『旧約聖書』God~ヨブ記~

 やっと聖書も中間地点。ここにきてヨブ記は面白かった。
 ここまで「神は怖いんだぞ!黙って信じていろ!」ってな雰囲気でつまらないなあと思っていたが、ここで急に変わってきた。

ヨブという神を畏れる無垢な素晴らしい富豪がおりました。
ある日神の所にサタンが来ました。
サタン「あいつは財産あるし健康体だからあんたを敬ってるんだよ」
神「ふーん。じゃあ好きなようにやってみていいよ」
ヨブは財産略奪、皮膚病に侵され激しい苦痛に
ヨブは最初は神を敬うも、神への愚痴モードに
友人が何人か来てヨブの愚痴を諫めるも、ヨブを説得できず
最後には神様が出てきて「ざけんな。俺がてめえ作ってやったんだぞ。」
ヨブ「ははあ、お代官様」
神「いいよ!ヨブは許してあげる!友人は正しいことを言わなかったからゆるさん」
ヨブはまた富豪になって幸せに暮らしましたとさ。
という素晴らしい物語。

 この中で何よりも面白のは神への愚痴。
 神を信じてコツコツ生きてきたのに、突然の仕打ち。長男一家は殺され、財産を奪われ、重い病に侵されてトコトン悲観にくれます。

なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
ヨブ記3章11

もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。
ほうっておいてください
わたしの一生は空しいのです。
ヨブ記7章16

 そりゃあこうなるよ。
 そして神の存在自体に文句を言い始めます。

なぜ、神に逆らう者が生き永らえ
年を重ねてなお、力を増し加えるのか。
ヨブ記21章7

神に逆らう者の灯が消され、災いが襲い
神が怒って破滅を下したことが何度あろうか。
藁のように風に吹き散らされ
もみ殻のように突風に吹き飛ばされたことがあろうか。
神は彼への罰をその子らの代にまで延ばしておられるのか。
彼自身を罰して思い知らせてくださればよいのに
ヨブ記21章17-19

 他にも、正に現代人としても神に一言申したいこと満載。

 ところで、神に文句たれたヨブは最終的に神に再び認めて貰い。友人は神のために議論したのに、なぜか神に罰せられる。。
 このことについてこんな記述を見つけたわけで、

この、結びの章すべてに見られるこれら律法無視や過剰な応報は、モーセ律法の応報主義のパロディ、痛烈な批判でなくて、何でしょう。
63.ヨブ記Ⅲ(モーセ律法のパロディ)より

 ヨブ記は、旧約聖書自体を批判していると言うではありませぬか!そもそも聖書はそれぞれ作者が違っていて、内容もそれぞれとなっているわけです。その中に1人くらいこっそり批判が入っていてもいいのかもしれない。
 もちろん表向きは、「結局神は畏れるべきなのだ」という結論に持っていけるようにも読める。しかし、そんなに薄っぺらい批判じゃなく、批判に対する批判も様になっていない。

 旧約聖書への批判だという根拠として
・旧約聖書においては寿命は120歳とされているのに、ヨブは140歳まで生きたとされている。
・女性は相続権にもかかわらず、ヨブの娘は相続権を得ている。
 このような点から、ヨブ記は聖書自体への痛烈な批判という位置づけなのではないかと。
 そう思って読むと全然面白い。やっと聖書が面白いという意味が分かってきた。

詳しくは江礼宮夫さんという方の解説
61.ヨブ記Ⅰ(律法者ヨブの絶望と癒し)
62.ヨブ記Ⅱ(カウンセリングの逐語録)
63.ヨブ記Ⅲ(モーセ律法のパロディ)

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