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久方ぶりに男歌手きた!

尾崎豊を友人βと熱唱して
はまった。

これきた。
尾崎ー
会社の先輩に
「バイク盗んだり会社の窓ガラス割らないでね」
といわれた

愛とは

人間なんて愛に跪く
LOVE WAY/尾崎豊

 先日「心の仕組み(中)/スティーブン・ピンカー」というのを読み終えました。
 俗に言う「心」といものの、成り立ちや仕組みを、科学的に解説しようっていう本です。その中に「愛」についての記述があり(本の中では、ささいな一部分だけど)、興味深かったので頭を整理する意味で書いてみます。
 なんともこっぱずかしいタイトルですが(汗)

 まず、愛といえば人を狂わせる代表格みたいなもの。

  • 仕事や勉強に打ち込んでいた男が彼女ができた瞬間にダメ男になってみたり
  • 女性が急に綺麗になったり
  • 一日中その人の事しか考えられなかったり
  • 壺買ったり
  • 急に、にやついたり
  • 「君のためなら死ねる」とかいってみたり

 冷めてしまえばびっくりするような事ができてしまうのが「愛」。
(本では家族愛とかに重点おいてますが、とりあえず男女に絡む愛についてだけ書いてみる)
 理性的な思考を奪ってまで、なぜ私たちは他人を愛してしまうのでしょうか?

ところで

五〇億人が住むこの世界のどこかに、あなたを受け入れてくれる人のなかで最高の容姿と資力を備え、頭が良くて、楽しく、やさしい人 /P306

 を相方にしたいと誰しもが思うはず。
 しかし、残念ながら一番頂点に君臨する人を見つけ、口説き落とすのは大変なので。近場にいる異性をパートナーとして選ぶ。あいのりの小さいバスの中でもカップルがうまれちゃったりするわけです。

 さて、ここからが「愛」の出番なのですが。客観的に見て上記の目的のみであれば、今の彼氏や彼女よりもかっこよくて(美人)で優しくて、金ももっているという素晴らしい異性が現れれば、乗り換えちゃいますよね?
 ここで、「愛」は、より良い条件の相手が現れるにもかかわらず、それが目に入らないようにする「目隠し」的な役割をすることになるということなのです。
(一卵性双生児の人とつき合って、そのパートナーじゃない、容姿も性格も似ているもう一人に何も思わない(ノンフィクション)のは、「愛」のおかげ)

 本の中では賃貸契約書を「愛」にたとえて説明しています。
 一戸建ての家を借りる事を考えた時。契約書には
「大家さんは借りている人に契約期間中は『出て行け』とはいわないこと」
「借りる側は契約期間中は住み続ける(金を払い続ける)こと」
 と書いてあるはずです。
 これにより、借りる人は、近所に友人を作り、旧知の友人にも新しい住所を書いたはがきを出すことができます。
 大家さんも、直ぐに出て行かれる心配がないので、宣伝や改装の資金を心配することなく、自分の趣味を楽しむことができます。
 逆にこの契約がなければ、大家さんは退去に備え家賃を高く設定するでしょう。そして、住む側も家賃は高くなる上に、友人への手紙は不変なgmailのメールアドレスしか載せることができないでしょう。
 ちょっとこじつけっぽいですが、賃貸契約書のおかげで、お互いに「より高い家賃で住んでくれる人に貸し変える事」や「よりよい物件に住み替えること」に興味すらわかないことになります。そしてお互いがこの「目隠し」によって、より大きな利益を得ることができます。

 同じように、「愛」という本能を人間が持っているからこそ、(特に女性にとって)大きな投資である子供を作ったりすることができる。「愛」があるから、妻に家や大事な子供を任せることができるし、夫に収入を一任することもできる。(どうも上手く言えませんが、信頼というのは大変重要な価値を生みます(精神的にも経済的にも))
 そーいう形で「愛」というのは人間に備わっているようなのです。そして、「愛」を証明する時っていうのは、顔が赤くなったり、自分の意図ではどうにもならない生理的なコストを伴って意思表示をすることになります。これ自体が嘘を付ける性格の物ではないという点で、愛という「契約」が効力を持っていることを証明できる。っつーわけです。

 もちろん、その「愛」というのは生物の進化の上でできたことを考えれば。子供が育つ間までしか継続しなくても不思議じゃないし。人間が期待するほど長い間の契約を保証するものではないとは思います。
 そこで人間はさらに「法律上の婚姻」をいう制度を作ったり。女性は男性に定期的に「愛してる?」と聞いたりするんだろうと。

 ちなみに、私の今の親は両方とも子供を作った上でのバツイチです。
 ちらっと話を聞けば、「愛」故に最低な相方と結婚してしまったクチです。どちらかといえば、この本を読んで「愛こえぇ」という印象のほうが強かったように思います。
 ってかそもそもこの家庭で「愛」を信頼するのはかなり無理がある(笑)

 私は、結婚相手などは一度「愛」をはずした上で考える必要があるとは思います。
 ただ、この本を読んだ結果、容姿や資力が一番でなくてもそこそこの相手であれば、この「愛」にゆだねて信頼し合っちゃってもいいのかもしれないなぁ。なんて。

追伸:
 ついに科学は「心」を解き明かすに至っているというのは大変な驚きです。
 上記の文章は、殆ど意訳であり、私が書くとかなりうさんくさい(そもそもこのテーマ自体があまり熱心に書かれていない)ですが、本物の文章は、かなり科学的な本で。十分信頼できる本だと思います。興味がわいた人がいたら、上中下全てを是非とも実際に本を手にとってを読んでみることをお勧めします。

『篤姫 第九巻』佐野元彦

第32話 桜田門外の変
 幾島が大奥を去り、
 井伊直弼が桜田門外にして落命する。
第33話 皇女和宮
 天皇の娘「和宮」が将軍「家茂」に嫁に行くという話が、
 そして篤姫に薩摩に帰りませんか?との話が。
第34話 公家と武家
 和宮嫁入り。武家風の威厳を保たねばならない篤姫と、
 公家風を保とうとする和宮とその取り巻き。
第35話 疑惑の懐剣
 和宮が家持ちの寝床に刀を持ちこんだとか・・・。

 ってなことで九巻。
 命というか人権の軽さを感じる時代だなぁと思ってきました。
 女性は政治の為にあっちゃこっちゃ行かされ、制約を受け。男は面子の為に命を自ら絶ち、又は絶たされ。最も、今でも戦争が起これば想像の付かぬ数の人が死んだりするわけだけど。
 でも、男の面子というか、心意気に感動してしまうのも、また日本人である証拠なのよねぇ・・・。

 序盤、篤姫に井伊直弼が茶を点てる場面。
 篤姫は井伊直弼の反対勢力を片っ端から処罰する政治のやり方に強い不満を持っており、その事を話すための場であったお茶の場。
 そこで、井伊直弼が「汚れた手で立てたお茶でいいのですか?」等といいつつ、篤姫に茶を点てる。ぴーんと張りつめた空気の中、篤姫が茶を飲み・・・。
「くやしいが・・・これほど美味しい茶は初めてじゃ」
と一言。
 この篤姫のお茶を飲んだ時の表情から、言葉からなにからなにまで感動のシーンでありました。

 篤姫と井伊直弼は完全に意見の対極にいる人物。その篤姫が井伊の意見を聞く。それだけでも、めちゃめちゃ凄いことだと。年をとればとるほど、その難しさが身にしみています。
 そして、その極論の二人が歩み寄り、最上の議論が生まれようかというところで、桃の節句3月3日、井伊直弼が殺される。しかも篤姫の出身薩摩の人間に・・・。

 和宮・篤姫・滝山といった女性陣の強いこと強いこと。いやー。かっこいいよあんたら・・・くぅ。
 篤姫の酒発見。

『篤姫 第八巻』佐野元彦

 篤姫八巻 28-31話をやっと見ることができました!後6週間は篤姫生活。

 28話、篤姫の重要な心の支えであったであろう二人が死ぬ。篤姫の人生の大きな道筋を付けた島津斉彬、篤姫とやっとラブラブモードに入ってきた十三代将軍徳川家定の二人。
 そして、将軍の正室である「御台所」ではなくなり、髪を切り天璋院となる。

 将軍家定が安政5年7月6日、斉彬は同年7月16日。その時の篤姫は20代半ば。
 すでに実父亡き篤姫、その篤姫が二十代半ばにして、人生の(良くも悪くも)道筋を付けた養父が死に、夫が死に・・・。そして、権力も失い・・・。
 ああ見るのがしんどい・・・。

 続いて、大老井伊直弼が実権を握る幕府を通すべき勅諚を、幕府を素通りして水戸藩に直接渡したことを理由に、井伊直弼は不都合な輩を片っ端から処罰する安政の大獄を始める。
 この井伊直弼という人も、元々は彦根藩主井伊直中の十四男に生まれ、厄介者であると言うことで、自分の住居を「埋木舎」と呼んで、自虐していたとか。それが、彦根藩主の候補が続々と他家を継いだり、死んでいたりで、井伊直弼に藩主の座がまわってくる。そして、そこから幕府の大老職まで進んでいく。
 そんな、ダメだと思っていた自分が運と実力で成り上がってしまった。そこで、「国のため」と思ったか「自分(自分の家)のため」と思ったかは解らないが、若い将軍を押さえ、安政の大獄という弾圧的な政策を実行するに至る。
 人に厳しく当たれば、当然恨みもかうわけで。どちらにしろ井伊直弼にとっても楽な事ではなかっただろうに・・・。

 この巻ですごかったのは。「公方様を殺したのはお前だろ」と責められる時の篤姫の演技。ほぼ半笑いで。完全にイった人という感じ・・・。迫真の演技というのはこういう事かと。
 そして、最後にずっと、そして唯一、一緒に道を歩んできた幾島との別れ。くぅ・・・。

追伸:篤姫で検索したらコップがでてきた。なんぞこれ。

卒業生の皆さんいってら!

数年に一度たまーに咲く花

数年に一度咲く花

 我が母校卒業生の皆様。と、その他卒業生の皆様。
 ご卒業おめでとーーーー!

 誰が何と言おうと、やる気があろうが無かろうが、これからの社会・時代を作るのは我々だー。散々楽しんでやりましょうぞ。

 私が、まだ花粉症でもないのに鼻たれクソがきだった頃、アロエの花ってのは数年に一度しか咲かない花と教えられていました。うちのアロエの花もなかなか咲かず、結構楽しみにしていたのですが、それがやっとのことで咲いた時、その地味さには凹んだ覚えがあります(笑)
「花が派手でなくてもいい。むしろ・・・」
と言うことに気づくのは遙か後の話であります。

医療事故について

シャアの病院では医療事故が相次いでいるらしい
そりゃあシャア内科

引っ越ししてきた

 新しいブログ(?)に移転してみました。

 このブログのタイトルは「朝飯前で腹減った」ということで、よろしくお願い致します。
 このタイトルは「楽」で検索して見つけた言葉 waltz よりひっぱってきました。結構面白い言葉で、当然ワルツ(踊り)から来てるんだろうけど、

  • (自動)軽やかに動く
  • (名)朝飯前(でもできるような簡単な事)

みたいなニュアンスがあるみたい。(英語のニュアンスって面白いなぁー。)
 たんぽぽの綿毛のごとく、ふわふわーっと、踊るようにいたい。という願望をこめて。

毛

綿毛と言うよりも、本気で毛やがな!


 ただ、朝飯抜きというのは自分のポリスィーに反するので、一言つけときました。

 ちなみに、移設した副要因は、最近phpで他のプログラムとかも作っているので(最近停滞気味だけど)そーいうのを組み込みたいということで、php的なWordPressに変えてみましたとさ。

※タイトルがあまりにも凹みそうだったので変更(笑)