2008年6月29日
2008年6月28日
●もーいーくつねーるとぉー、半年。
今年も半年たとうとしているようで。
去年の今頃のブログを見ていたら、目標の反省をしているではないか。
今年もやってみよう
本年一発目の記事では以下のように書いていた
ここ二日新年会らしきものに出てきて、新年のすがすがしい気持ちを全部すっとばされてきました。
服装がダメだとか、てめぇーの顔なんざ見たくもない(少々誇張だがそう聞こえた)とか、20歳前後の年頃の女性陣に散々言われてきました。
ついでに男性陣にも。ただ、彼女いない輩には言われたくない。ん・・・いない・・・よな?もてない云々のいじられ方は、慣れているはずなのですが、女性陣にボコスカにされると、ちょっと立ち直れないです。
最近は、人様の母親にまで心配されているようです。
ほうほう・・・。そーいえばそんなことあったな・・・。今年は会社でも事ある毎にお姉様方に「これじゃ結婚出来ないわねー」と言われてきた半年だったなぁ・・・。
って、そろそろもてない事をネタにするのもいい加減卒業しないとなぁ・・・。
で!肝心の目標は
新入社員1年目と言うことを考えると、「人の気持ちを酌み取る」が妥当なんだろうなぁ。
四字熟語にして
「気持酌取」(きもちしゃくしゅ)
今年はこれでいきますぅ!
と書いてありました。
「すぅ!」とかバカじゃないのか。客観的に見るとむかつくエントリーだなー。
しかししかし、なかなかどうして、かくかくしかじか、良いこと考えてるねぇ新年。
せっかく考えたのに、まったく日常に活かされていないのが残念だけど・・・。
平素なら「自分の気持ちを大事にしろ」と言っちゃうところだけど、今年は少し無理してでも人の気持ちを考えようとしてたんだねぇ。
半年たったし、気持ちも新たに人の気持ち酌み取ってみますか。
2008年6月27日
●天気予報で遊ぶ
今日の降水確率は40%。
昨日時点での降水確率は20%だった。
「なんだよー雨ふらねーっていってたじゃん」となる。
まあその気持ちはおいておいて、
気象庁の気持ちになってみる。
現時点での大気の状態をAとする。(雨っぽい)
他方現時点以外の大気の状態をBとする。(めっぽう晴れっぽい)
今日Aが起こる確率をP(Bが起こる確率を1-P)とし、
昨日の降水確率が20%であることより
P×A+(1-P)×B=20% ・・・(1)
今日、降水確率が40%なので
A=40% ・・・(2)
ついでに
0%<=P<=100%
0%<=B<=100%
(1)と(2)より
P×40%+(1-P)×B=20%
この式に具体的に数字を入れてみると
P=60% → B<0 ∴不成立
P=50% → B=0%
P=20% → B=15%
・・・
{まぁーBの時の降水確率を低めに見積もっても10~15%くらいはあったのだろうから、昨日から今日にかけて雲の動きは20%以下の低い確率の事象が起きたんだなー。すげぇ。そりゃー気象庁もあてられないわな。}
などといらんことを授業中に考えていたら
授業が身に付かなかった。。。
天気予報の変化だけでも結構おもしろいもんだな。
2008年6月25日
●『山椒魚』井伏鱒二、『山椒魚』とも
注:「あぁーまた、みむらがくっだらん長い文章かいてらー」と思ったら、とりあえず、国語の教科書にあるらしい『山椒魚』(井伏鱒二)をひっぱりだし、かつ『山椒魚』(とも)(←クリック)を読むべし。それがこの本文のすべて。
さて、それらの感想をいまいちまとまらないけど、そんな思案に暮れるほど時間もないので、書き始めてみる。
わずか12ページほどの短い作品で、国語の教科書にも載っていると言うことなので(わしゃ覚えてないけど)、ぜひ読んでみると楽しいですよー。
なかなか奥深い作品『山椒魚』(井伏鱒二)。
あと、その山椒魚を元に書いた、『山椒魚』(とも)(←クリック)も読んだ。
作品を見比べるというのも結構オツなもんですな。より見える物があるというか。
以下は読まなくていいので、上記2作品は読んでみる事をお勧め。結構考え深いっすよ。
これ以降、主観的な感想。読んでない人には間違いなく伝わらない。意味不明なので読んだ人にも伝わらない。
主人公の山椒魚ってのは、生まれた時から絶対に出られない檻の中で暮らしているわけで、気づいた時に絶望するとしても、ある程度のあきらめはつくだろう。そしてその檻の中で楽しみを見つけていくだろうと。
その自由を奪われている中で、自由でないことから自由を見つけ出していく姿が面白い作品だなーと、最初に井伏山椒魚を読んだ時は思った。
ただ、二回目三回目と読み始めて気になるのはやっぱり蛙だろう。広い世界を知る蛙が檻に閉じこめられる。その上で、相手に心許せる物なのだろうか・・・。恨み節で終わらないのが、両作品なわけで・・・。
井伏蛙はひらきなおっているように見えるし、とも蛙は檻に入っていることさえ気づいていないような気さえする。(なんたって男はバカだから。わしなら気づかない。)
元々与えられている檻の大きさが違うわけで、それが一番の文章の違いになっているような気がする。でも、とも山椒魚も、物語が続けば、井伏山椒魚みたいな世界になっていくような・・・。
蛙は、山椒魚の作り出した檻に入れられることで、結局、元の山椒魚と同じで、開き直るしかなく、その中で小さな自由を見つけ出す。そんなデフレスパイラルのような世界が、これら文章の先にはある気がする。
どちらかといえば、自由を手に入れたと思ったけど、真の自由は別にある。みたいな葛藤はこなれた感じはするけど、こーいうマイナスな感じは新鮮な感じがした。
ネガティブであることが最大のポジティブ。ってな感じかなぁ。
まともな感想書けなくてすまんねぇ。言葉にすると、漏れ出す物もあるけど、頭もすっきりするね。
まぁしかし、井伏鱒二が
1985年、『井伏鱒二自選全集』(新潮社)に収録する際、井伏はこの作品の末尾「ところが山椒魚よりも先に~おこってはゐないんだ」の部分を全て削除してしまった。この件に関しては当初、文壇のみならず各方面から非難が集中した。しかし現在は、これに関しては批判ばかりではなく様々な意見が出ている状態である。以下に主なものを引用する(一部改)。(Wikiより)
と、削除したというのはびっくりしたねぇ。
ちなみに言えば、とも山椒魚を読んで、一番に宇多田の「prisoner of love」を思い浮かべたのは言うまでもない。
2008年6月21日
●株式投資のコツ
超小額ではあるけど株式投資という物ををかれこれ7年くらいやっている。で、なんとなぁーくコツというか付き合い方が解ってきた気がする。
やっぱり、心から好きな会社を見つけることだなぁと。
その「好き」って感情は、毎日気になるような熱愛じゃなくて、ほっておいても大丈夫という安心感があって、たまぁーに様子が気になるような熟年夫婦のような感じだな。(イメージ)
気にしすぎると、些細な変化に踊らされて、適切な判断ができなくなるんだよねー。
そーして、長い間つき合っていくと、「今は調子悪いなー」とか「今は調子よいなー」とか解ってくるようになる。
しかも面白いのは、調子の悪い時(株価が安い時)に助けてあげよーと言う気持ちで買ってあげ、調子に乗ってる時(株価の高い時)に、調子に乗るな、と思いながら売るのが最善の策になる。
会社との出会いも、どちらかというと最初はインスピレーションで、つき合っていくと会社の事がいろいろと解ってくる。その中で合わなかった会社がいっぱいあるけど、今は1社と1外貨だけ気持ちの良い会社とつき合っている感じ。
ほんとに人間とつき合っているような感じである。(笑)
別に株の知識なんて大して必要なくて、ただ会社に対する愛情の持ち方次第だな。と思ったのでした。
株式投機はお勧めしないが、株式投資はお勧めしますよー。ボーナスの時期だし、余暇資金があって、定期にしようかなーなんて思っている方は、ぜひ、ぜひお好きな一銘柄選んでみてはいかがでしょ。
2008年6月16日
●『生物と無生物のあいだ』の追記
前回の記事で、あまりにも『生物と無生物のあいだ』をほめすぎたので、この本に対する批判的な文章を読んでいて見つけた。
アマゾンレビューのカルルさんが書いた一文
本のオリジナリティも低いが内容の科学的記述もひどいものだ。ブラウン運動について花粉を持ち出すとは高等学校の物理のレベル以下だ。花粉のような大きな粒子はが水分子の運動で動かされるわけがない。動的平衡も古びた説であって現代生物学をわずかなりとも知る人間にはあたりまえのことである。この程度の知識の持ち主が大学で自然科学を講じているのもお笑い種だが、その本が「科学書」として高い評価を受けているとは、日本の理科教育、自然科学教養の低下もここまで来たか、と嘆息を禁じえない。「科学立国日本」の没落を象徴する現象だ。
文中にある(私も信じていた)、花粉が水の振動によりブラウン運動をする、というのはうそのようだ。これについては、ブラウン運動の虚実 と言うページが詳しい。
著者の福岡さんも「恥ずかしいことしゃったなー」と思っていることだろう♪
当たり前だけど、本の内容や専門家の意見を100%鵜呑みにしない。と言う基本中の基本を、ふっと思い出したのっでした。
ちなみに、レビューを見ていて批判の中心も「目新しいこと書いてないじゃん」というのが多かった。内容について批判しているのは、そのブラウン運動くらいなもので、結構学問的にも慎重に丁寧に書かれている本なんだなぁーというのも再認識できた。
改めてお勧めできそうだ。
2008年6月15日
●『生物と無生物のあいだ』福岡伸一
心に染みいってくるような本だった。事実は小説よりも奇なり、とはこのことだね。
とりあえず、分野問わず誰もの必読書だろ!と思えるほどいい本だった。
もしこの本が生物の定義のみに焦点を当てていたり、人間関係等を含む研究者の世界をつらつらと書いている物であったり、あるいは、遺伝子からいかに生物が形作られるプロセスを記載するだけのものだったなら、こんなに面白くなかっただろうなぁと。
全てを横断しつつ、生物の本質からそれこそ筆者の生い立ちやどろどろした人間関係まで、書いてある本であることが面白い。多分、この横断的な記載は今接しているリアルの世界と似たようなもので、メチャメチャ頭のいろいろな思考を駆けめぐり、それを複合したような感動をこの本は与えてくれる。
時に、理論を綺麗に記載した本に感動し、人間の感情を濃縮した小説に心打たれるけど、それを横断してくるような本というのは、なかなかないんジャマイカ。
ハイ。褒めすぎ。まあいいじゃん。褒めて損はない。
まぁーとにかく。良い本でしたよと。読めよと。
少しネタバレっぽく本文について書いてみると、
この文章の第一章では、かの1000円札でもあった野口英夫野口英世(なんと恥ずかしいミス)が大した人物ではないことを記述するところから始まる。第一章にこーいう文章を持ってくると言うのは、結構不思議な感じではあった。
野口英世は日本の科学者でない人たちにだけ人気があるようだ。科学者としての彼は、実験は証明が不足されていたり、ねつ造的なものが見られたりと、彼の書いた論文は、現代では引用されることもほとんどなく図書館でホコリをかぶっているらしい。
その野口英世が取ったであろう、正当でない(手間を省いた)手順についてこまかく書いてる。
(追記:wikipediaのノートにも結構詳しく書いてある。本文は褒めるばっかりだけど・・・。)
確かにこの文章で筆者は日本人が普通の人である野口英夫をあがめることを皮肉りたかったのもあるのだろうと思う。しかし、読み終わって今思えば筆者は、この批判的な章を一番最初に持ってきたのは、生物学というのはとても繊細な手順を踏んでやっと成果が出る物であること、それを言いたかったのかなぁと思う。
そして、この第二章より厳密で美しい科学の世界とそれにかかわる科学者の行動が、それこそDNAの螺旋構造のように、密接に関係しながら展開されていく。
そんなこんなは、これ以降ここで書いても意味がないどころか、意味が改編させられて悪影響だろうから、本を買って読んでください。300ページ無いくらいの文章には、ほんとにすっごい価値が詰まっているよ。
ちなみに、読めば生命の成り立ちが解るようになるかと言えば全くならない。それどころか、謎は深まるばかり・・・。今こーやってキーボードをかたかたしていること自体、不思議で不思議で・・・。
ちなみに最近のブームは「秩序」と言う言葉だったけど、今後は「動的平衡」ブームがくる!
●どびゃー
『生物と無生物のあいだ』という本を読んでいる
生き物ってのは流れそのものである事が書いてある。
川の中にちょろっと出来る渦のようなものなんだなぁと。
外から見れば形に見えるけど、実態は常に変わり続ける弱く儚き物。
半年後に今の私は存在しない。ただ、私を形作る流れがそこにあるだけ・・・。
近所の名古屋大学の大学祭が先週
食中毒により中止になったらしい。
名大の大学祭は百人を超す実行委員が必死で作っているという
誰が悪い?悪者をきめなきゃいけない?大学生が責任を負えるのか?
責任ってなんだ?責任をおそれちゃ何もできないじゃないか?
秋葉原で25歳の男が人を殺しまくったという
会社の人に「どう思う?」と聞かれ
答えに窮してしまった。
人をころしちゃいけないのか?「今の若者」は昔の若者と違うのか?違うなら何が違うのか?
派遣社員という言葉をメディアが暴走させている?
アメリカでは学校で格差を学ぶという。日本人は学校では温く育てられ、社会で徐々に格差を見せつけられるという
「日本」が悪い国なのか?日本とアメリカは何が違うのか?何によってその差は生まれるのか?
他人との距離・・・
頭の中が大パニックになっている。
何も整理がつかない。開けなきゃよかった頭の中・・・。
とか書きながら、クレヨンしんちゃんを見ている。
便秘の後「でたーでたでたでたー」と喜びの歌を歌っておる。
おもれーなー。
2008年6月14日
●インプットとアウトプットと・・・
今まで自分の中で
インプットとアウトプットは結構意識して生活していた。
「最近本読んだりインプットばかりで、そろそろアウトプットせにゃなー」とか、
「いろんな活動してばっかりで、アウトプットばかりなので、そろそろインプットをまた増やさなきゃ」とか、
いろんな偉い人も言ってるし。1のアウトプットのためには100インプットしろとか(適当)。
ところで、ふっと久しぶりに「ほぼ日」を読もうと思い立って、その中の『ねむりと記憶』というのを読んでて、気づいた。
インプット→処理→アウトプット
だなぁーと。発想の中に処理が抜けてた。
さらに処理ってのは、(嫌でもアウトプットの段階ですることになる)ゆっくりと考えたりすること。だけではなくて、それこそ寝たり、ぼけーっとしたりすることも、脳みそにとっては重要な処理のひとつなんだなぁと。
というか、起きている時よりも寝ている時の方が頭が活性化しているらしい。
最近クソ時間に追われていて、頭がこの私の部屋のように、最近久しぶりに大人のゴキブリを見たんだが・・・、散らかっている感じだった。これいじょう詰め込むことも出来ないし、かといって何か出来るかと言われれば、整理出来てないからなにも出来ない感じ・・・。
本読んだり、情報集めたり、人にしゃべったり、ブログに書いたりする(今書いてるけど。)時間削って、ぼけーっとする時間を作ろうと思ったのでした。
2008年6月 8日
●Claude Monet
ほんとモネ見てきた。
名古屋ボストン美術館で見てきた。
若い頃の色彩豊かな絵から、奥さん死んでから荒れ狂うような絵になって、年食って色彩が薄目の睡蓮を書きまくる。
若い頃の絵の段階で「かっちょよくて、好きだなー」と思っていた分、後々の絵を見ながら、自分の人生を想像してしまって嫌だったなー。希望のような物が、いい年こいて精神が荒れ狂うような状態になっちゃうのかなぁーと。そして・・・
あの、精神的に行き着いちゃった感じは、熱狂的なファンも沢山イルだろうなぁーと思った。 美術館に置いてあったパンフレットとか見ていると、結構モネ好きは多いようで、モネの庭とか作っちゃってる人とか、いるし。
最初は絵を見て楽しんでいた気がするけど、途中から人生を見ている感じだったなーと今思う。絵のことはわからないけど、モネの表現力はそれだけすごかったんだなぁー。ってことだよね。
生々しかった・・・。名古屋の皆さんはぜひ一度。
2008年6月 7日
●少数派の世論の巻き込み方(吉田みえこ)の場合
吉田みえこ『橋下知事へ「府職員も大阪府民やで!人件費カットで誰が笑えるねん!ほんまに大阪がよくなること考えて行動してや!」』
というのが友達のブログで紹介されておった。
吉田みえこという教師さんが「給料さげずに、もっと他の方法はないもんかい?」と主張している記事。
その中の一部の
手取り、34.5万円ほどの給料で家族を養っている私たちが、一体どれだけ贅沢なことができると思ってはるのですか。
という部分を取り上げて、インターネットの人たちが「わしはもっと薄給じゃ~、お前が文句言うなー」っと自慢し(叩き)合っているらしい。みなさん薄給であることに立派なプライドをもってはるんですねー。私は恥ずかしいけどなぁ・・・。
とまぁー世論が吉田さんをを叩きはじめてしまったわけですなぁ・・・。自分の言葉が原因で自分が叩かれるなんて・・・明らかに失敗。
この記事を見ていると、『意見』よりも『共感を呼べる記事』が重要であることを感じるねぇ。タダ一つの意見(情報)が、潰されていくのはちょっとした危機感を感じるけど・・・。
給料を下げて欲しくなく、メディアを使ってこれを働きかけようと思っていたのなら。この吉田さんが出すべき数字は「給与」ではなかった。
例えば「サービス残業の時間」とか、みんなで共感出来るキーワードを数字付きで提示するべきだった。
とはいうものの、世論の『公務員に対して厳しい風』を止めるのはかなりの文章力がいるのかもしれないけど・・・。
そうだなぁ、もし自分が教師で、世論を動かそうと思うなら、
●「良い公務員」(←こっちに自分が入る)
●「悪い公務員」
に色分けして、「良い公務員」の厳しさを民間と同情や共感してもらえるネタをから始まり、「こいつらもつらいんだなー」と思わせる。そして、あとの責任を「悪い公務員」に全てを押しつける。
上手いこと流れを作っていけば、勝手に世論が自分で盛り上がって、「悪い公務員」を標的にして「良い公務員」は平和に生きていけるんだな。
言うまでもないが「悪い公務員」は言葉の上だけ。
ふむ。少数派とは言うが、結局多数派に自分の所属しているグループをいかに組み込ませるか。というのが実は大事なのかもしれないな・・・。
と、妄想してみたけど。上手くいくのかな・・・。
まっ、できうるなら、死ぬまでこんな卑怯な手使いたくないけどなぁ。
今調べてびっくりしたけど、教師も「スト権」が無いんだな。