれていくのだけど、舞台としてガンジス河というのが面白いのですなあ。ガンジス河は人が死ぬために集う河。ガンジス河に自分の亡骸の灰が流されると、転生してよりよい生まれ変わりができるのだと。特に、カーストの厳しい国なのでよりその願望が強く、ヒンズー教とも相性が良かったと。その平素から死を迎え入れる河だからこそ、貧困に耐えやっと死ぬことが出来る人が集まる河だからこそ。
     やっぱりガンジス河は生で見てみたい気がしてくるなあ。多分、悲しみを味わいに行くところなのだろう。

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    『普通の愛』尾崎豊

     アガサちゃんの「アクロイド殺し」も面白かったし、
    三浦をしんの「船を編む」も面白かったし、

    田中ミエの「ダンナ様はFBI」も面白かったし、
    なんやかんや面白い本を読んでいるのだけど、ブログは後回しに。
    書かないと忘れるんだけどね。

     借りていたの尾崎豊の「普通の愛」を、あっ!と思い出して読んでいます。
     結局、この人の残したモノは、何もかも愛にあふれ、本気がこもっていて、天才としか思えない。尾崎豊の時代から、何も進化していないに見える昨今、ほんと申し訳ない気持ちにすらなる。
     こいつは、1991年の本。亡くなる1年前、I love youの年。どっかで聞いたようなせりふが山にようにあり、数々の尾崎節がどういう状況の下で生み出されてきたのか、見えてきて面白い。

     君のことだけを考えながら、明け方の高速道路を走っていた。

     始まりの一文。かっくいいね。かっくいい。言葉のリズムが美しく、スラスラ読める。

     「たたずむ瞬間」という小説が収録されている。
     これは、酒場で毎晩ピアノを弾いて小遣い稼ぎしている男の話。

     酔っぱらいは俺の教科書みたいなものさ。誰がそんなものを信じるかい。ただやつらは傷みを知っているのさ。二度と繰り返すまいと心に決めてきたものが、山ほどあるやつらさ。そしてやつらは覚えてきたそいつを忘れようと必死なのさ。

     酔っ払いやら、いちゃいちゃするゲイやら、娼婦やら、乞食やら、まー誰も聴いていない中で、酒と薬をやりながらピアノを弾く主人公。
     酔っ払いに「最低だな」と絡まれると

    「あぁ、俺の歌は教会の賛美歌みたいに聞こえるはずないさ。俺はあんたの人生について歌うつもりはないんだよ。」

    との返事。あんたの人生についてうたうわけじゃなく、自分の人生について歌っているんだろう。でも、あんたのために歌っていることは否定もしてない。若干のツンデレ感が。
     そんな誰もまともに聞いてはくれない酒場で、カウンターの婆さんだけは、接客をしながら聴いている。

     やっぱり、なんだかんだ支える一人がいて、とても輝いてしまうんだなーなんて。

    『若者殺しの時代』堀井憲一郎

     お久しぶりです。と。少し顧客の社長と飲む機会があるので、必要に駆られてネタ仕入れのために買ってみた。
     とりあえず、タイトルと内容は完全に乖離している本。普通に社会の変化を堀井氏独自のものさしで観測していく。

     携帯電話がどんな風に普及していったか調べるときどうするか。

     自分ならとりあえず販売台数の統計とか、新聞記事とか探しちゃいそうだけれども。
     この堀井さんは、月9のドラマでどこでどんな風に携帯が使われているかにより時代を探っている。。。面白い(P143あたりより)。
     最初に携帯を使用した月9ドラマは1989年1月の「君の瞳に恋してる!」の石田純一で、スポーツカーで中山美穂のマンションに乗りつけ、マンションの部屋の中山美穂と、車載電話を持った石田純一が見つめあいながら電話をするのだそうな。
     コレだけでも中々興味深い。

     目次を見ると、
    第1章 1989年の一杯のかけそば
    第2章 1983年のクリスマス
    第3章 1987年のディズニーランド
    第4章 1989年のサブカルチャー
    第5章 1991年のラブストーリー
    第6章 1999年のノストラダムス
    終章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
    てな具合で、平成に変わった瞬間の年1989年から始まり、1983年から少しずつ現代に戻ってくる。

     最後は、タイトルに合わせようと無理な文章になっているけど楽しいのでオールOK!
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    『プラチナデータ』東野圭吾

     あけおめございます。
     例のごとく帰省中に読んだ本。

     東野圭吾は、あまりにもみんなが読んでいるもんで逆に読まないようにしていました。が、結局勧められたので読んでみましたよと。
     たかだか、国民総背番号制なんてのが紛糾する、意味不明な日本に住んでいるわけですが(んなもんちゃっちゃとすればいい)。その中である意味こーいう警笛本を出すというのは、東野さんも狙ってるのーなんて思うわけです。
     ところで、警察って今どこまで捜査の力をもっているんだろうと、気になっちゃったりもする本です。

     いやはや。面白い本でした。やっぱし人物描写はもうちょっとほしいなーなんて欲張りにも思いますが、テーマ設定とかは極めて考えさせられたし、中にちりばめられているメッセージもスキ。何よりも読み心地がすごくいい。
     いやー450ページくらい合った気がしますが、さらっと読めるのでお勧め。
     以下多少ネタバレ
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