武富士事件 葉玉匡美氏の感じ方
武富士事件
消費者金融大手「武富士」の故武井保雄会長と妻が、平成11年に長男の俊樹氏(42)に贈与した外国法人の株に対する約1330億円の追徴課税処分をめぐり、俊樹氏が処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が23日、東京高裁であった。柳田幸三裁判長は国に課税の取り消しを命じた1審東京地裁判決を取り消し、課税を適法とする逆転判決を言い渡した。
武富士の事件について、「会社法であそぼう」の葉玉匡美氏がコメントしていた。
- 「租税回避目的」という主観的要件を「住所」の認定に用いること
- 滞在日数を軽視すること
には疑問を感じるとのこと。「逆に日本に滞在する外国人についても、同じようなことがいえますか?(意訳)」といった感じ。
「個人の生活の本拠をいい、生活の本拠であるかどうかは客観的事実によって判定する」
という解釈が確立していたはずです(所基通2-1等)から、武富士事件控訴審決定が、租税回避目的という主観的要素を「住所」のあてはめの際に用いたことは、単に事実認定を行っただけではなく、「住所」について新たな解釈を加えたことにほかなりません。
ふむふむ。
★そのほか
そもそも、裁判所は、「事実認定」と「法律の解釈」という2つのツールで「妥当な解決」を図る仕事です。
そのため、普通の「事実認定」と普通の「法律の解釈」をしたにもかかわらず、裁判官が、「この結論は妥当ではない」と感じたときには、悩みが生じることでしょう。そのとき、裁判官には
(1) 普通の判断をして「妥当とは思えない解決」をする
(2) 「普通の法律の解釈」を変えて、「妥当と思える結論」を得る
(3) 「普通の事実認定」を変えて、「妥当と思える結論」を得る
の3つの選択肢があるのですが、本来、事実認定は、法律の解釈や結論とは無関係に、価値判断を加えず、証拠から淡々と認定すべきものですから、(3)は邪道です。
裁判官自身が「妥当」とは思えなくても、一般常識的には「妥当」な場合だってあるのですから、謙虚に(1)を選択するのもおかしなことではありません。
しかし、裁判官が、どうしても「妥当と思える結論」に拘るのならば、(2)の法律の解釈の変更という手段を採るべきです。
ふむふむ
★その他気になった点
最高裁は、原則として事実認定には立ち入れないので
このような言葉があったのでどういうことか探してみると。。
事件は,原則として,高等裁判所で行われた裁判の結果に不服な当事者から提出される上告の申立てによって始まります。最高裁判所は,法律審ですから,審理は通常書面審理により行われます。上告理由がないと判断される事件については,口頭弁論を経ないで上告を棄却することができます。しかし,当事者から不服のある点について直接聴いた方がよい事件については,口頭弁論を開いて意見を述べる機会を設けた後に判決を言い渡します。
最高裁は法律審というものだそうで。それを調べてみると
最高裁判所の役割は、下級審の判断が憲法に違反していないか、最高裁の判例に抵触するものではないかについて判断すること。事件の事実関係については下級裁判所にまかせる一方、司法の頂点に立つ最高裁判所は憲法に基づいて法令解釈を統一する役割を担っているのです。当事者ABはもはや事実関係について争うことはできず、裁判官に向かって法令解釈についての意見を述べることしかできません。
(中略)
この役割の違いから、最高裁判所は「法律審」、下級裁判所は「事実審」と呼ばれます。よって上告されるに相応しい事件とは憲法問題や判例問題を含んでいる事件に限られることになります。
憲法の番人って感じでしょうか。
最高裁に行くとしたら、どんな訴え方をするのんか・・・。その時点で私には疑問です。裁判の追っかけをしてみよう。
コメント
こめんとテスト
Posted by 登録ユーザー at 2008年2月10日 00:14
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