※引越ししてからやっとネットが開通しましたー。住所等変わっております故よろしゅうに。
社員旅行で京都にいかせていただきました。京都に正直あまり興味はなかったのですが、今回の旅行で京都の面白さを短時間ではあるけれど、しみじみ思い知ってきました。
1日目は観光タクシーを使って、色々な解説を聞きながら。
2日目はあっちらこっちらに個人行動自分の足で。
始めに解説されて、なるほどそういえばそうだと納得したことが、あの地味なお寺は朱色や金色で染められ、花がそこら中に描かれるド派手な建物だったという事実。
まだ灯りも貴重な時代。吸い込まれるような真っ暗な夜に死を想像し恐れる人々。そこに、ド派手なお寺を作り、亡くなってもこういう美しい世界にいけるのだと、お寺は人を安心させていたのだと。
今回の旅行では天井に色々驚かされました。お寺の天井にそのド派手の名残が残っており、花の絵がうっすら浮かんでいたりするのです。三十三間堂なんかは、さりげなくライトを当てて強調していたり。
一番面白かったのは、二日目に一人でトコトコ訪れた相国寺。京都御所の北にすぐにあるお寺です。
ここは私の大好きな伊藤若冲先生(画家 1716年3月1日~1800年10月27日)が禅を習った寺で、鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)は相国寺の出張所みたいなものらしい(WIKIより)。雪舟なんかもここ出身だとか。若冲先生はその鹿苑寺に襖絵なんかを書いて送っており、それが相国寺の美術館に飾られている。現在は葡萄と芭蕉の絵があったけど、葡萄の絵は虫食いの葉っぱをあえて描いていたりしてなんどもひねくれている若冲先生らしいなどとニマニマしたり。
相国寺で何より面白かったのは鳴き龍という天井(リンク-相国寺 法堂の鳴き龍/京都を歩くアルバム)。龍の下にたって、手をたたくと、龍が鳴くのですわ。あのド迫力の龍にただでも驚くのに、鳴くとなれば。ちなみに、作者は狩野光信((1565?1561年?~1608年7月15日)さんというらしく、若冲先生の師匠もまた狩野派だったわけで、歴史を感じるわけです。
なお、若冲先生のお墓があるので、そこもちゃんと参ってきました。写真は若冲先生のお墓です。
他にも、相国寺にある宣明という禅の風呂(風呂と言っても修行の一環)があって、その入り方について色々おっさんから話を聞いたり。
そのほかにも仏像の見方なんてわかるとなかなか面白ろそうです。聞いたことだと、「○○如来」と言われる偉い人がおられる。この人たちは、布一枚で物とかを持っていない。これは、如来ともなると、物などの力を借りずとも十分なパワーともっておるということだとか。
釈迦如来は仏教を教えてくれた人であり、この人をみたらこれまでの感謝をしなさい。薬師如来は必ず日と月の仏さんを従えており、今の事、つまり病気を治してほしいとかそういうことを頼みなさい。阿弥陀如来は来世の世話をしてくれる人だから、先の事のお願いは阿弥陀さんにしなさい。とかおっさんが言っておった。
龍安寺では、入り口がいきなり台所で、台所には普通米袋持った大黒様なのだが、京都の台所は韋駄天様(忙しいから(笑))がいるとか。
三十三間堂には1001体の仏像がぞろぞろ並んでおるのですが、これはパーツごとに作る人が何人もいて、それをバラバラに組み合わせるので、この大量の仏像はすべて違うのだとか。
一応行った所は
(一日目)東寺、三十三間堂、龍安寺、金閣寺
(二日目)相国寺、清水寺、高台寺、建仁寺
これくらいですわ。
三十三間堂は、平清盛が皇族への賄賂として作った建物で、成り上がるために天皇に献上した建物のひとつらしいですな。ここから武家の時代が始まったんだと、解説のおじさんが息巻いていました。
ほとんど予習せずに行きましたが、今度行くときは歴史をきちんと抑えたうえで京都五山を抑えてみたり。南禅寺は行きたいですなあ。
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