Category Archives: 戯れ言

TVドラマ『わたしたちの教科書』 脚本:坂元裕二

 鬼平犯科帳をみまくっているんだけど、ちょっと浮気して近くの棚にあったTVドラマを借りてみた。

 中学校でいじめがある。いじめられていた女の子が謎の転落死。
藍沢明日香(志田未来):中学生。いじめられていた女の子。両親の離婚等により、施設に入れられる。
積木珠子(菅野美穂):弁護士。バツ1で明日香は元旦那の連れ子。明日香と3ヶ月くらい過ごしたことがある。
瀬里直之(谷原章介):弁護士。珠子と同じ法律事務所におり、一時はプロポーズもしたが別れた。
雨木真澄(風吹ジュン):副校長。「いじめは存在していません」と30回は言った。
その他愉快な先生と生徒達。

 なんかイライラするドラマだった。人間のキャラの変容ぶりが凄すぎて。大人ってもっと頭が固くて、しかし柔軟なもんじゃないかな。

●いじめを認めさせたい母親 VS いじめを認めたくない学校
 珠子が死んで初めて母性本能が芽生え初め、学校に弁護士バッジをぎらぎらさせながら喧嘩を売る。
 学校の実質的な代表である雨木は、「いじめがあったことを認める」事はいじめの根絶には繋がらないことを理由に、いじめは無かったと主張し続ける。確かに裁判やマスコミで「いじめがありました」と言ったところで悪化しても良くならないだろうと言うところは同意。
 雨木さんがまずいのは、校外に対するだけでなく、校内に対しても「いじめがなかった」と言い続けたところ。これは解決を先延ばしにするだけの、無意味な決断。これはドラマをみる人間は共感し、「雨木うんこ踏め!」とみんなで思えるところだろう。

●いじめる子供といじめられる子供
 いじめられる子には理由はなく、いじめを主導する子には、家庭環境に問題があり、そのはけ口としていじめるのだという気配が受け取られる設定。
 この設定はしっくり来ない。個人的には逆な気がする。いじめられやすい子っていると思うし、逆にいじめる方の家庭環境が悪いなんてことは希薄なイメージだけどどうなのだか。
 また、いじめられる生徒が死にたがるわけだけど「誰も私が死んでも悲しまないから」とか言う。けど、いじめられるときって「ただ辛いから死にたくなる」んじゃなかったかなーと思ってみたり。

●母と子
 三ヶ月一緒に過ごしただけの母と子が親子になれんのか。珠子は明日香からもらった手紙をにぎりしめて法廷に立つ。2~3年自分の金で裁判やってたみたいだけど、そこまでの愛が産まれるのかはなはだ疑問。 » Read more…

クライミングジムの守護神

パンケーキにドライフルーツをねじ込んだような壁
ドライフルーツに群がる汗くさい男達(※1)
ドライフルーツをじっと見つめる男達
こいつら集団競技は苦手に違いない
総じて痩せ形で腕以外の筋肉は心許ない(※2)

そんな男達をぶったおれないように
ひっそりと見守る神がいる
エアコン
そう、奴の名はエアコン

(※1)女性も沢山います
(※2)マッチョマンもいっぱいいます

ようなゲーム11’6/21-25

夕暮れの空は、溶け出したチョコレートのように甘ったるい色をしている
朝日を浴びたレースのカーテンは、流し素麺の様にキラキラ輝いている
観葉植物が、勢いのあるシャワーを天井に向けた時の様に不安定に揺れている
この観葉植物はたこさんウインナーを逆さにしたような形をしている
今日の夕暮れは、白カッターシャツに醤油がついてすぐ落とそうとして微妙に落ちきらなかった時のような色をしている
ハンガーがベッドと壁に挟まれて、ふとんの海に溺れそうになっている

大した物がないけどこれでも相当頭にストレスが・・・。
俳句とかより頭使う。

保険を買う時に気を付けること

 周りに結婚や出産が増えて参りました。それぞれに扶養する相手ができ、自分にもしものことがあったら。そんな事も考えねばならんわけで。母子家庭なんて金銭面はほんと大変なわけで。お客さん(会社)の従業員さんの結構過酷な話なんかも聞かせてもらいます。行政なんてほんとアテにならない。
 最初新卒で入れば初任給月20万強から着々と上がっていき、5~6年で月30万くらいいっちゃってる人もいるかも。しかし、一度辞めたりすれば、一気に下がって18万とかそれ以下とか。あるいは時給でパート。それで子供まで育てるんだから大変なことです。

 そう言う時に助けになる保険というのはやっぱりありがたい制度です。
 ただ、この保険どーも入りすぎている人がいる。リスクを取るために入ってるのに、リスクが増えている人がいる。真剣に気になっています。一応ここ数ヶ月保険の資格等もとり、研修などにもでかけています。ただし契約までやった実務経験はほとんどありません。
 その代わり全体の支出の中で、収入の中で保険がどういう位置づけなのかというのはたかが数年されど数年。見てきています。ちったー役に立てるかなと。
 知人が読んでいることを期待して、この文章を書きます。
「保険は家の次に大きな買い物です」ってのは保険マンが良く言う言葉ですね。しっかり考えて見ましょう。

 私が保険の役割を分けるなら2つに分けます。
・保障
・資産運用(節税)
この2つは別個にして考えるべきです。

 言いたいことから書くために2つめの「資産運用(節税)」から書いてみます。学資保険や養老保険、外貨建てなんちゃら、なんて言うものが多いでしょうか。積立の保険と言った方がわかりやすのかも知れません。
 資産運用系の保険は「満期時には払い込んだ金額よりも大きな金額が戻ってきます!」とかいう言葉で勧誘されます。今だと外貨建てで利率もいいでっせ!なんて言う言葉が付け加わるでしょう。外貨でリスク分散です!みたいなのも常套句です(私も研修で練習させられましたハイ)。外貨だと年利3~4%の数字を提示されるんじゃないかな。
 これは保険会社に任せてお金を運用すると言うことです。ちなみに、保障がサービスで付いてくるなんてことは当然なく、掛け捨て分の料金がきちんと上乗せされています。計算すると実にぴったり。
 資産運用となると、「銀行預金」「投資信託」「外貨預金」「株式」等色々な選択肢があるわけですが、保険会社に任せることにメリットはあるのか、当然他の商品との比較検討が必要です。商品の比較検討さえ嫌なのなら資産運用なんてやるべきではありません。掛け捨て保険にして、残りを貯金しましょう。

 で、保険会社に運用を任せると利率は他に比べると良かったりします。下手な定期普通預金よりは確実に利率がいいでしょう。その利率の反面、大きな落とし穴が存在しており、それが「中途解約」です。即ち満期前に解約すると大変大きな痛手を被る可能性があるのです。
 銀行の普通預金に100万円を10年満期で預ければ101万円くらいにはなってくる。5年で解約しても100万円は下回らないでしょう。
 しかし、保険会社に100万円預けて10年立てば110万円くらいになってるかもしれない。しかし、5年で解約すると95万円だったり90万円だったり。商品によってはもっと悲惨な金額(70万や60万ってことも!)だったりするわけです。
 なぜ、保険に入ろうとしているのか。それは普通「もしも」の時に備えるためです。十分な貯蓄が無いから保険に入ろうとしているはずです。保険でカバーされる「もしも」は限定されています。例えば死亡保険に勤め先の倒産は勿論含まれない。(上手いこと自殺してくれれば別でしょうが。)保険に入って5年後勤め先が倒産した時、保険会社からお金を引き出そうとすると、資産運用したお金はほぼ確実に元本割れするわけです。高々数%の利息を取るために、大きな損失のリスクを負うわけです。
 そして、実際の事業会社の経営者がこれで随分苦しめられているのです。「10年後に同じ額帰ってきますから」と言われて、何らかの資金が必要になって5年後に解約。多額の損失を被る。保険に入ったために新しくできたリスクです。
 友人の家で高価な壺割ることだってあるかも知れない。

 余談ですが資産運用の保険は、相続税の節税対策としては非常に優れています。
 相続税は「死んだ時」の財産の金額等を元に計算するのですが。
 保険を使えば、100万円預けた瞬間に、貰えるお金が80万円になったりします。その80万円しか解約返戻金が貰えない内に相続が起きれば財産が目減りして少し節税ができたりします。そして10年後相続人が100万円貰えればしめたモノです。
 なおこういう人は途中で解約する必要はまったくないほどの金を持っています。

 「満期時には払い込んだ金額よりも大きな金額が戻ってきます!」こんな言葉を保険屋さんにかけられたら、穴が空くほど解約返戻金を眺めてください。そして頭に地震雷火事親父ありとあらゆるリスクを想定して、中途解約は絶対にないか。他に貯金はあるか。よくよく考えるべきです。自分だけでない、親族に急用の金が必要なこともあるかもしれませんね。
 さらに、保険会社の倒産というリスクも十分あります。普通預金はご存じのように1000万円守られますが。数年前の保険会社が潰れた例では保険金や解約返戻金が1~3割くらいカットされていました。一般的に銀行よりも保険会社の方が潰れやすい、潰しやすいと言われますね。
 掛け捨てなら保険会社の倒産は大したリスクじゃないですが。

次に「保障」についてですが
 一番考えるべき点は、その保険でカバーされる以外のリスクを山ほど負っていることです。保険料払ってその保険事故が起きればいいですが、他の事故が起きれば、その保険料分リスクに対応できなくなるわけです。
 もちろん大きなリスクに備えて保険にはきちんと入るべきです。しかしすなわち自分の身の丈に合った高すぎない保険に入るべきでしょう。まあおもいっきり賭けてギャンブルにいそしむのもいいですが。
 今放射能を畏れて福島市から避難している人は余分な保険料分が貯蓄になっていただけで随分助かったことでしょうね。

 どうしても、「恐怖」を言われると、過剰に対策をしたくなってしまします。しかしそれ自体が気付かぬ内に新たなリスクを呼び起こしていることがあるわけです。ちょいとコンなことを頭の片隅においといてほしいなあと切に願うところです。
 たった2500文字程度の事ですが、この程度の事で苦しんでいる人が結構沢山います。ってかこの仕事始めるまでこんなこと知りませんでした。私の同期は20代後半。これから保険に入るところでしょう。既に入っているかも知れません。しっかり自分のリスクと向き合って欲しいなと思います。
 泣きっ面に蜂。なんて言葉を聞きたくないよ。

矯正歯科20110423(けらけら)

1日に3回記事を上げる時は。。。

前回色々な検査を受けてきて、今回その結果を聞いてきた。
歯の問題の数に応じて1から15まで段階があって、
「オマエはリスクⅩⅡだ」
と宣告。
「うちの歯科で普通扱うのは10まで。12以上は異常なレベル。」
だそうで。私は12(笑)

今日の感じでは
全体で金額150万。(当初の想定80万円)
期間3~4年。(当初の想定1~2年)
抜く歯の本数8本(当初の想定3~4本かな)
入院2泊3日(想定外)
さらに、まだ口腔外科の人と相談しないとなんとも。と言われる。
一部は保険適用の治療になりそうだとか。

 いや、震災後、義援金出したりその他大型の損失があったりで、数十万飛んで行っていまして、矯正自体悩み始めていたところなのですが…。少なくとも完全矯正は断念ほぼ決定。
 しかし、「矯正しなくてもこの親知らずは抜いた方がいい。普通横向くんですけど、下向いてますね(けらけら)」とかいうのがあって。矯正せずともやることはありそうだし、自分の状況は知っておきたい。まあエライことになってまいりました。

 それにしても顎のレントゲンとか結構ショックであった・・・。
先生「全然左右形が違うでしょ?左が特に悪い。左顎、音がなるでしょ?」
私「いや右しかなりませんが・・・」
先生「ははは、音も鳴らないほど悪いということですね」(けらけら)
二人で(けらけら)

さすがに凹むわ!
また文章にしてくれるらしいので、詳細は後日チマチマと。
はぁ。わらっとこ、わらっとこ。ネタにするしか無い!
(けらけら)

声を上げますか、それとも泣き寝入りですか←河野太郎

一日に2回記事が上がると、家で暇していると思って頂いて正解です(笑)

敬愛する、個人献金も入れている河野太郎氏のメルマガ。
(ネット上でも見れます⇒声を上げますか、それとも泣き寝入りですか
東電に対する意見の上げ方という視点で書いてあるけど、
自分としては「政治家に対して意見を上げる最も有効な手段」という意味で大変価値があるなと。

以下、河野太郎「ごまめの歯ぎしり 11年4月23日号」から全文を転載します。

たくさんの方々にメルマガ、ブログを読んでいただき、誠にありがとうございます。

しかし、これで終わってしまっては意味がありません。

東京電力の福島第一原子力発電所が起こした事故の賠償金を国民の電力料金を引き上げてまかなうという、政府の東京電力救済案には反対であるというインターネット上のみなさんの意見を、現実の政治に反映していかなければなりません。

ではどうすればよいのか。

地元の国会議員に皆さんの意見をきちんと伝えてください。

どうやって?

あなたは、あなたの選挙区で選出された国会議員がだれか知っていますか。知らなければ調べましょう。衆議院議員と参議院議員がいるはずです。

誰かわかったら、その議員のホームページで、事務所がどこにあるかを調べてください。場所がわかったら、訪ねていきましょう。遠慮することはありません。そのための事務所です。

今、通常国会が開かれていますから、国会議員は平日は国会にいることが多いので、地元の事務所に行くならば、平日なら月曜日か金曜日が狙い目です。

議員がいなくともかまいません。地元の秘書さんにしっかりと、救済されるべきは被災者であって東電ではない。東電が支払うべき賠償金を全国の国民の電力料金を引き上げて、国民に負担させるのは筋違いであると指摘して、現在報道されている政府の案に、議員がはっきりと反対の声を上げることを求めてください。そして、このことを議員に伝えるだけでなく、この件に関する議員の考えをこちらに伝えてほしいとお願いしてください。

具体的に議員がどう動いてくれるのか、それも教えていただきましょう。

事務所が遠かったりして、訪ねて行きにくいならば、電話をしましょう。電話に出てくれた相手の名前をうかがって、同じことを伝えましょう。電話ならば、一週間後にかけ直すので、それまでに議員の考えを聞いておいてくださいとお願いしましょう。

メールやFAXもありますが、やはり、訪問したり電話をしたりしたほうが、皆さんの考えをしっかりと伝えることができます。

よく、署名活動はどうでしょうかと聞かれます。集めた署名をどうするのでしょうか。

国会への請願という手段もありますが、個々の議員には請願は伝わりません。しかもたいていの場合、委員会で保留ということにされて、文字通りお蔵入りです。努力の割に効果がありません。

デモはどうでしょうか。こういう活動をこれから始めるぞという勢いづけにはいいかもしれません。もし百万人が集まって、東電を救済するな、被災者を助けろとデモができれば、意味があると思います。

五十万人ならば? たぶん。十万人ならば? たぶん。どこでやるのが効果的か考えましょう。

しかし、やっぱり効果的なのは、国会議員それぞれに、大勢の皆さんがきちんとそれぞれのおもいを伝えることです。

リビアと違って、政府軍が銃撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかに連れて行かれて行方不明になることもありません。

声を上げますか、それとも泣き寝入りですか。

借金か節約か

 ちらっと「一円玉の旅がらす」という文字を見かけて、久しぶりに聞いて感動しておりました。小学校から帰る道すがら歌っていた記憶がほんのりあります。みんなの歌の中で一番歌ったかも知れない。
 当時知る由もなかったですが、1989年に消費税が導入されて1円玉の流通も増加。そして、その翌年この曲が流行ったようで。面白いもんだ。

一円玉の旅がらす
ひとりぼっちで どこへゆく
一円玉の旅がらす
あすは湯の町 港町
一円だって一円だって
恋もしたけりゃ夢もある
ああ 出世街道どこへゆく

作詞:荒木とよひさ
作曲:弦哲也

 あの頃は、商売人の息子という自覚があって「一円こそ大事にしないといけないんだ!(小学生)」と思っていたような気がする。可愛いぞ俺。今でも思っている。ウザがられているぞ俺!
——
 今回の復興で20兆円かかるとかなんとか。
(20,000,000,000,000 ← 数字だけみてもなんかすごい)
 いきなり脱線するけど、某弁護士さんは事務所に一千万円の束を置いてるらしい。
 お客さんと金の話をする時に出す。するとお客さんと実感のある金の話ができるんだと。
(ちなみに、上三枚だけが本物だそうで)
 こういうの実感って大事やわ。

 元に戻す。こーいう財源の話になったりすると
・増税すると景気が悪くなる!まずは借金してでも景気を良すれば税収が上がるじゃん!
・減税すると税収が減る!国の債務(金利・物価)が大変なことになる!

 こーいう議論が絶対に起こるわけで。この議論について、自分なりに理解しようとしてみるんですが、正直よくわからん。多分言ってる学者達も確信を持っているわけではない。そこで、自分なりに両者の言い分を理解してみたいと思うわけです。

とある一つの自営業の家庭
旦那「アコムで金借りて取引先と飲みに行ってくるわ。」
奥さん「やめてよ、今でも赤字でかつ借金多いのに、返せなくなったらどうするのよ!」
旦那「こういう日頃のおつきあいが仕事を持ってくるんだ!」
国債を増やす、という議論をこういう例えはできると思うわけです。
皆さんならどうします?
そもそもこの経営者は赤字です。
「借金すべきでない」と言う人が多くなる気がします。

ちょっと例を変えるとこうなります。
こんどはとある一つの部活
部員「アコムで金借りてバット買って下さいよ」
部長「アホかそんなん無理に決まっとるやろ。落ちてる鉄パイプで我慢しろ」
部員「なら別の部活に行きます。」
この例だとどうか。金借りないと廃部になりかねない。
廃部が絶対に嫌だとしたら、アコムかどうかはとにかく
「金を借りるのもしょうがないんじゃない?」
と言う人も結構でてくるかなと。

 何が言いたいかというと、節約というのは共同体のコミュニティーの強さによって可能な範囲が変わってしまう。家庭であれば「節約しよう」は通る。でも部活だとひょっとすると「別の部活に行きます」と言われてしまう。あるいは、部活の絆が強ければ、節約できるかもしれない。
 家庭でも部活でも構成員がいなくなるならそれは終わり。
 日本国は借金が膨大に今ある。でも日本国が大事なら、
「節約しましょう。」
やっぱり本来はこれが一番正しいのだと私は思う。借金多い時に、新たに借金して博打打つ事が間違っているというのは、ほぼみんなの共通認識だと思うわけで。

 こそこそせずに「この国で暮らしたい。この国で税金納めたい。」っつー国にせないかんわな。やっぱりソコが先進国の強みだろう。
 破綻してからじゃあ遅いわな。

平山郁夫シルクロード美術館

平山郁夫
1930年6月15日広島に誕生。
1945年8月6日原爆で被災。
1959年原爆後遺症(白血球減少)
このあたりの自身の経験が、かの玄奘三蔵(三蔵法師)に重なるところが多いことに気づき、玄奘三蔵を調べるほどにどっぷりはまっていく。というのが平山氏の基軸のようだ。
 アジアのシルクロードをめぐり、それぞれの場所でスケッチをし、絵に収めていく。調べてみると50年で60回近くシルクロードの旅に出ている。
 それぞれ、地で現地の女性の絵を描いたり、ただの岩の風景があったり、とにかく片っ端から描いていったんじゃないか平山氏。愛を感じるのは、タリバンに破壊されたアフガニスタンの遺跡を1年以内にスケッチに行っていたりすること。この時代は自分の記憶にも新しく、妙に生々しかった。同じ時代に生きている画家の作品というのはまた全く意味が変わってみるものかもしれない。
 ピースをしていた石造(?)のスケッチが何だったのかは謎である。

 ところで平山氏はWikipediaを見ると、どうも外国で評価をされていないようだ。平山氏の絵はすごくわかりやすく、見たものを見たまま描いているように思う。美術館で思わず目に留まったのは旅先で書き溜めたスケッチブックの展示。これを見て漏れでた感想は「見た風景を絵に落とせると、さぞよいだろうなあ」。
 写真で撮ったものよりも、絵で書いた方が、見たものの再現性に優れている。もちろん絵の技術を前提として(優れた写真屋を否定するわけじゃないけど、やっぱり絵が優れていると思う)。
 絵を色々見ているわけでもなく、教育を受けたわけでもないのに、勝手に語るけど、モネの絵を見たときモネの主張というか感情がドサドサ入ってくるようで辛かった経験がある。でも、平山氏のものは「あーこうやって見えるんだろうなあ」と思わせる絵だった。外国では意見が感じられないと絵にも意味がないのだろうか。
 たまたま美術館内の書籍で見つけたのだけど、「広島生変図/1979年/広島県立美術館」という絵があって(広島にあるらしい)、この絵の中には不動明王が描かれている。原爆から30年以上。やっとその時に見たものを描けるようになったのかなと。これは現物を見に行きたい。

 この美術館に訪れた日、盆地一面を覆う桃の花を見た。この桃が美しいのは生活の中で咲いている桃だからだ。人の営みは美しい。
 桜が舞い散る恵林寺にも行った。鳥がばさばさ音を立て、庭の水が流れる音が響く。池は桜の花びらで覆いつくされ、波紋が美しい。その脇では鴨が1歳児のごとく飯にがっついている。訪れたわれわれも一歳児の視点で寺を眺めた。
 いくつかカメラに残しては見たけど、この風景は平山氏を呼んで描いてもらうしかない。でも、富士が絶えずこっちを見ている気配まではさすがに平山先生でも描けないかな。

 同じたびでよっぱらったおっちゃんの日本悲観論を聞いたり。うめー弁当食ったり。小学校の廃校で少々遊んだ。日本書紀の話も聞かせてもらった。まー色んなことを考え、色んな話をした。
 ふと思うのは、画家という職業はその一面を切り取る仕事。逆に言えば、絵を見てもやっぱり一面しか伝わらない。そう思うと辛い職業だなあ。それに、人間はそんだけすごい量の処理をしているんだということでもあるわけで。あー途方もない一日をすごしているんだなあ。
 この文章を書き終え、この旅の始まりから丁度24時間くらいになる。

 以上。言葉が1/3でも伝わっていてくれていれば嬉しいわけでして。そしてこれからも、少しずつ言葉を吐き出すので、少しだけでも受け入れてもらえるならこれに越した幸せはございません。また、是非貴君の意見を聞かせていただきたいと思っておるところです。今後ともよろしくおねげえいたします。

さてさて愛知に帰ります。
山梨のマンガ喫茶にて旅の余韻にふけりながら
自己陶酔型の恥ずかしい文章を書くの巻
4/17 AM6:00

自粛から考えることウダウダ

※追記:いつまでも自粛していればいいなんて勿論思っておりませんし、「自粛は良いことだから、もっと自粛しようぜ!」とか言うことが言いたいわけではなく、自粛したい人はすればいいしそれは周りも尊重できればいいなあと。自粛すべきでないと思う人は、もちろんそれでいいのだ。と言うことが言いたいだけであります。

 自分の座っているところはゆれていないのに、余震の情報などを見ると、必要もなく申し訳ない気持ちになります。神も仏もないのか。いるのはトイレの神様だけか!?

日本国憲法
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 自粛騒動で思うことがちらほらあるので、思うままに書き殴ってみる。バシバシ

東京都>知事の部屋>東北地方太平洋沖地震・東京都知事発言
(前略)
 なお、上野公園で、花見・宴会を規制しています。花を愛する日本人、桜が好きな日本人が、花見をしたいというのは分かるけれども、私は少なくとも夜間、明かりをつけての花見などというのは自粛すべきだと思っております。

 マスコミの報じ方は例のごとくよく知りませんが、Twitterでは随分石原さんは叩かれていました。でも、原文を読めば大した事言ってない事がよくわかります。天罰発言も前後を聞けばそんな怒るようなことでもないと個人的には思っていたりします。
 ところで、それ以前から「自粛すべきだ」という意見と、「自粛すると経済が縮む!自粛反対!」みたいな意見の対立をTwitterなどでちらほら見かけました。
 少し根深い問題なあと思って眺めていました。「自粛したい」というのは感情。「自粛すると経済が縮む!」というのは理性。感情と理性で議論しても結論は出ませんね。それでも、お互いがお互いを説得しようとしている。外から見ればもどかしいもんです。

 ところで「自粛したい」という感情はどっから来るのか。そんなことをうだうだ考えていました。
 自己防衛や目立つのを避けるためだとか、なんやかんや考えてみましたが、「相手に感情を合わせる」と言うところが一番しっくり来るように思います。
 相手が笑っていれば一緒に笑う(実際笑っている人を見ると、顔の筋肉が勝手に笑う体制に入るそうですな)。誰かが悲しんでいれば一緒に悲しむ。普段、人間はこんなふうに他人と心を近づけようとする。コミュニティを強固にしようとする。
 その延長線上に「自粛」はあるのかなと考えたわけです。
 今恋人が避難所にいる人がいて、そのカップルが再開を果たした時に、
「キミが避難所にいる間、僕も悲しかったよ」と、
「キミが避難所にいる間、僕は普通に生活していたよ」というのでは、
前者の方が二人の愛は深まるような気がするわけです。
 何が言いたいかって、「自粛したい」と言う気持ちは、被災した人たちと心を一つにしようと言う大変尊い気持ちだと思うわけです。それを、経済がなんだとか言う理由で説得しようと言う考えは悲しい。
 どうしても感情面は、数値化したり効果として実感しにくいので、ないがしろにされがちですが、「なぜ人は自粛をするのか」と言うところを、考えてみてもいいのかなと思うわけです。

 次に「自粛すると経済が縮む!」という意見について。
 これも正しい意見だと思います。実際に金が使われなければ金が回らなくなって、雇用が失われたり、税収が減ったりして、国全体が疲弊し、もちろん復興に影を落とすことにもなろうと思います。税理士とかいう仕事をしていると、この言葉の大事さは極めてよく分かります。
 飲食店で100円使えば、20円が飲食店店主、20円が従業員、20円が仕入先、20円が農家、20円が税金として国に行く。と、色んな所にお金が流れていくわけです。そしてそれぞれがお金を使うことで又回っていく。

 まあでも、ちらっと違うことも考えたりしていて、経済を良くする目的は「金を回すこと」で「消費すること」は金を回す手段の一つに過ぎないとも言えるわけです。金を回すためにはそのまま現ナマを差し出してもいいわけです。
 さっきの例で行くなら20円を飲食店店主へ寄附、20円を飲食店従業員へ寄附、20円が飲食店の仕入先へ寄附、あとの40円でスーパーで食材を買ってご飯を食べる。、現物を渡したって同じなわけです。むしろそっちの方がもらった側は嬉しいし、経済にはよりよいわけです。飲食店の店主と従業員は 働かずして金が貰えるんだからその時間で子どもを育てる時間に回したりできるわけだ。
 もしこれを実現可能なレベルに落とせば、多少静かに生活して、普段遊ぶ部分は被災者に回せば。自粛と経済を回すという行為が同時にできる。そーいう手段もあるかな。と思わなくもない。

 ところで、元々私の場合「消費をする=良きこと」という等式をどうにか壊したいと言う考えが常に根底にあるわけで。。。
 ちょいと話はずれますが、今回「消費すること」の弊害が、原子力発電というシステムを通して思いっきり顕在化してしまったと大げさに思っていたりします。
 例えば、数ヶ月毎に新しい機種が発売される携帯電話。これは「消費させるため」以外の何者でありましょう。この携帯電話のために工場が動き、電力を食う、そしてその電力を賄うためにリスクのある原子力発電所が建てられる。「経済が回る」と言う点を外せば携帯の新機種なんて今の100分の1くらいの数で十分なはず。
 これもさっきの飲食店の例と同じで、もし新しい機種が発売されず、購入するはずだった人から、その携帯電話相当額が、消費されたかのように、携帯電話会社の役員から原発労働者までに配分されれば、電気も原材料もいらず経済が回るわけです。そしてお父さんは早く家に帰って子どもの世話と過ごす時間もできると。

 そもそも日本で「消費すること」を望んでいる人は減ってしまったように思います。少なくとも私の周りは「普通の生活ができればいい」と言う人も多いわけで。経済を回す必要はある。しかし「消費」という手段ではどっかにしわ寄せが来る。どーにか別の手段を見いださないといけない時期に来ているように思います。「しょうがないから原発」こんな言葉を聞く度、腹立たしい感情でいっぱいになります。

 自粛しても回る経済。必要ない物を作らなくてもよい経済。そんなのはくだらない実現不可能な理想なのでしょうかね。

被災地に行った看護師のレポート

 うちの職場の近くでは早くも桜が咲いています。写真撮ってくればよかったな。

 被災地に行った看護師さんのレポートを見つけました
⇒ JKTS
 こっから下はぐだぐだつまらない事。お時間あれば上記リンク先を。
» Read more…