俺の彼女/宇多田ヒカル

 Fantomeで一番好きな曲かも。
 宇多田ヒカルは、今日(1/19)誕生日だ。

 一人でデュエットをしている。
 女性パートとと男性パート声色を変えて、男女を表現している。
 男性は、俺の彼女はそこそこ美人で愛想がよく、仲間に評判がよく、話を蒸し返さなくていい女だと。
 女性は、あなたの隣にいるのは私だけれど私じゃないと。いつまで狐と狸の化かし合いをするの。と。
ここでフランス語が入る

Je veux inviter quelqu’un a entrer
Quelqu’un a trouver ma verite
Je veux inviter quelqu’un a toucher
L’eternite, l’eternite

google先生に言わせると

私は誰かを招待したい
誰かが私の真実を見つける
私は誰かを触れるように招待したい
永遠、永遠

浮気でもしようかなと。

 そしたら男が、ちらと「俺には夢が無い 望みは現状維持 いつしかは飽きるだろう つまらない俺に」ときたもんんだ。いつしかってのもいいね。
 そこから曲調が派手になってクライマックスを迎える。
 そして最後のフランス語にこんな一言が追加で付く

Je t’invite

google先生に言わせると

私はあなたを招待する

彼女は「俺」をカラダよりずっと奥に招き触らせることを決意するのだ。

 最後に、冒頭の、「俺の彼女はそこそこ美人 愛想もいい」で終わる。
 対外的には変わらないのだろう。
 しかし彼らはきっとうまくいったに違いない。と私はそうおもふ。
 この曲好き。

—–
 ひかる
 光は真っ直ぐしか進めず、それでも暗い場所を照らしてくれる。
 楽な生き方ではないかもしれないけど。後悔しない生き方。
 面白いぞ人生は。

『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』Kai Bird and Martin J. Sherwin

 原爆の父と呼ばれたオッペンハイマー、優秀でリーダーシップに優れた物理学者として原爆開発をひっぱっていくと同時に、共産主義者としてFBIに張り付かれて、うわさも含めて膨大な資料が残っているそうな。それの資料を基に、カイバードさんと、マーティン・シャーウィンさんが、オッペンハイマー(オッピー)であり、その原爆をめぐる議論をまとめた本。
 2006年ピュリッツァー賞受賞作品だとか。
 
 TwitterやFBとかで散々メモったものをまとめ。
 いくつか面白かったところがあって、まずもって、純粋に原爆が作られるところから落とされるまでの、科学者を中心とした議論が丁寧に描かれて、かなり驚かされた。
 1939年1月29日ドイツの科学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンがウランに中性子をぶつけることで分裂を成功させた(上P284)。これをニュースで知った日には、もう科学者たちは爆弾が思いついていたそうだ・・・。ちょうどWWⅡが始まるちょっと前である。
 オッピーたちとしては「なんてことだ、そんな武器を造ったらどんな結末になるのだ、世界中が吹き飛んでしまうぞ、と考えたのだ。われわれの何人かは、この疑問をオッペンハイマーに持ち込んだ。彼の答えは基本的に『ナチがらこれを最初に手に入れたら?』というものだった」(上P318)。が、結果的に気付いたころにはヒットラーは自害し、ナチは終わっていて、日本に落とされることになるのだが・・・。
 そんな議論の中、ボーアがかなりいい味を出してくる。
 1943年12月オッペンハイマーが原爆を開発しているロスアラモスにボーアが登場。これまで、いかにナチスドイツよりも早く作るか、だけが問題だったところ、ボーアの「それは十分に大きいかね?」という一言が「爆弾が戦後に及ぼす影響」という重要な問題に目を向けさせる。もちろんボーアはこれを伝えるために来たのだ(上P442)。ボーアまじすごひ。ここから議論はほとんどボーアの独壇場。
 ちなみにこのあたり、口外しちゃいけないと言われたことを、到着して5分で全部しゃべっちゃってる感じ可愛い(萌)。
 (上P447)このページに書いてあることはほぼかっこいいが、一部だけ
「戦後世界において各国は、潜在的な敵国が核兵器を持っていないことを確信する必要がある。これは、国際的な査察官がどんな軍事施設、産業コンビナートでも完全な立ち入りを認められ、新しい科学的発見に関する情報に完全なアクセスが認められる「開かれた世界」のみで可能である。」これを、戦争が終わる前にやらなければ。そして、いち早くソ連にマンハッタン計画を伝えるのだと。
 仮にこんなことが可能だったら、どうなっていたんだろう。もしは無理だし、スターリン相手でそんなことができるわけがないというのが、現代の色々な人の意見だとか。

 そして、上巻が終わりで、日本に原爆を落とす経緯を、下巻の初めで原爆が落とされる。このあたりは、別の本を参照すべきだろうけど。
 アメリカは対日本との戦争という意味では、日本に原爆を落とす必要はなかった(上P488)
・国防次官マックロイをはじめ、米国政府のトップグループは「おおむねワシントンの条件に沿って戦争を終結させよようと」日本がしていることを、傍受していた。
・トルーマンの首席補佐官ウィリアム・レーヒーは「降伏しなければ、恐らく破壊的な新兵器を使わざるを得ないだろう」と警告をすれば、おそらく戦争の終結をもたらすと予想していた。
・トルーマンはスターリンから、8月15日までに、対日宣戦布告をするという約束を引き出していた。どちらにしろ、日本は敗北していただろう。
 結局、なぜアメリカが日本に落としたのか。この本では明らかにはされていない。
 
 そして、原爆後、オッピーは、原爆の開発で大きな名声を手に入れ、発言力も大きくなる。その一方で、大きな罪の意識に襲われることになる。
 「もう一度大きな戦争が起こったら、原子爆弾が使われることを、すべてのアメリカ人が知っている」「われわれがこの理由を知っているのな、先年の戦争において、われわれが世界で最も開けていると信じたい二つの国、つまり英国と米国が、基本的に敗北している敵に対して原爆を使用したからである」(下P80)
 人が愚かであることが前提であれば、やはり巨大すぎる武器があるというのは恐怖以外のなにものでもないですな。
 オッピーはボーアの考えを踏襲し、核の力は国際管理すべきと発言していく。その一方でそれを嫌がる米国政府の一部や、FBI等(主にルイス・ストロース)にアカ狩りの標的とされていく・・・。
 オッピーは完全に社会的に抹殺され、その一方で、「50年でアメリカは5兆5000億ドルの予算を使い、7万個の核兵器を作った」(下P201)
 このストロースがオッピーらを止め、核の拡散を勧めてしまったが、この人後にやりすぎで信頼を失ってしまう。こんな人が世界の重要なかじ取りに影響を大きく与えるというのは、切ない気持ち。
 
 さてさて、この本の醍醐味は、オッピーが原爆後に元銀行家のルイス・ストロースにじわじわと追い詰められていくところである。
 オッピーは依然共産主義に傾倒していた時期があり、そのころの経歴からアカ狩りをされることになる。その関係で、かなり共産主義の考え方とかが出てくるので、右翼左翼のなんとなくのイメージができてきてそこは面白かった。
 例えば「開かれた社会、知識への制約のない接近、人間の進化のための非計画的、非拘束的交流、これらこそが広範で、複雑で、無限に成長し、無限に変化し、無限き専門化する優れた技術の世界、さらにはなお人間的コミュニティの世界をつくりあげる可能性を秘めています」(下P258)。こういう考えが俗にいう左翼なのかなと思いながら読んでいた。
 自分の思う左翼のイメージとずいぶん違うなと。
 
 あとは、その他ちょろっと
 考えていたのは、個人的にはオッピーのような天才でさえ、手前の事実に翻弄され、判断を誤ったり、先走ったりするんだなと。もちろん、正義感があればこそなのだけど。
 そして、事実だからこそ、正直者が救われると言い切れないし、オッピー自体も必ずしも善人でないところも、恐ろしくリアルで怖い。
 
(上P74)
 オッピーの大学時代はチョコレートとビールとアーティチョークだけのことも多かったとか。これは新海監督の「言の葉の庭」を思い出さずにはいられない。
(上P127)
 1927なので23歳くらいか、この時の恋敵ハウダーマンスが、オッピーと同じく文学にも詳しく、将来ドイツでの原爆開発をすることになるのだと。
(上P140)
 オッピーからの、異性が気になって勉強が手につかない弟(フランク)への手紙が中々よひ
「一緒にいるために、君の時間を消費させようとするのは、若い女性の職業みたいなもので、それを払いのけるのが君の職業だ」
デートというものは「浪費する時間のある人にとってのみ重要である。君や僕には重要ではない」
なおこれらは
「ぼく自身のエロチックな骨折りの成果であり、結果であるから」と(笑)
(上P173)これも明言やわ
「人は女性を心地よくさせることを目指すことはできない。それはちょうど、好みや、表現の美しさや、幸福を目指すことができないのと同じである。というのは、これらのことは、人が習得して達成できる特定の目的ではないからだ。これらは、その人の生活がまあまあ妥当であるか否かを説明したものである。幸せになろうとすることは、静かに動くという仕様しか持たない機械を作るようなものだ」
 
 こんなもんで。

EUの難民問題なう

 2015/9/23にググってみた内容

 難民問題ってのは、その国の考え方とかを嫌というほど見せ付けられる気がしますね。
 日本での難民認定数は2014年で11人。世界が数千人数万人で話をしているなか、かすみたいな数字ですが、これも、日本国民の他国の人へのセマーイ器量が反映されている気がする。私たちの国は、やっとの思いで岸までたどり着いた難民の方を蹴り飛ばしているわけですから。
 ちなみに、申請数が少ないとかそんなこともなく、2014年は5000人くらいの申請があったとか。受け入れ割合もドイツは40%オーバーとかなところ、日本はえーっと0.2%かな?(※2←これ見やすくていい資料満載)

 一方、ドイツって、なんとなく日本と似たような国と考えてしまっていたけど。
 ずいぶん難民に対しては正反対の考え方を持っているようですな。その理由は、一つには「誇れる国になりたい」もう一つは「移民を入れて国を維持しよう」。だと記事には書いてありました。世論の後押しがしっかりあるのが、ドイツすごい。

 自衛隊出して国際貢献するよりは、こーいう国際貢献にかね出して力使ったほうが幾分かましで。いやらしい話、いくぶんか見返りも大きい気がしますね。
 そりゃあ北朝鮮になんやかんやあって、一杯きたらまたじっくり考えないといけないのだろうけども。

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『セッション』監督:Damien Chazelle

 つい先日「はじまりのうた」を見てきて、そこでこの作品の予告編を見て、あーみたいな―と思って見に参りました。
 デミアン・チャゼルという聞いたことのないような監督の「セッション」とう作品。
 予備知識なしにぜひ見に行ってほしいと思う、あの緊張感は映画館でしょ。エンディングは鳥肌たったよー。ちょっとした予想は簡単に裏切るいいラストです。こと、ドラムの音を楽しむ映画でもあるので、やはり映画館がベストと思う。精神的には疲れるけど、スッキリ映画館は出られると思うですはい。
 見に行く人は以下読まずいってらっしゃい。
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『Letters』宇多田ヒカル

11枚目シングル 「SAKURAドロップス/Letters」(2002/5/9)2曲目
3枚目アルバム「DEEP RIVER」(2002/6/19)5曲目
「宇多田ヒカルのうた 13組の音楽家による13の解釈について」で椎名林檎がカバー。
 たぶんかなり人気のある曲。

置き手紙 ~Letters~/銀花帳
↑こちらなんかは、過去の発言なんかからLettersのことを書いていて、より参考になる(なんのだ)。

 letter は名詞で
・手紙、書状
・文字、字、活字、字体
・文学、知識、学識、学問
 (a man of letters で作家とか文学者の意味らしい)
という意味だとか。

 たくさんの置手紙かなと思うけど。一通の手紙に書いてある複数の文字、を意味していると思うと、なんか手紙への愛おしさが半端ねえ感じになりますな。

 はじまりはアコギで

 暖かい砂の上を歩き出すよ…

 さみしい曲だけど、マラカス的なシャカシャカ音に、ポコポコ南国風の太鼓音が鳴っていて。
 ここに、暖かい砂の上を歩くという始めの一節で、なんか生活のゆとりは非常に感じる。
 林檎先生のバージョンでは、ピアノ中心に低めの音でしっとりしているけど、やはりマラカスは欠かさずに。
 宇多田バージョンが朝の浜辺なら、林檎バージョンは夜の浜辺だろう。

 手紙って好きだし、手紙を主題とした曲も好き。
 手紙が内包する、片思いとか、物理的な距離と心理的な距離の差とか、そーいうのが面白いんだろうね。
 最初に好きになった小説「錦繍」(宮本輝)も、手紙のやりとりだけだったな。
 でも、この曲は置手紙。家族か恋人くらいしか、置手紙なんてないだろう。とても近しい人とのやり取りなんだろう。

 南国で、置手紙を見て、寂しさを歌う。
 もうこれだけで、この曲は完璧だと思うワナ。

 驚くほど「ああ」「あー」言う(笑)歌詞カード的には18回。
 「ああ 両手に空を 胸に嵐を」言ってる人は完全に演劇だ。

 宇多田には名曲「BLUE」という曲があり、悲しみを歌いながら、
 ふと我に返って「ブルーになってみただけ」と歌うけど。
 Lettersの主人公氏も、悲劇のヒロインぶってみているのだろうという気がする。

今日選んだアミダくじの線が
どこに続くかは分からない
怠け者な私が毎日働く理由

 

 このフレーズがめちゃんこ好き。

 驚くほど現実を生きようという気持ちが入るところが
 こーいう(あえて)女々しい曲でも、
 カッコよさを感じたり、甘えきってない強さによって、
 安心して共感できる。

 歌詞の
 一番では「海辺」に置手紙
 海辺に置手紙というのはさすがに比喩だろうね。外国、異世界、へと、仕事とかかな。
いってくるという置手紙だろうか。
 二番では「窓辺」に置手紙
 悲しい知らせの届かない海辺から。悲しい知らせの届く家に入っちゃったかな。
 家と外との境目はなんだろう。家から出ていく。これは、それこそ離婚とか死を連想させるね。
「必ず還るよ」じゃなくてよかった(ヲイ)

Tell me that you’ll never ever leave me
Then you go ahead and leave me
What the hell is going on
Tell me that you really really love me
Then you go ahead and leave me
How the hell do I go on…

 最後の英語フレーズ。
 英語は本音をストレートに書いてしまうんだろうなー。
 これはどう訳すんだろう。以下は気分訳。

Tell me that you’ll never ever leave me
決して私を置いていかないといって…

Then you go ahead and leave me
しかし、あなたは行ってしまう。私を置いて
(then をしかしでいいのか?)

What the hell is going on
もうどうなったていいさ。

Tell me that you really really love me
私のことを本当に本当に愛しているといって…

Then you go ahead and leave me
しかし、あなたは行ってしまう。私を置いて

How the hell do I go on..
どうやっていけばいいのさ

 最後のフレーズを言い終わるかどうかで、この曲はフェードアウトしていく。
 相手はそこにいないのだから、この叫びは届かない。いや、届かないからこそ叫べるのだろうけど。

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『6才のボクが、大人になるまで。』監督:Richard Linklater

 ビフォア・ミッドナイト等、会話だけなのに面白、ビフォアシリーズ監督、リチャードリンクレーターさんの映画『6才のボクが、大人になるまで。』見てまいりました。

 まずもって、この映画のもっとも肝であるのは撮り方。シネマトゥデイによれば

『ビフォア』シリーズなどのリチャード・リンクレイター監督がメガホンを取り、6歳の少年とその家族の12年にわたる軌跡をつづった人間ドラマ。主人公を演じた新星エラー・コルトレーンをはじめ、主要人物4人を同じ俳優が12年間演じ、それぞれの変遷の歴史を映し出す。主人公の母をパトリシア・アークエット、母と離婚しアラスカに行ってしまった父をイーサン・ホークが熱演。お互いに変化や成長を遂げた家族の喜怒哀楽を刻み付けた壮大な歴史に息をのむ。

20150208boyhood-poster 1年に数日撮影して、それを12年間続け、それを一本の映画にしたとのことで。映画の時間は2時間45分。単純計算で15分弱で一年間が進んでいく。
 6歳だった少年、お姉ちゃんがズンズン成長していく。髪型も体格も声色も激しい勢いで変わっていくので、見ていて同一人物が判別できないほど。
 一番に思う感想は「違和感がなさすぎる映画」という感じ。普通に近所の仲のいい友達の成長を短時間で見ているような。当然その時代に、その時代を撮影しているので、小道具もその時代をよく反映している。時代ごとのゲーム機や、初期アップルとマックブックや、ブッシJrとオバマなど等。
 そして、リンクレーターさんの、得意である、なんとなく面白い会話が相変わらず繰り広げられる。あー知り合いのオッチャンにこんなん言われたなあとか、あーこういう理不尽なこと言われて育ったなあとか。親の喧嘩こんな風に見てたなあとか。結構色々自分の子供時代を感じられる。で、その積み重ねで、いまこんな大人になったんやなあと。自分と重ねざるを得ない感じ。

 最後は、目の前で12年成長するのだから、映画の少年たちがまるで身内のような気分になってくる(笑)18歳になった時には、よくここまで成長したなあと感慨深い気持ちに。

 と、ここまで書いて、一緒に見た友達に言われた衝撃の一言「日本には北の国からがあるよね」と。
 北の国からはWikipediaによれば1981年に始まり、最後は2002年だったとか。21年の超大作ではないか。日本はさらに一歩上を行っていたか(笑)

Dove Real Beauty Sketches

 これはウルっときてしまった。FBIの捜査官の人が、似顔絵を描くのだけど、一枚は、描かれる本人の証言による似顔絵、もう一枚は、他人がその人を見た証言をもとに描いた似顔絵。
 同じ顔のはずなのに、出来上がる似顔絵は印象が全然違う。いや、確かに似てはいるのだけど。ぜひたった3分なので一回見てもらえると。

 ネタ元は、NHKのSWITCHで「広告はダサい\ウソだから」。と。
 まーでも商品やサービスと一緒に、人が抱える矛盾や葛藤を理解するきっかけになるとそれはそれで面白いね。いやちょっと重いかな(笑)
 

SF『アド・バード』椎名誠

 みんな大好き?椎名誠。
 ウィキさんからあらすじをいただくとこんな感じ。

二十一市に住む青年、安東マサルとその弟菊丸は、行方不明となった父が生きていることを知り、マザーK市への旅へ出る。世界はターターとオットマンの両陣営による改造生物を使った広告戦争の結果、荒廃しており、市外を一歩出たところには、何もかも分解して土に変えてしまう科学合成虫ヒゾムシ、鉄を食いつくすワナナキ、触手を持った動く絨毯のような赤舌、そして鳥文字を作ったり人語を話す広告用の鳥アド・バードといった、珍妙不可思議な生物たちがうごめく危険な時代だった。道中で出会ったキンジョーという名の生体アンドロイド(ズルー)と共に、兄弟はマザーK市へ向かう。
Wikipedia

 文末の解説によると1987年くらいから始まった連載のようで。
 ファミコンができたのが1983年。ちなみにディズニーが日本にできたのも1983年。なんとなく、こんな本の想像が生まれてきたという時代にも納得できるような。

 マザーK市は、気持ちの悪い広告や不出来なロボットに支配されていて、ホテルに泊まると、蛇口をひねっても、寝ても覚めても、そこらじゅうで宣伝広告。お金を払えば消えるには消えるが・・・。現代のネットはそんな感じだけど、どうか現実には来ないでほしい。
 外に出れば、虫が編隊を組んで文字を表し広告になったり、鳥が肩に止まって広告ワードを連呼したり、サルがシンバル叩きながら行進したり。でもって、その広告のための生物改造が行き過ぎて・・・。まーこれも、人の集まる都会では、そんな感じになってるっちゃなってるか。
 で、ひとしきり社会情勢を見学すると、急に物語が生き物の思考の中に寄り道したりもする。蚊喰いという生き物の思考に入って、宣伝用に動かすための電波に操られる様なんかを、書いてしまうのが面白く、なんというかお茶目なところ。

 基本、この物語はめちゃめちゃ怖い(SF自体が怖いものかもしれないけど)。完全な人間は序盤を除けば、基本マサルと菊丸だけで、他にコミュニケーションをとる相手は、ロボットやロボット化されてしまった人間ばかり。脳髄だけ取り出してロボットになっていたり・・・。それでも、マサルは少なくとも孤独を感じるような描写は少なく。それなりにロボットとの生活も楽しんでいるように見える。んー何って人間が自分しかいなくても、ロボット相手でも、満足してしまう可能性を提示されていること自体が怖い。そーいや、OSに恋するなんて映画も最近あった。そんなの、自分の脳みそ信じられなくなっちまう。

 椎名誠が想像を始めてから少なくとも30年から40年はたったわけだけど。この本ほど広告戦争は激しく進んではいないようで少し安心。そしてこれからも、それほど広告戦争は進まない感じもする。
 この本には広告に対する恐怖が描かれていて、30年前同様に、いま生きる私も広告派手になると嫌だなーと思っていて。思ったより世の中は良心を多少は保ちながら進んでいるかも。とも思ったのでした。いや違うか、こんな表だって広告していないだけで、裏から裏からこっそり洗脳されているのかも。現代は誠ちゃんが想像していたよりも、もっと怖い世界かもね。

劇団四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』

 仕事帰りにちょろっと見てきました劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター」。

20141110jesuschrist ジーザス、不気味です、何が起きるんでしょう?
 ジーザス、教えてください、一体何がおきるのか。ジーザス教えてください、一体何が起きるのか。・・・

 ジーザス、あんたはなんでもできるんでしょう?
 ジーザス、私は盲目です。私は血だらけです。私は足が不自由です。・・・ジーザス、私は盲目です。私は血だらけです。私は足が不自由です。・・・

 なんつーか。神道でもそうだけど、お願いばかりでたいへんやなあと神様を思うことがあるけど。それが演劇で体現されてしまったw という。生の人間だからこその、ドロドロした欲望の感じが妙にリアルで気持ち悪くて最高でした(笑)
 あとは、この⇒の貼り付けシーンはよかった。

 多分ヘロデ王の拷問やら、女を侍らしての歌が最高潮だろう。あれも面白いw
 ピラトちゃんの、苦悩もなんつーかしっかり心まで響いてまいったし。

 面白かったなー。

映画『精神科医ヘンリーカーターの憂鬱』/Jonas Pate

 話は複雑で料理しながら見ていると、なにがなんやらになったので二回。
・自殺した人の親族の感情
・薬物依存
・成功者(ハリウッドスターとか)の憂鬱
とかかな。
 ベースは親族の死から逃げる、少女と精神科医の更正ストーリーと言ってしまえばいいのかな。

 主人公のヘンリーカーター(Kevin Spacey)が精神科医で、登場する患者が一人ではなく、
・おかんが死んでしまい非行少女になったジェマ(Keke Palmer)
・潔癖症天才社長パトリック(Dallas Roberts)
・セックス依存症と言い張るアルコール依存症ジャック(Robin Williams)
・(ちょい役の)ナルシストスターと、その嫁さんのケイト(Saffron Burrows)
と一杯来て、さらにここに来ない人、人気が出てきたけどいい作品が来ない俳優シェイマス、脚本家になりたいジェレミー、パトリックの秘書やら。それぞれ結構な意味を持ったキャラクターで、名前をここに書き出すだけで疲れた。

 カーター先生は、普段はハリウッドスターとかセレブ御用達の神科医。しかし、奥さんが自殺して、マリファナを手放せない状況。
 父親に少女の患者を診るように言われて、カーター先生こんなこと言っちゃう。
「きっと深刻な問題だよ、俺の手には負えない」
今のセレブな患者はどうやねん。ということで、どうにも今の仕事にも力が入っていない様子。

 このへんから多少ネタバレかもしれやせんので、見てみようと思う人は。
 面白いですよ。
 間を
 とり
 つつ
 つつ
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