本『児童の世紀』エレン・ケイ

 エレン・ケイ。何回かエレン・ケラーと言ってしまい「それってヘレン・ケラーじゃねーの?」と返されたりしながら、年をまたいでぼちぼち読んでおりました。エレン・ケイは1849年産まれ(スウェーデン)。ヘレン・ケラーは1880年産まれ(アメリカ)。ちょっとは絡んだことがあるかもね。

1900年刊行の著書「児童の世紀」で、20世紀こそは児童の世紀として子どもが幸せに育つことのできる平和な社会を築くべき時代であると主張した。「児童の世紀」は各国語に翻訳されて世界的な注目を集め、教育における児童中心主義運動の一つの発端をつくった。
引用:エレン・ケイJinkawiki

 教育なんて勉強したことがないからだろうけど、かなり新しい視点を取り入れることができた。
 特に「児童のための社会」と言う視点で社会を眺めるとこうなるのか。という事に中なか驚かされながら。これを、児童中心主義というらしい。どちらかというと今の教育は「社会のための児童」と言う視点から語られることが多いような気がする。
 ちなみに、日本のゆとり教育についても一見「児童の世紀」を汲んでいるかなと思いながら読んでいたけど、そういやこんなこと聞いたことあったなと。ゆとり教育をまとめた教育課程審議会会長の三浦朱門氏について

2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教育」であることを明言
引用:三浦朱門/wiki

(ソースがwikiで情けない)
 結局日本の「ゆとり教育」は選民教育だと。まあでも、こういう思想を日本人は実は受け入れているよね。日本人の皆さんが政治や宗教について語るのはタブーと思っているのがその典型だと思う。友人諸氏に政治話を振って苦笑いされるのは結構凹みます。
 また、政治の非難はしつつ改善案は出せない、やれるとも思ってない。それじゃあ、エリートの皆さんの思うつぼですよ…。みんな語らおうぜ政治や社会の事!頭の中で理想を思い浮かべだってそんなの価値がないぜ!
 おっと脱線。


目次
第一部
 第一章 こどもの親を選ぶ権利
 第二章 子どもと母親の保護
 第三章 婦人解放運動と母性保護
 第四章 婦人選挙権と子どもの権利
第二部
 第一章 教育
 第二章 未来の学校
 第三章 宗教授業
 第四章 学校における精神的殺害
 第五章 家庭の喪失
 第六章 本と教科書

 第一部は、子どもが生まれる以前の話。
 第二部は、子どもが生まれた後にどう育てていくかの話。
 

性教育

 まず初めに性教育の話。
 100年前のスウェーデンではキリスト教の名の下に隠されて、ちゃんと性教育がされていない。目を伏せずに性教育すべき!と主張。そしてその上で、さらに貞操感を付けさせることが大事で、キリスト教という手段だけではなく、次のような手段を講じてはどうかと

そこでわたしは、恋愛理想主義のみが、貞操感情を目覚めさせうることを主張したのである。古くは物語を通して、次には歴史と文学によって、恋愛理想主義の基礎をつくることが必ず必要である。
P13『児童の世紀』

素晴らしい恋愛の物語を読んで、貞操感情を目覚めさせようと。今の日本で貞操感情を高める物語だけを選ぶのは結構骨が折れる気もするけど。少なくとも旧約聖書を読むよりは、どろどろしたやつを含めても、良い文学を読んだ方が恋愛には綺麗になるかもしれない。
 まずはノルウェイの森とか。

進化論と優生学?

 序盤で気になったのが優生学の話。ケイ先生は優生学を支持してらっしゃるようで。

精神的おとび肉体的疾患、または病的素質および欠陥の点については、社会の介入が必要である。(中略)法律が、結婚に入る前の義務的条件として医師の証明書-結婚当事者双方の健康に関する完全な検査表を添付する-の提示を要求しているのはその一つである。当事者双方は、常に選択の自由はもたなければならないが、少なくともいまのように無知のまま、自分と子どもが重大な結果をみるような結婚には入るべきではない。
P50『児童の世紀』

ケイ先生は、ダーウィンの進化論を持ち出して、人工的に自然淘汰を推進すべきと言う立場。怖いな。
 進化論は、淘汰されていないという事実自体が環境に適応しているということであって、人工的に淘汰する必要はないし、人工的に淘汰しちゃうと変に環境に適応できていないのが残ってしまうよね。それは自然淘汰とは違うんじゃないかと。子どもにとって人工淘汰が良いことだ。っていうのはともかく、人類にとって人工淘汰がいいという論理はおかしい。

母の権利<子どもの権利

 ケイ先生っぽいなあと思う文章をちょろっと

 ともかくもある理由から母となることを永久に避ける婦人は、後に労働不能となっても他人に迷惑をかけないなら、労働に一身を捧げる権利をもっても支障はあるまい。
 だが、母になれると考える婦人、または母となることに望みをもつ婦人は、奔放な自由意思、あるいは意思に反する強制労働のもとで、まだ生まれない世代の生命の可能性も、自分の労働能力も犠牲にしてはならない。
P97『児童の世紀』

子どもの権利の前には、母親の権利なんてありゃーしない。という文章ですな。まさに児童中心主義というのを感じる文章です。
 ただしこの後で、家庭や子どもに縛られず女性も労働をし初めて男性と精神的に同等になるという事を言っていたりします。子どもがいる間は子どもが一番だけど、その次としてやはり婦人も労働して男性と同等の権利を有するべきだと。(P130のあたり)
 ちなみに背景には、産業革命もやっと北欧までやってきはじめて、婦人の労働問題が出てきたころなのではなかろうか。婦人の労働については、多分全然今とは条件は違うんだろうとは思う。

以上一部
以下二部

子どもへの教育

「子どもはある程度、完全に服従すること、特に無条件で服従することを学ぶべきである。(P154)」
子供を怒るために必ずしも理屈は必要ではない。家庭という群れにいるわけだから、群れのルールには従わなければいけない。というのは非常に意見が一致。
「子どもに懺悔の告白を強いたり、許しを乞わせたり、またはそれに似た言葉を使わせることは禁物である。このような教育法は確実に子どもに偽善を教えることになる。(P159)」
全くです。「あんたは悲しくないの!?」みたいな怒り方をしている人を見たことがありますが、最悪だと思う。

体罰ってどう思いますか?

 さてさて、児童の世紀を読みながら、一番考えを改めさせられたのが次の一文

打擲教育は、教育者を非道徳的にし、かつ愚かにする。それは彼の無思慮ぶりを増長させ、忍耐を鈍らせ、残酷さを募らせ、知性を低下させる。
P165『児童の世紀』

 体罰は良いか悪いか。この本を読むまでは、体罰はありだと思っていました。が、読めば読むほどに「体罰なしだなあ」と変わってきました。体罰のメリットって実はほとんどない。
 少なくとも自分が体罰を受けたことを今思い返して、身になったことって一個もないわけで。「いてー」「ちくしょー」しか覚えていない。もちろん当時は、恐怖により萎縮はするわけですが、それは明らかに教育としては意味を成していなかったわけで。
 体育会系だと、体罰でも受けながらでも無理して体作れ!みたいなのがあるかも知れないですが、そもそもそこまでして鍛える必要もないよなあと。そりゃあ格闘技で飯を食うってんなら別かも知れないですが。体罰は体罰するほうの意識や忍耐の問題と言われて中なか反論できないですよね。
 結局体罰ってのは、一時的に行動を規制するための、教育者側の自己満足や安易な手段に過ぎないんだと。少なくとも「教育」ではない。

嘘の分類

 これも面白い。嘘は3つに分類できる。(P175周辺)
冷たい嘘⇒意識的な嘘
熱い嘘⇒熱した気分または火のような想像からくる無意識的な嘘
白い嘘⇒純粋に病的なもの、もう一つは把握の誤りによるもの
 罰すべきなのは冷たい嘘のみという話です。これは大人になってからでも使えるなあと。
 熱い嘘って実際にあるわけで、ちょっと良く見せようとか無意識についてしまう嘘ってありますよね。後で怒られて反省したとしても、実は治しようが無いという。
 あと、白い嘘についても、完全に記憶違いで嘘になってしまうこともある。
 相手に嘘を付かれた時に、こういう視点で考えるのはありかもしれない。

教育の目的

 この間にケイ先生が望む学校の姿とかいろいろ書いてある。しかし、理想の学校まで、私には思考がついて行かないので、これは飛ばしてしまいます。
 最後に、教育の目的について書いてある一節

教育全体の目的は、学校教育でも同じことだが、試験の点数や成績証明書ではない。こんなものは地球から追放されるべきだ。むしろ目的は、生徒たち自身がまず第一にみずから知識を摂取し、みずから感銘を受け、みずから意見をもち、精神的なたのしみを求めて勉強することであるはずだ。
P294『児童の世紀』

 現代の教育がどういう歴史をたどってこうなっているのかは全然知りません。しかし、なんとなく戦争や高度成長期の兵隊を作るための工場になっているような気はやっぱりするわけで。
 それって、恐らく国の偉い人が国家像から教育を作り上げているのかなと思うのです。
 しかし、ケイ先生が言っている教育は、子ども自身の幸せ、しかも学校にいる時から始まる幸せを考えているのかなと漠然と感じます。

 うーん。今の社会を生きていけるような教育となると、ケイ先生の言う教育では厳しいだろうなあとは正直思う。
 しかし、やっぱり子どもにとって幸せな教育を、もし自分が親になれるなら、考えていけたらいいなあなんて思ったりするのでした。

 ちなみに本の中に男はほとんど出てこない。ケイ先生は男に期待していないようで…頑張るぞ男どもw

Pages:
  1. あ、読んでくれてるー。
    素直に嬉しいです。

    みむらさんのこの↑読後まとめと、自分の書いた感想とを比べて、印象に残った部分のチガイは個人差と男女差のどちらが大きいんだろうか、などと思っています。
    話もしてみたいし、他の方の意見も色々聞いてみたいですねー。

  2. やいだ(みむら)

    せろりさんは、
    「エレン・ケイ」の主張を(納得せずとも)理解しようとしているように感じました。

    私の場合、ここ数年本は書き込みしながら読むことにしているのですが、書き込みながら著者とちまちま喧嘩してます。結果、本の感想はだいたい、喧嘩したところになってきていたり…。

    今までは教育を語る場合の土台が無かったので、これでやっと土台ができたかなと。色々聞いてみたいですなー。知り合いに親となる人も増えてきたことだし。

  3. >著者とちまちま喧嘩

    あー、なるほど、所謂「批判的思考」がベースなんですね。納得しました。
    確かにそう考えると自分はクリティカルな視点が少ないように思います。
    バランスよく読み込めるようになりたい。

  4. やいだ(みむら)

    私は私で「エレンケイとはココが意見が違う」ってことしか
    頭に入っていないと言う(苦笑)

    バランス大事ー

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