二十一世紀の資本主義論/岩井克人 という本に「美しきヘレネーの話」という章でギリシャ神話「パリスの審判」の話がある。ご存じの方が多いのだろうなあと思いながら自分のために書いてみる。
昔昔のお話。海の女神テティスと英雄ペーレウスの結婚式が行われることになった。
この式には神々の王ゼウス自らがしきっていた。さすがにオリンポス在住の全ての神が参加。のはずなのに、そこには争いの女神エリスの姿はなかった。呼ばれていなかったのだ!(実際の結婚式でも、争いの女神を呼ぶかどうかは困りものなのかね。)
それにキれたエリスは「もっとも美しい女のもの」と書かれた黄金の林檎を、神々の元に投げ入れた!呼んでも争いの種になるんだろうが、呼ばなくても…。
ここから、その黄金の林檎の所有者を巡り、へーラー、アテーナー、アプロディーテーの美女神による美しさを巡ってのバトルが勃発する。
女子バトルに困ったゼウスは、トロイアの王子パリス(人間)に審判を押しつける。
パリスに「もっとも美しい」と審判してもらうために
ヘーラーはアジア全土の支配権
アテーナーは戦争での勝利をもたらす英知
アプロディーテは地上で一番美しいとされているヘレネーを妻としてあたえるという約束
を提示する。パリスはもちろんヘレネーを頂き、アプロディーテがもっとも美しい女と認定されたわけです。めでたしめでたし。
その実、アプロディーテの美には全くふれず、アプロディーテが美しい女と認定されてしまったわけで。さらにヘレネーも本当に美しいかどうかすら明らかでないのに。実態を無視したところで、「美しき女性」という言葉が一人歩きして交換に利用される。ヘレネーちゃんはたまったもんじゃありませんが。
この、本質を全く無視した「美しき女性」という存在。これこそが資本主義の根幹をなす「貨幣」のたとえとして本の中で描かれております。
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