宇多田ヒカルの「アーティスト活動」休止について

ヒッキーのファンじゃない人も、メディアでしか活動休止を知らない人は、是非原文を読んでみてください。「ほへー」くらいは思うんじゃないかなあ。

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2010年8月9日
久しぶりの大事なお知らせ @ Message from Utada Hikaru / Utada

 しばらくヒッキーは「人間活動」に専念するため「アーティスト活動」を休止するそうです。
 恐らく、表現者として人前に現れることは当分無くなるんだろうと思います。(年内は出るらしい)

 なんつーか、妙に寂しい気がしていました。でもヒッキーのその行動自体も私にとっては表現であり、彼女の行動をそのまま受け止めたいなあと思うのでした。
 要約は以上です(笑)以下、あまり人に見せて面白い文章ではないですが、結構大きな気持ちの動きがあったので記しておこうかなと思います。

 色んな人と話しているウチに分かってきましたが、寂しさの理由は2点くらいあるようです。

1点目は「当分見られなくなることの寂しさ」

 最近Twitterで、「ヒッキーが過去に生みだした言葉」を見る機会がちょくちょくあります。その言葉のかなりの部分が、自分が思っていた言葉であったり、あるいは自分が他人に言う言葉だったりします。
 それが、私がヒッキーから聞いた言葉をそのまま喋っているのか、あるいは、私がヒッキーと同じような事を考えているから似たような言葉がでてくるのか。どういった関係なのかはわからないけれども、ヒッキーには常に考えさせられ、共感させられてきたわけで、その新しい表現が見られないと言うのはやっぱりヒッジョーに寂しい。

2点目は「戻って欲しくないと思っていることによる寂しさ」

 ヒッキーのライブに参加するといつも多大なパワーを貰っています。そのパワーの量たるやすさまじく、私の場合、人生の進路が一本変わってしまうようなパワーだったりするわけで。その一方で、そのパワーを与えるべく(別に聞きに来た人の進路を変えようとおもってはいないと思うけど)、想像も付かない多大なプレッシャーの中で歌うヒッキーを見て、「もっと楽に生きてもいいんじゃないの?」と超上から目線な事も思ったりしている自分もいるのです。
 ライブに行けば、つれられてきただけのつまらなそうな客もいたりするわけで。そんな人も含めて一度に数千、数万人を楽しませなければいけないと言うプレッシャーはいかほどか。とてもじゃないが私は嫌だ。そしてその嫌な事をヒッキーがやっている。精神体調体力、全てにおいてすごい管理体制で、大変な負担がかかっているはず。
 そう考えた時「戻ってきて欲しい」と気軽に言えない自分。あるいは「戻ってこないでいいよ」と思う自分がいる。
 そして、戻ってこなかったことを想像してまた寂しくなったりするのです。

 ってなんなんだコイツは
 ファンとしての自分と、同世代として一緒に生きてきた友人の様な気分になっている自分と。ごちゃごちゃになっている。

 とここまで書きながら、今は「まあ、ヒッキーだし、ヒッキーはどう思われようが好きなようにやるだろう。わしが考えることでもないし、考えたところでどうなるわけでもない」と、普通の開き直りになってきています。(ここ数日酒も大分飲んて、いろんな人に喋ったからね)
 冒頭にも書いたけど、この行動自体が私にとっては彼女から与えられた表現の一個ですし。あるいは、ヒッキーの表現が新たに出てこないうちに、今までの作品を味わって、深さを知る良い機会にしようと思います。英語歌詞の曲とかさっぱりだし。まだまだヒッキーから吸い取れるモノはいっぱいある!ムフフ

 そして、もしヒッキーが何十年も顔を見せなくなるなら、自分もヒッキーと会えるくらいしっかりした男になって、一度会いに行ってみたいなと。
 アーティストとして戻ってきてくれるなら、愛し続けますぜ。
 まあ、あえてヒッキーに言いたいことは、「お互い長めに生きましょう」ってなことくらいなもんで。あーこれメッセおくっとこうかな。

以上。これはラブレターかもしれない。数年後に見て赤面必死。

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