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2008年5月31日

●なぜ人間は音楽に感情を揺さぶられるのか

かつて

 最後に、哲学の世界では「人間とは、生きるために必要のないことをやっちゃう生き物だ(うろ覚え)」みたいな事を言っていた。
 小説や、絵画、音楽いろんな『文化』と言われる物があるけど、なんなんだろうかこれらって。確かに人間だけが、こーいう「生きるのに無駄そうな事」をやっている気がする。
 少なくとも、犬が人間を見てしっぽを振ることよりも遙かに無駄な事だろうと。その無駄な事にかなりの時間を費やしている・・・。

 人間が『文化』っぽいことを好む理由。気になるんだよなー。
 個人的には、『やっぱり文化を持つことは、種が保存されるために有利なことなんだ』という合理的な説明にいきついてみたいなぁ。

 なんて事を書いていたんだけど、自分の中で「なぜ人間は音楽に感情を揺さぶられるのか」というのは結構大きな問いだった。
 宇多田ヒカルライブの時には、心の奥の方にある何かをグラングランに揺さぶられた気がした。今でも多少劣化していても、その時の感動は残っている。

 そんな激しい感情を興す音楽であるのに、どうも他の生物には見られない気がする。生き物全体にとって音楽が感情を揺さぶるようなものなら、家でCDをかけていれば自然に野犬が集まってきても良さそうなものではないかと。
 つまり人間だけなんだなと。

 では、なんで人間だけがそんな機能を手に入れたのだろうか。というのが自分の中で疑問なのであります。


 で、例によって爆笑問題のニッポンの教養『FILE037:「私が愛したゴリラ(前編)」』を見ていて、納得いく自分なりの答えにたどり着いたのでした。

 この回はゴリラの研究者が出ていたのだけど、彼曰く『ゴリラは鼻歌を歌う』らしい。仲間とご飯を食べながら歌を歌ったりもするらしい。
 人間が『鼻歌を歌う』というのは、歌詞に共感して、集団に属している安心感を得たり、他者の価値観を斟酌したり、なんかかんか理由はつきそうだけど。
 ゴリラはなぜ『鼻歌を歌う』のかと。
 
 そんな事を考えていて(番組の内容にもヒントを得て)、たどり着いたのが・・・。


 『音楽はコントロールの手段』だな。と。
 歌は自分であったり、他人であったりをコントロールする手段なのではないか。と考えたのです。
 ゴリラとか人間は、急速に頭だけ進化したので、新しい脳みその機能である感情を制御しきれないのではないか。そして、その感情を制御するために、音楽を使ったのじゃないかと。つまり、序盤は『血の音』とか『海の音』とか生活に近い音を出すことによって、高ぶった感情とかを落ち着かせたんではなかろうかと。
 その段階で、「興奮させる音楽」「落ち着かせる音楽」とかいう物が心に刻み込まれた。

 でもって、それはやがて集団のコントロールとかにも使われるようになっていったのではないかなぁと。その特定の集団のコントロールのために、集団ごとに各地で独自の音楽が進化してきたんではないかなぁと。


 そんな事を考えていると、今の音楽は少し性格が違うのかなぁと思い始める。今の歌詞付きの音楽は『コントロール』する目的と『他者との共感』を求める二つの意味があるのではないかなぁと。

 感情のコントロールを元とするなら、歌詞など必要ないないじゃんね。私は元々歌詞はあまり耳に入ってくることが無くて、音楽のノリだけで十分だったりする。ここ最近になって歌詞も読んでみようと思うけど、結局めんどくさくてノリだけだったりする。
 逆に歌詞にめちゃ共感する友人も多数いる。歌詞に共感している人たちは、どちらかというと小説とかの『他者との共感』だったりを目的として音楽を聴いている(読んでいる)のかなぁと。

 もちろん私を含めて、どっちかだけと言うことはないんだろうけど。
 ただ、発信する側は、歌詞に共感して欲しいという気持ちと観客の感情をコントロールしてやろうっていう感情がまじってるんじゃないかとーと。勝手に想像してみるのでした。


 どうよ。結構自分なりに満足した。

追伸:
 音楽を作る側は支配欲があるんだろうなぁと。
 そうなると、音楽や小説でも「こーいう構成考えられてるなー」と言う見方をする人がいるけど。そー言う人は支配者的な立場から物事を観察しているんだろうと、ふと考えた。
 共感や、感情ではなく、他者を支配するための知惠として。

 音楽を流す人と聞く人は全く別なのかもしれない。


※追記(2007/7/12)
死に舞 - 音楽と感情をめぐる冒険
 という学問的な記事を発見した。また調べてみよう。

2008年5月28日

●これは素晴らしい技術です!(※使用法によっては人類を滅ぼします)

 爆笑問題のニッポンの教養
特別:新年会スペシャル ~2008年 これがニッポンの大問題~
を見てしまった。(家の掃除、資料の整理等々できなかった・・・。)

 見ながら、科学が世界を幸せにするのかどうか、再び再び考えてしまう。結局みんな「知りたい」がために科学をするのであって、「世界を幸せにしたい」なんていうのは、世間体の問題だろうと。世界を変える発明は、使い方次第で人類を滅亡させるだろうし、発展させることもできるかもしれないのだと。

 工学出身の同級生でも、新しい研究は「世のためだ」と考えている人をちょろちょろ見かけるけど。諸刃の刃であることはしっていてほしい、そしてちょくちょく議論してほしいなぁーと思ったりしながら見てた。

 とまぁーいつも思う事を、また考えたのでした。

 
 とその他、見ながらメモったキーワード

「相関関係と因果関係」
 相関関係と因果関係が怪しくなっていないか?との発言。{ちなみに理屈を突き詰める科学者の発言だからなお面白いと思う。}
 何かの数値があがると、何かが連動して高くなる(爆笑問題がネタを発すれば、客が笑う事が多い)という事例が見られる場合(相関係数は高い場合)。果たしてそれが「爆笑問題のネタ」が原因で、「客が笑った」のかどうかは疑う余地がある。と言う話。

 つきつめていけば、ほとんどの物を疑うことができる。「メガネをかけているからよく見える」と言うことさえ、直接の因果かがあるかどうか解らない。

 この視点はいままで持ち得なかったなぁ。


「効率の分母は時間」
 効率が良い悪いっていうのは、時間が分母である関数で計るんだ。と。
 あーそりゃそうだな。と。


「平等性」「均質化」
 太田が「大人が、この世界はこんなに楽しいんだ!って事を発信しなきゃいけない」ってな発言をしたところで、「楽しい」の定義を聞き出す場面で出てきた言葉。

 楽しい世界(例えば面白い小説があったり、映画がでたりするようなドラマチックな世界)っていうのは、貧困があったり戦争があったり、危険や死と隣り合う世界だったり実はする。
 が、文明は「平等」で「均質」を目指す。

 この辺の議論は曖昧になってしまったけど。深めれば結構面白いかもしれないと思う。(危険な事になりそうな気もするけど)


 はてはて。まぁー聞いてて最大の課題だなーと思ったのは。好奇心溢れる科学者を、「倫理」や「モラル」といった言葉で抑えきれるかどうか。が大変重要だなぁと。
 哲学者がいっていたけど、「クローン人間は作らない」っていう考え方は、理屈(理論)たててできる話じゃない。なんとなく心の中にある境界線。というだけの話。
 この「境界線」を超えた時、おそらく人類は結構あっさりと滅びたりするんだろうなぁとは思う。そしてそれは21世紀私の生きているうちでさえ十分にありえると。

 工学部にいたけど、あんまりこーいう議論は授業的な場ではしなかった気がする(飲みながらはしてみたりするけど)
。理屈を並べて、世界を滅ぼす人材がでなきゃいいけどなー。きっと出てきた時には法律や国じゃどーにもならないんだろうねぇ。そえrが悪いことに、情報化社会だから。

 と。だらだらと。

2008年5月25日

●普通の日記

 今日、税理士試験の願書を郵送した。
 「これださなきゃ、明日からずいぶん楽になるのになー」
 と思いながらも出しちゃうのはなんでだろうね

 でもって家事とかこなして、ピアノひいたりして、税理士の授業を受けて

くるりの「ワルツを踊れ Tanz Walzer」と、いきものがかりの「桜咲く街物語
を借りてきた。

 くるりは最近のかなりマイブーム。楽しそうな二人その他大勢が写っている歌詞カードを見ていると、こっちまで楽しくなってくる。音楽的にくるりはやっぱりいいなぁーと思う。
 「ハム食べたい」
 から始まる歌とか、スピッツの「うめぼし」を彷彿とさせる。こーいう適当な自由な感じの人達って憧れる。そして大好きだ。

 いきものがかりは某お人がお勧めしていたので借りてみた。歌詞カードの最初に様々な人への感謝を書いているのにも、良い気持ちにさせられた。頑張った成果が実った時、人に感謝出来るって結構難しい事じゃないかと思うんだな。
 音楽でも、結構歌ったりしている人自体の性格(まぁー画面越しじゃわからないんだが)に左右されたりするので、重要よw


 その後は、小説を読みたかったのだけど、気分に合うものがことごとく人に貸していたので(笑)GEOで映画を借りて
プロデューサーズ
 を見ていた。
 ついでにピーマンとナスのスパゲティー作ったけどなかなか美味であった。
 映画は「できるだけ売れない映画を作る」という映画。最初はずいぶんむさ苦しい男ばかりが出てきて、話半分で食器洗ったりしてたけど、綺麗な女性が出てくると、映画も一気に雰囲気が変わった。女性は大事だなーと・・・
 最後のオチは「もー好きにしろよ」って感じで、無理矢理ハッピーエンドではあるが、楽しいからいいか。130分のうち最初90分くらいはほんまにつまらなかったけど、最後の展開は結構好きだったな。


 ほんとは、誰かと会って話とかしたかったけど、気づけばみんな遠くへ行っちゃってるのねぇ。

 んじゃ。みなさん良い夢を。私はGEOにCD返してきます!

●官製不況

http://blog.ohtan.net/archives/51205684.html

 とても面白かった。

  • アダム・スミス『道徳感情論』読んでみたい

 関係もない遠くのNEWSに共感(同感とよぶ?)するのは、他人の価値観を理解するため。その理解を通じて、自分の感情とかと、他人の感情とかを斟酌して自分の行動を決めていく。中でも周りの人に流される人が経済発展の原動力。逆に、自分の感情もちゃんと斟酌出来る人が減れば社会は滅びる。

  • 今の不況は労働者保護の法律のたぐい、改定貸金業法、改定建築基準法等によってもたらされた官製不況であるという

 所詮、官僚という「国民のためにやったって誰も評価してくれない」ポジションの人が、作っている法律なんだなぁと。改定建築基準法とかは本当に目の前に厳しそうな人が沢山いるので、悪法だと・・・

  • 資源高、世界的価格破壊により自動車業界がうけるダブルパンチ

 こりゃ日本やばいな。

 冗談じゃなくほんまに日本にとどまっていることに危機感を覚える。

 

2008年5月23日

●価格高騰の原因

 食べ物が高くなってる。明らかに・・・。私の食費は年間20万円ちょいちょい。1割あがれば・・・
 普通のインフレは給与と物の値段が同時に上がるから、まぁーいいらしいけど。今の物価は給与据え置き、物だけ価格上昇なのでやっかいらしい。
 というのは日本の問題。

 世界規模で言えば、食費が生活費の大部分を占めるような国は切迫した問題になってくるらしい。


 その食べ物の価値の上昇は石油価格に依存しているのかと思っていたけど、こんな記事が書いてあった。

印研究所長「バイオ燃料、環境か食料の二者択一」・アジアの未来

 インド国際経済関係研究所(ICRIER)のラジブ・クマール所長は22日午後、国際交流会議「アジアの未来」(日本経済新聞社主催)の討論で、バイオ燃料生産の拡大が食料価格高騰の一因となっていることに関連し、「環境か食料かというトレード・オフ(二者択一)に直面している」と指摘。バイオ燃料普及に関しては「先進国は本当に正しい進め方なのか、確かめる必要がある」と訴えた。

 食べ物の生産の絶対量が減る方向に先進国が導いている。という言い方ですね。
 ちょっと胸が痛いね。バイオ燃料が効率が良いはずがないし(投入したエネルギー以上の燃料は作れないでしょ?肥料も使わず光と水だけで時間かけて作るというなら、しょぼーいものは作れるだろうが・・・)
 それも、食べ物を作っていたのに、それをやめてバイト燃料とは・・・。


 私には死ぬまで海の向こうの大勢の人たちの命まで意識出来るほどの余裕はないと思う。けど、どーも金儲けのためだけに人が死んでしまうのは、いくら資本主義とは言え少し悲しいと思うなぁ。

 もちろん、金儲けをする人たちも自分の家族を守るためなんだけどね・・・。企業や国の方針として、少しはどうにかならんもんかね。


 どっかで聞いた話によれば、温暖化対策に投じられている多大な金をかき集めれば、世界の食糧問題は結構解決するとか。
 バイオ燃料・・・。笑止。


 日本のすべてのメディアは食料価格高騰の時、「国内の危機」を報道の主にしていたらしい。一報海外のメディアは「世界の食糧事情の危機」を書いているメディアが多数合ったとか。
 やっぱりちょっと寂しい。
 メディアはせっかく既得権で守られているんだから、多少は客観的に冷静な分析をしてもいいんじゃないかと思うんだけど。賢い人集まってるんなら、ロジックで考えることもできるだろうに・・・。


 税理士という立場で何が出来るか。こういう正義感はむしろ邪魔になるかもなぁ。
 というか目の前でお客さんが価格高騰に苦しんでいる・・・。

 まっ、たまには視野を広げないとね。

2008年5月18日

●Roland JUNO-D

 このピアノもどきも、私が税理士試験を受け終えてまったりしているころには、うちに来て二年になる(家計簿を見ると2006年9月9日購入)。6万円超出して買ったこやつ。

 初めて、説明書を見ながらいじくってみた(笑)
 宇多田の「Easy Breezy」(DSのCMに使われていたはず?)を弾いてみようと思ったわけで。普通のピアノの音では全くなく、いろんな音が出てくるので、右手と左手で音(トーンとか言うらしい?)を変えてやろうとしたのが発端。
 で、説明書を見ていると、一個キーを押すだけで和音になるわ、アルペシオとかいうのを押すと勝手に弾き始めるは、かなり賢いことが判明。(使いこなせない事も判明)

 今までこいつは6万のうち、1000円くらいの機能しか使われていなかったのだろう・・・。これから2000円分くらいは使ってやれるだろうか・・・と思い始めたのでした。

 ちなみに税理士試験はもう間近。こんな時期に遊び道具を新たに発掘するアホな私であります・・・。ウハ。

2008年5月15日

●相手のための格好

相も変わらず服装にまったく無頓着な私。

ほぼ日でめちゃめちゃ面白い1ページがあった
金魚鉢は景色がゆがむ
動物病院の野村潤一郎先生という人だそうです。


「ここまでパリッとした白衣や
 大がかりな設備が必要なのかな」
って思われるかもしれない。
でも、要るんです。
僕は、医者だから。
患者にとって
貧乏な医者に診てもらうほど
惨めなことはないからです。

(略)

「清貧」って言うけれど、
清く正しかったら
貧しくなるわけがないんです。
「清く正しくても貧である」場合には、
何か問題があるんです。
下手だったり、怠け者だったり
どこかの部分で手を抜こうとしている場合が
多いんじゃないでしょうか。
まじめに仕事をしていれば、
絶対に利益は出るんですよ。

 まずは、後半の文書について。
 「動物を相手にしている人」の言葉だなぁと思う。どうもそんなに人間は強くないらしいから・・・。
 利益が出るとか言う部分に関しても極めて賛成だけど、世の中に対して声高に叫べるかと言えば、それは無理だな。下手じゃなく怠け者じゃなく何においても手を抜こうとしない人にいまのところ会ったことがない。
 そしてその度合いは、その人の個性そのものなわけで。すべて完璧なら人じゃなくてロボットでいいじゃん。と思う。
 だから、世の中には「利益」を出せない人はいる。そして、それは悪いことではない。と思う。むしろ、そこが重要なのじゃないかと・・・。(本題じゃないのに語りすぎなのでここまで。)


 で、この文章を読んで考えたのだが。きっちりした身なりが相手のためであることという自覚が足りない、もしくは無かったのではないかと。
 基本的に、中身が伴わないのに外見だけ良くしてどうする(中身以下の外見であるべき)。というのが持論だったけど。どうも自分よがりな考え方であったらしい。服装は自分の中身に合わせるんじゃなくて、相手に合わせるもの。(でもある。かな)
 ってことだな。

 そう考えると「貧乏な医者に診てもらうほど惨めなことはないからです。」っていうのは、すこし変で、貧乏な患者がいるなら、それに合わせた服装も必要になる気がする・・・。が、そこは動物病院だから、金持ち相手じゃないと意味がないか。
(ちなみに、この人とプライベートでご一緒したくない。)


 外に出て誰かに会えば、一緒に歩いたりするわけだし。せめて人と外出する時くらいは意識してみるか。。。
 ちゃんと冷静に手帳と家計簿眺めてみれば、服買う時間と金くらいはあるだろう。

 そして私の服装がいきなり替わるかと言えば、かなり怪しい今日この頃・・・。納得はしたので少しずつ努力します・・・。多分。。。
 って実はどこかで、似たような宣言した気がする・・・。金と時間がを裂かなかったために断念したような・・・。服に使う予算月3000円増額・・・・。うっきつい。クリーニング代・・・。あぁ。(貧)

2008年5月12日

●『イルマーレ』『ねじの回転』

 『イルマーレ』という映画。『ねじの回転』という小説。たまたま同時期に見た。
 両方とも過去と未来の時間が並列に流れる中で、過去の住人と未来の住人がやりとりをしちゃうような物語。


 『イルマーレ』は、ポストを通して過去と未来がつながっている。そんなドラえもん的(違)なお話。
 そのポストを通して、2004年に生きるの男性と2006年に生きる女性が文通をする。超遠距離なけっこう切ないラブストーリーとなっております。監督は絶対Sだろ!みたいな切ないシーンが・・・。
 また女優さん(サンドラ・ブロック)がむっちゃかわいい。悔しいけどキアヌ・リーブスもかっちょよい。
 いやー、普通に感動するにはよい作品。


 『ねじょの回転』は、二人の科学者が開発した『時間遡行装置』を使って、国連が過去をいじくって、幸せな未来を作りましょうというお話。タイムパラドックス的なものに戦いを挑む恩田陸ってかっこいい。
 しかし、私の悪い頭では一回読んだだけでは理解しきれなかったよー。もっかい読んでみる。

 あと、時間云々を除いて、純粋な歴史物(二・二六事件が題材)としても面白い。特に、今の私では全く想像の付かない、天皇だの陸軍だの海軍だのがひしめきあっている時代の人たちをかなりリアルな感じで描いているのが楽しい。
 現代報道されているような、だらけた官僚に、ちょくちょく紛れている英雄っぽい人。普通の兵士達。

 力作だなーって感じがしましたとさ。


 両方ともかなりお勧め♪テイストはかなり違いますが・・・。

2008年5月10日

●敗北宣言

メルマガを読んでいて、「ほほー」と思ったこと抜粋

 アメリカの大統領選関連のネタで、民主党の予備選挙でヒラリーがほとんど負けが確実になった。と言う流れで

メルマガは:[JMM478Sa]「予備選というドラマはフィナーレに入ったか?」from 911/USAレポート

 そんな中、7日からのTV各局は「ヒラリー撤退のシナリオ」であるとか「ヒラリー陣営資金繰りに窮す」などという報道を一斉に始めています。流れは固まったといって良いでしょう。では、逆にどうして、この時点でまだヒラリーは撤退しないのでしょう。どうして可能性がほとんどゼロなのに、運動をストップさせないのでしょう。

(中略)

(2)ヒラリーという人間の性格からして、撤退宣言のタイミングは「華麗なる名誉」をたたえて行えるよう様々な計算をしているという説もあります。日本では考えにくいのですが、撤退演説というのは「お葬式」でも「お詫びの儀式」でもありません。いわゆる「コンセッション・スピーチ(敗北宣言)」というのは、ものすごく前向きなトーンで、支持者の労をねぎらい、勝者を讃え、党の団結を賞賛するという「ポジティブ」なものになるのです。負けは負けだとしても、ヒラリーとしては最高のタイミングでやりたい、ということになると、どこかで勝ってそこで下りるとか、あるいは6月3日の「予備選全日程終了」を走りきってその時点でということもあるかもしれません。

 負けた時に堂々と、支持してくれた人に感謝し、勝者をたたえる。
 ふむ。。。そうありたいなぁ。。。

 先日会社の先輩が言っていました。「会社が倒産する時だって、取引先とかには迷惑をかけないようにしなきゃいけない。」
 立つ鳥跡を濁さず

 生死をかけた戦いでない限り、失敗・敗北というのは、葬式じゃない。再スタートの始まりなんですよねぇ。

 私、スタートはいいんですが引き際めちゃめちゃ汚いんですよねぇ・・・いままでもずっと迷惑かけっぱなしで・・・。いろいろ反省させられる文章でした。

2008年5月 6日

●GWに息を抜いてきましたー

GWに息を抜いてきましたー

 と書こうと思ったが、なんか違うな。
 どちらかというと人生は楽しむものであって、旅は楽しいから人生のメイン行事なのであって、仕事はその手段でサブなのであるからして、息を抜いてきたというのはなんとも、仕事をメインにしている感じがして、へんなのである。しかるに、楽しむことメインの人生であるからして、むしろ仕事をしていることのほうが珍しいくらいであって、そっちに着目して文章を書いた方が良いのか。いや、しかし時間の大半は仕事をしてい・・・・

とまぁーそんなことはさておき。楽しかった。奈良と滋賀にいってたよ。
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ありがとう。

2008年5月 1日

●一流新聞の言葉遊び

 白川方明総裁を議長とする政策委員会は、利上げを視野に入れた表現を削り、代わりに「機動的」な金融政策運営という言葉を採用した。日銀による英訳は「フレキシブル」であり、直訳すれば「柔軟」な政策運営となる。いざという際には利下げを排除しないという意味だろう。

NIKKEINET 社説2 政策の機動性掲げた白川日銀(5/1)

 いやいやいや。
 英語に変換して日本語に変換しなおす。ってどんなやねん!!!

 会社より思わず突っ込みでした。