●言葉遊び「責任とは」
「責任」という言葉で自分のブログを検索すると、ずいぶんひどい文章が並ぶ・・・。
この言葉は曖昧で、自分の心が弱っている時には自分を責めるし、逆の時には人を責めるきつい言葉となる・・・。
友達のブログに
ところで
責任っちゅーのを定義出来るかね?
何度か挑戦してみたけど
わしには無理だった。
とコメントしてしまったので、せっかくなので今一度「責任」の定義を考えてみていた。
ちなみに、責任を定義しようとして、過去何度もエントリーを立ち上げようとしていたのだけど、一度も果たせなかった。が、風呂で考えていて今回は少し考えがまとまって来たかもしれない。
では早速ですが
責任とは、ある者(人や法人)が原因となって発生した損失を弁償する義務、を言う。
※ここでいう損失は、金銭的損失や精神的損失など、あらゆる負の概念を言う。
と定義してみよう。
特に責任には、
◎法律や契約によって履行せざる終えない責任(法的責任)
◎社会的にその責任を履行しないと生きにくい責任(世間的責任)
◎特に誰に問われるわけでないけど、積極的に果たしていく責任(自己満足的責任)
くらいの段階があるのではないか。
例えば、私が部屋でもっさりと素っ裸で寝ていたとしよう。
その事によって、たまたまその光景を目にしたおばあちゃんが「ショックでスーパーで買った卵を落として割れたとすれば。(もちろん良い意味でショックを受けるのである)
私が原因で、「スーパーで買った卵が割れる」という損失が生まれた事になる。
この時点で、法的、世間的、あるいは自己満足で責任が生じる。
例えば法的責任だと「公然わいせつ罪」かもしれないし、世間的責任では「卵を弁償しなさい!」ってなことかもしれないし、自己満足的責任としては「おんぶして家まで連れ帰ってあげよう」となるかもしれない。
しかし、おちた卵から元の卵をそのまま復元せよとまでは言われないだろう。こーいう義務として生じないものは責任から除外してもいいと思う。(自己満足的責任として義務化する人もいるかもしれないけど。)
他者に対して「責任をどう取るのですか?」と言いたければ、一つにはその者が原因であることを明確にする必要があるだろうし、その損失を明らかにする必要があるだろう。
その上で、法的責任はもちろんのこと、世間的責任を要求することになるのだと思う。
ただ、やはりこの「世間的責任」が厄介で、これはプレゼン能力で軽減されもするだろうし、むしろ大きくなることもあるだろう。
そして、その責任を取らなければ、その者は損害を生じさせても逃げてしまうと言う評価が与えられるため、社会的に行動がしにくくなる。とれもしない責任を誇張して言うのは、極めてリスクが高いことだとも言えるだろう。
逆に言えば、事前に自分がとる責任の範囲を明確にしておけば、何らかの損失が生じた時にも「評価向上」につながる可能性があるねぇ。
また、どっかの社長が不祥事起こしてだれかに被害を被らせたとして「辞任」したりするけど。やっぱりこれはおかしいねぇ。
当然、損失は被害者が被った何かであるし、それを弁償するためには、その被害者に対してなにかすべきであろう。
会社辞めて、給料放棄したって、被害者にはなんのメリットもない。
とまぁー定義をしてみるといろいろ考えるきっかけにもなるねぇ。
なんて、思考ゲームでした。
以上を書いた後にwikipediaの責任を読んでいた。
どうも議論は奥深そうである・・・。

コメント
今読んでる「NPOという生き方」という本で、『人間の本質は自由だ』というテーマと、「自由」とは「責任ある選択」という定義があったよ!
なかなかに考えさせられる。。。。
Posted by: ひふみ | 2008年7月11日 23:11
わしの考える人間の本質は・・・
恐怖と欲 かな。今のところの考え(笑)
自由の定義は・・・
んー腹減った。
Posted by: やいだ(みむら) | 2008年7月12日 20:30